第149話 ようやく訪れた休息
「お願い……するっす」
いつもの元気な声とは正反対の由里香に対し、思わず咲良も心配そうに由里香を見つめる。
顔を下に向けて力なく地面を見つめている由里香には、猿戦の時のような大きな混乱や恐怖は見られない。
しかし、誰が見てもその心に大きな傷を負っているのは明らかだった。
「じゃあ……ごめんね。痛いとは思うけど、まずはこの腕をどうにかしないと……」
由里香の体は、腕の部分以外にも幾つも打撲や骨折などのケガを負っていたのだが、それらはあの時の咲良の【キュアオール】によって粗方治癒されている。
しかし、右腕部分に関しては未だプランプランとぶら下がった状態で動かすこともできない状態だ。
心の傷に対しては対処しようもないが、体の傷なら治すことは出来る。
そう思って由里香の腕を治そうとしたのだが、内部の骨が露出しているような状態のまま治癒魔法を掛けるのは、マズイのではと咲良は判断していた。
そこで、腕を真っすぐに固定したのちに、骨が折れて少し曲がって飛び出た露出部分を"風魔法"で切り落とすことになった。
なお切除した骨の部分は、治癒魔法である程度までなら修復が可能だ。
「グッ……ウウウゥゥ」
微かに触れるだけでも痛みが走る状態の腕を固定された由里香は、それだけでも苦痛に顔を歪める。
そして"風魔法"による骨のカットは北条が担当し、見事な切れ味でもって僅かに露出した部分を切り落としていく。
「由里香ちゃんッッ……」
青い顔をして脂汗を浮かべている親友を見ていられなかったのか、芽衣が由里香の背後からそっと労わるように抱き着いた。
「大丈夫……大丈夫だから、ね?」
「ウ、ウウウゥ……」
芽衣の温かな言葉に、由里香も若干気持ちが和らぐ。
「ッッッ……。いくよおっ! 【ミドルキュア】」
限界まで魔力を籠めた咲良の"神聖魔法"が、由里香の右腕にその奇跡の一端を示し始めた。
見るからに痛そうだった腕の負傷がみるみるうちに癒えていく。
それは失われたハズの骨の一部まで復活させていき、元通りの状態へと戻していった。
それら一連の様子は、強すぎる光のせいで術者本人にも見ることは叶わなかったが、魔法が上手く働いているかどうかは感覚的に理解できる。
あの時北条が言っていたように、想いを強くのせた治癒魔法は今までになく光り輝いて由里香を包み込んだ。
「ふううう。これで治ってると思うわ」
試しに由里香が恐る恐る右腕を動かしてみると、痛みを感じることなく問題なく腕を動かすことに成功した。
「あ、ありがと……」
小さくそう呟く由里香は、先ほどまでとは打って変わり大分精神的にも落ち着いたようだった。
腕が無事に治癒しただけでなく、背中に感じる大事な友人のぬくもりや、みんなの思いやる気持ちが由里香の心をほぐしてくれたのかもしれない。
青白かった顔色も僅かに赤みを取り戻し始めたようだ。
「うんうん、いいってことよ。あとは、他の部分にもダメージが残ってるかもしれないから、今度は普通に魔法をかけるね」
そういって、今度は【キュア】を二度ほど由里香に使用する咲良。
生憎とステータスのHPの数値を見ることはできないが、これで恐らくはHP満タンまで回復したことだろう。
ケガの治療を終えた北条達は、夜を明かす為に野営の準備を始めた。
とはいっても、『流血の戦斧』がダンジョンから戻ってくる可能性を考慮して、火は熾していない。
季節的には夜になるとまだ少し冷える時期ではあるが、陽子が新しく覚えた"結界魔法"の【断熱結界】によって、快適な温度は維持されている。
更には外部から中身を見えなくさせる【光学結界】を張り、内部には北条の"光魔法"で明かりも灯された。
それからは夕食の時間になり、これまで食べずにとっておいた温かい料理を食べたことで体も心も温まる。
これは内部では時間経過が起きないという、〈魔法の小袋〉の特性を活かして前もって作っておいた、スープや焼き立ての肉料理などだ。
料理に関しては、北条が謎に持っている"料理"スキルのせいか美味しいものを作れるので、こういった時や祝い事の時用に幾つか前もって作ってある。
特に、《鉱山都市グリーク》に行ったときに調味料の類もできるだけ仕入れていたので、味付けの方も大分良くなってきていた。
何事も効率的に考えて行動する北条は、拠点作りなどの際に時間のかかるブイヨン作りや鶏ガラなどを併用して作っている。
芽衣の"召喚魔法"の練習もかねて、手間のかかるアク取りなどを召喚したゴブリンにさせるという、力の入れようだ。
北条以外の面子もやはり食事は美味しい方がいいので、そうした作業に理解を示して協力もしてくれている。
しかし「もったいないから」という理由で、北条がブイヨン作りに使用している肉の中に、蝙蝠やネズミの肉を混ぜていることを、北条以外のメンバーは知らないでいる……。
今回の夕食では、そうした特製料理に加えて鎮静効果のある、北条特製ハーブティーも供された。
この世界に自生している植物は、地球でも似たようなものが散見されることも多いのだが、その効能についてはまさにファンタジー的な効果がみられる。
地球ではありえないことだが、この世界では薬草を煎じて作られた薬の効果が異様に高い。
ポーションのような即効性と効果はないにしろ、日本で売られている薬や漢方などとは比べ物にならないほどだ。
そのせいか、鎮静効果のあるハーブティーなんてものを作ってしまえば、まるで抗不安薬を飲んだかのように……いや、それ以上に心に落ち着きをもたらしてくれる。
今も由里香や咲良たち子供組は緊張がほぐれたのか、夕食後三十分もしない内に眠りに就いていた。
最初の頃に比べて大分大きくなったマンジュウの体を枕代わりに、スヤスヤと安らかな寝息を立てている。
「楓も休んでて構わんぞぉ。今夜は俺が見張りをするぅ」
「……はい。で、では先に休ませて、もらいます」
北条の言葉に甘えることにした楓も地面に横になると、疲れていたのかすぐに寝息が聞こえ始めた。
「里見も結界はもう張ってあるし、休んでも……」
「私のことも別に名前でいいわよ」
「えっ? あ、あぁ。まぁそういうアレだから、横になってても大丈夫だぁ。……それとも眠れない、のか?」
陽子の意外な返しに少し戸惑った様子の北条。
そんな北条の様子に小さな笑みを浮かべた陽子は、
「別に……そういうんでもないのよ。自分でも意外なんだけど、今回の事はそこまで堪えてない……と思うわ」
猿の魔物に目を貫かれた時の痛みを思い出すと、今でも体が震えそうになる。
しかし、あの時。
無力な自分の目の前で信也がボコボコにされていた時とは違い、眼の前が真っ暗になったかのような絶望感はなかった。
「そう……か」
「今回の件は私よりも、由里香ちゃんの方が心配ね。今までだって中学生の女の子からしたら大分ハードな経験はしてきたのに、それでも弱い部分を見せることはなかった。けど、今回は、ね……」
そう言って由里香の方に視線を向ける陽子。
視線の先では芽衣と一緒に穏やかな寝息を立てている。
「これだけは一朝一夕で解決する問題でもないだろぅ。和泉の奴だって、まだ人型の魔物に対しては割り切れてもいないだろうしなぁ」
「そうね。どうにか立ち直ってほしい所だけど……」
それから数分程北条と会話した陽子は、ようやく眠気が訪れたのかおやすみの挨拶を送ると眠りについた。
一人残された北条は、【ライティング】の光量を落とし、この状況でも行える魔法の練習をしながら夜を過ごす。
▽△▽
深夜になって幾ばくかの時が過ぎた頃、由里香の寝息が乱れ始めた。
呼気は荒くなり、苦しそうに呻いている。その様子は悪夢にうなされているようであった。
「…………」
そんな由里香の様子に気づいた北条は、由里香の方へと静かに近づいていく。
その気配に気づいたのか、或いは悪夢に耐え切れなかったのか。
寝汗をかいていた由里香は現実へと引き戻された。と同時に北条が近寄ってきていることに気づく。
「だいじょうぶかぁ?」
「あっ……」
北条の呼びかけにすぐに答えることが出来ない由里香。
未だに悪夢を引きずっているせいもあるが、今の自分の有様では大丈夫! などと言っても信用されないことが分かったせいだろう。
「特製ハーブティー、飲むかぁ? 特別に砂糖を多めに入れてやろう」
そう言って〈魔法の小袋〉からハーブティーの入った容器とカップ。それから木匙と砂糖の入った小さな壺を取り出した。
砂糖といっても現代で売られている砂糖に比べると糖度はいまいちで、不純物なども多い。
それでも貴重な甘味料として高額で取引されている。
その貴重な砂糖を多めに入れたハーブティーを由里香に差し出すと、一瞬戸惑った後に北条からカップを受け取った。
それを一口飲んだ由里香は、ハーブティーの若干の苦みと、多めに入れられた砂糖のバランスに戸惑ったが、そのまま一息に飲み込んだ。
「にがあまっすね……」
「だが、少しは落ち着いただろぅ?」
「ん……」
北条の問いに朧気な様子で答える由里香。
どこからか、狼の鳴き声のようなものが聞こえてくる。
夜はまだまだ明ける気配はない。