第126話 ヘイトシステム
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《フロンティア》領域南部にある湿地帯で、激戦の果てに魔法の武器などの報酬を得て、ホクホク顔で帰還の途につく龍之介達。
すでに彼らは迷宮碑まで辿り着いて、転移部屋へと転移しており、ようやく今回の探索の終わりも見えてきていた。
帰還の途中では、新しい装備を龍之介が楽しそうに振るっていたり、番人での反省などを交えつつの帰路となった。
反省というのは、主に戦闘時における各自の役割のことだ。
今までの雑魚相手ならば、陣形に関しては前衛が前で後衛が後ろ、程度のざっくりとしたものしかなかった。
しかし前回のようなタフなボス戦の場合だと、もっときっちりと役割を決めるのがいい、と龍之介が指摘してきた。
龍之介の指摘というのがらしくないといえばらしくないが、大元の知識はゲームだったりするので、やはり深い考えあってのことではない。
とはいえゲームみたいなシステムが存在するこの世界では、そういった考えも考慮に値する。
今回のボス戦でいえば、防御に秀でている信也が敵の注意を引き付けて、アタッカーである後衛魔法使いと龍之介に攻撃がいかないようにするのが、基本ということらしい。
実際、闘技スキルの中には「魔物の注意を引き付ける」系のスキルというのが幾つも存在している。
こうした"挑発系"のスキルは、人間相手にも効果が発揮される。もっともその効果は大分弱まってしまうのだが。
ただこれはレベル差によって効果の程も変わっていくので、戦争などの大規模な戦闘場面では、高レベルの挑発スキル持ちが広範囲に挑発を掛けて、敵の陣形を崩すなどという戦い方も存在する。
無論相手方もそれに対応し、精神抵抗力を上げるような範囲魔法などで対応したりするのだが、ただでさえ平常とは異なる精神状態になる戦争時だと、上手くいかないこともままある。
まあ、それらは対人間相手への挑発スキルの影響であるが、魔物相手ならばもっとすんなりと効果覿面に機能する。
ヒーラーを含む、魔法職全般は基本的に数が少ないので、防御をフルに固めた前衛一人に攻撃を集中させて戦うというのは、パーティー全員の生存率を上げてくれるのだ。
そして実はすでに、龍之介はそうした挑発系スキルのひとつである"ヘイトスラッシュ"を取得している。
これは、剣で斬りつけた相手に、強い敵対心を与えるスキルだ。
"剣神の祝福"スキルの影響か、龍之介の剣系の闘技スキルを覚える速度は尋常ではない。
帰りの道中では、龍之介にそのスキルの使い方やコツなどを聞いて、信也も練習を開始している。
龍之介はこれまでの戦闘で"ヘイトスラッシュ"を試してきた結果、恐らくこの世界の魔物には、ヘイトシステムのようなものが明確に存在すると確信していた。
攻撃をする、挑発系スキルを使う、回復系魔法を使う……などといった、特定の行動をすることで、魔物の注意がそれらの行動を起こした相手に向いて、攻撃の対象にされやすくなる、というヘイトシステム。
MMORPGなどでは定番のこのシステムについて、龍之介より解説が行われ、帰路の途中では雑魚魔物相手に簡単な検証も行った。
それは戦闘開始直前に、誰もケガをしていないのにメアリーが【癒しの光】を使うというものだ。
その結果、魔物の多くが前衛をすり抜けてメアリーへと殺到することになった。
ダンジョンの魔物はフィールドの魔物とは違い、瀕死になろうが仲間がやられてソロになろうが、構わず侵入者に襲い掛かってくるという特殊な習性がある。
なので、同じことをフィールドの魔物に試した場合、同じ結果にはならないかもしれない。
だが、少なくともダンジョンの魔物の行動原理には、"ヘイト"が関わっている可能性が高いという実験結果となった。
こういったことは現地人であるこの世界の人々の間では、「魔物にも知能や本能があるんだから、回復させてくる相手を狙うのは当然だろう」といった程度の認識しか持たれておらず、ヘイトシステムという発想に至る者はほとんどいない。
中には"回復魔法"の魔力に反応しているのだ、だとか独自の理論を掲げる者もいるくらいだ。
信也達は道中での実験結果に満足しつつダンジョンを脱出し、ようやく自然の太陽の光――《フロンティア》内での似非太陽とは違う本物の日差しを受けて、自然と気持ちが和らぐ。
しかし、それはひと時の安らぎにしかならなかった。
このダンジョンは森の中にある、《サルカディアの泉》と呼ばれる大きな泉の傍に入口が存在している。
従って、ダンジョンから出ると、すぐそこにはどこか神秘さすら漂う風景が待ち受けるはず、だった。
しかし、今日に限ってはまったく逆の光景が飛び込んでくる。
「オラオラ、まだ百も数えてねえぞ。しっかり気張れやゴラァ」
信也達がダンジョンから出る直前から、声だけは微かに聞こえていたのだが、泉のほとりには五人の男達の姿があった。
こっそり脱出しようにも、確実に彼らの目が届く位置にダンジョンの入り口は存在している。
尚且つ五人の中の盗賊職の男は、とっくのとうに信也達に気付いていたので、どちらにせよ接触は避けられなかっただろう。
彼らは泉の傍に固まって屯っており、ドワーフの男は地面に跪き、長身の筋骨隆々の男を背に乗せている。それは燃えるような赤髪を無造作に伸ばした男だった。
残りの三人の中のひとりである獣人の男は、後ろ手に縄で縛られた状態で、うつ伏せで水辺に寝かされている。
上半身を反らしておかないと、完全に顔が水中に埋まるような位置だ。
その獣人に馬乗りになるような体勢で押さえつけている男が、先ほどの声の主のようで、傍では男にしては小柄な体躯をした、小悪党ヅラした男がニヤニヤと苦しむ獣人の様子を見ていた。
「ゴホッゴホッ……」
「ヨーシ、じゃあ次いくぞ。次は意識を失うまで、ずっと俺が補助してやるぜ」
「ヒャー、流石はドヴァルグの旦那。お優しいでやすね。キシシシシッッ」
背を反らしてどうにか水中から抜け出していた獣人が、苦しそうに口から水を吐き出しつつむせる。
だがそんなことはお構いなく、打ち上げられた魚の如く口をパクパクしている獣人の頭を、男は容赦なくつかむと強引に水中へと押し付ける。
「グアァバッ……ゴバゴバッ……!!」
準備もなく水中へと引きずり戻された獣人は、咄嗟のことに肺の中の空気まで最初から吐き出してしまう。
苦しさの為か、後ろ手を縛られた獣人は芋虫のようにのたうちまわるが、その背に座っている男のせいで、満足に動くことすらできない。
その光景をドワーフの椅子に座った男は興味なさげに見ていたが、信也達がダンジョンから出てきたことに気付くと、興味を引いたようで視線をそちらへと向ける。
「お前達、何者だ?」
低いがよく通る声で尋ねてきた赤髪の男に、眼の前の惨事に固まっていた信也達は、すぐに返事をすることができなかった。
その間にまるで忠実な子分でござい、とばかりに、小柄な男が質問した男の下へと駆け寄っていく。
「親分、あいつらは恐らくこのダンジョンを発見したっつう、新人冒険者だと思いやすぜ」
「なるほど……な」
そう言って信也達のことを一通り見回す。
特に何か気になることでもあったのか、長井に対しては妙に執拗な視線を向けてくる。
妙な緊張感の中しばらくの間、辺りを無言が支配する。
獣人の男は既に窒息して気を失っており、無造作に近くに寝転がされていた。
そして先ほどまでその獣人を責めていた男も、信也達とのやりとりを興味深そうに眺めている。
この沈黙を破ったのは、先ほどの光景を見て以来、強く拳を握りしめていた龍之介だった。