閑話 転移前 ――石田編――
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周辺には田んぼが広がるのどかな田園風景が続き、近くのコンビニに行くのにも車がないと不便。
自然も多く残っていて、夏には蛍まで見ることが出来るほど、昔ながらの自然がそこかしこに見られる場所。
そんな田舎に生まれ育った石田は、幼いころから無口……というよりも、ボソボソっとした喋り方のせいで、何を言っているのか聞き取り辛かった。
学校の先生やクラスメートからは、何度もそのことを指摘され続け、その度に幼心に黒い感情をたぎらせていたような、暗い子供時代を過ごしていく。
そういったことでたまっていく鬱屈を晴らすために、そこらにいる小さな虫などを踏みつぶしたり、直接指で胴体部分をもぎ取ったりして、積もりに積もった憂さを晴らしていた。
一応、本人は隠れてそういった行為を行っていたつもりではあったが、家族は元より、クラスメートにもそういった奇行は知られていた。
子供というのはちょっとした"異分子"を深い意味もなく排除して、小さな優越感を感じたりすることがあるものだが、石田の場合は余りに周囲がドン引きしすぎて、誰も彼に構うことはなかった。
石田はそういった自分へと向けられる視線を強く認識していたが、被害妄想の気が強い石田は、本来の視線以上のものとして受け取っていた。
「……どいつもこいつも、クソみたいな眼で俺を見やがって」
こうして子供の頃には既に負のスパイラルが完成していた石田は、その後も順調にズレていく。
そのように日々過ごしていく内に、実家ですら石田にとっては心休まる場所ではなくなっていた。
特に大学受験に失敗して浪人していた時などは、両親からの無言の圧力をよく感じていた。
実際に両親がどう思っていたのかは分からない。
ただ、石田は必要以上にそうした圧力を感じており、やがて「お、無駄飯食らいがおかわりするのか?」とか「~ちゃん家の~君は一流大学に合格したというのに、うちの子は……」などといった、幻聴まで聞こえるようになってくる有様だ。
もしこの状況が何年も続いたら、昼のワイドショーの恰好のネタになるような事件にまで発展していたかもしれない。
しかし、幸いといっていいのか、石田は一年の浪人期間を経て、東京のそこそこの大学に進学することが出来た。
以降はアパートを借りて大学に通いつつ、仕送りとバイト代で暮らす一般的な大学生、といった身分となった。
この時点で石田は矛盾には気づいていない。
本当に自分を疎んでいたのなら、仕送りなど送って来る訳はないのだ。
石田は当然ながら、実家がそれほど裕福ではないのを知っていた。
なのに、何の疑問も抱かずに仕送りを受け取り、毎度のように「もっとよこせよ」などと思っていた石田には、両親の気持ちは届いてはいなかったようだ。
仕送りの額は、節約をすればどうにかこうにか生活できる、といったレベルであったが、時折実家から送られてくる野菜などの「援助物資」を含めれば、十分生活は可能だった。
しかし、そういった質素な生活に耐えられる石田ではなく、遊ぶ金欲しさにバイトを始めていた。
実家のあった田舎とは違い、選り好みしてもある程度選択の余地があるほど、バイト先の選択肢はあった。
だが、石田はどのバイトも長続きすることはなかった。
それは本人にやる気がなかったとか怠慢だった、という訳ではない。
石田は石田なりに、まともにやっていたつもりではあったが、傍からみると十中八九……どころか、百人中百人が指摘するほど勤務態度が悪かったのだ。
「キミねぇ、お客様に対してあの態度はないんじゃないかなあ?」
「ねえ、アンタ。何考えてるの? ちょっと普通じゃないわよ」
そういった罵声を浴びせ続けられた石田は、それでも懲りずにクビになったら新たなバイトを探す、ということを繰り返していた。
その内、どういったことをするとクビになるのか、ということを徐々に覚えていく。
だが、それは実体験を基にしたものであって、肝心の「なんでそうしたらダメなのか」が、石田には理解できていなかった。
例えば、客相手には言葉遣いに気を付ける、というのは理解しても、職場の同僚――それも先輩しかいない――相手に、タメ口どころか横柄な口の利き方をして怒られる、といった感じだ。
それでも学生時代にいくつも転々として学んだ実体験は、後に大学卒業後に就職した会社でも活かされることになった。
しかし石田が問題なのは、何も勤務態度の問題だけではなかった。
単純に「仕事ができない男」だったのだ。
一度説明すればわかるようなことを何度も失敗する。
失敗する前に質問してこい、と言っても質問をしてこないし、自己判断で勝手なことをされて、余計失敗が大きくなる。
~をしろ、と命令しても、心の中で反骨心ばかり膨れ上がっている石田は、素直に上司の言うことを聞くことができない。
結果、石田は就職して三年で仕事をクビになってしまった。
それも最悪なカタチでクビになった石田には、三年分だけとはいえ、通常なら支払われるはずだった僅かな退職金すら、支払われることはなかった。
「クソ! 今思い出してもいまいましい! 不当に俺を貶めようとしたクズをぶん殴っただけなのに、なんで一方的にこちらが悪者にされてんだ!」
石田はそのように認識していたが、実際は不当に貶めようとした事実などはなかったし、ただ「ぶん殴っただけ」とは言えないほどに、相手の男は全身にケガを負っており、全治半年と診断されていた。
「今だって、新しい仕事がなかなか見つからねーのも、あのクソ野郎が裏で手をまわしてるからに違いねえ」
ろくに貯蓄をしてこなかった石田は、すぐにでも新しい仕事を見つける必要があった。
一応懲戒解雇であっても、額面などで不利にはなるものの、失業保険をもらうことはできる。
しかし、自分がしでかしたことを考えたのか、はたまたそういった制度のことすら頭に浮かばなかったのか、石田の脳裏には次の仕事探しのことしかなかった。
「ちっ、こうなったらブルーワーカーの仕事も視野にいれねーとな……」
世間からの評価は決してよくはない石田だが、石田自身は自分のことを不相応に高く見積もっており、肉体労働者や現場作業員に対しては、明らかに格下とみて蔑んでいた。
だが、今の状況では選り好みをしてる余裕もない。
早速、新たな選択肢を加えた石田の再就職活動が始まった。
▽△▽△
「チィ、ようやく見つかったか。ったく、手こずらせやがって」
以前の会社でムカツク上司をぶん殴って以来、石田の心の箍は少し緩み始めたようで、それが表にも出てしまっていた。
送付した書類審査はどうにか通っても、面接で落とされる、ということを繰り返していたのだ。
だが、ようやっとそんな石田にも拾う神が現れたようだ。
求職中だというのに節制をしていない石田は、すでに消費者金融から限度額いっぱいまで融資を受けており、その返済もしていかないといけない。
また当人はばっくれるつもりでいるが、前職を辞めるきっかけとなった上司からは、治療費も請求されており、幾ら金があっても足りないといった状況だ。
「運送ドライバーか。まさか俺がこんなことをやる羽目になるとは……何度思い出してもあの野郎には、はらわた煮えくりかえるぜ」
東京に出て以来、車を所有したことはなく、実家にいた頃に時折家の車を運転した程度だった石田。
面接ではそんなことはおくびにもださず、その結果として採用が決まったのだが、石田はその辺りのことに対し、特に不安を感じている様子はなかった。
東京と田舎では交通量がそもそも段違いなのだが、やたらと自尊心の高い石田は「車の運転位はできる」と甘くみていた。
それが後々に大きな事故を起こすことになるとは知らずに……。
▽△▽△▽
「ふああぁぁあ……。ったく、ねみーったらありゃしねえ。昨夜は遅くまで『ブラファイ』をやりすぎちまったか?」
あくびを堪えることもなく盛大に口を開けながら、トラックを運転している石田。
最近石田は、格闘ゲーム「ブラッシュファイターズ」の通信対戦にはまっていた。
こと仕事などに関しては自意識が高すぎる石田ではあったが、このゲームに関しては、その高い自意識に釣り合うレベル――アマチュアの中では上位レベルの実力――を持っていた。
そしてたちが悪いことに、格下の相手をみつくろっては、わざと相手に三戦先取の内二勝まで勝たせ、そこから徹底的にハメ技なども駆使して、相手に屈辱を味わわせてから逆転勝利する。
おまけで最後に挑発コマンドを送ると、相手によってはその場で通信が切れてしまうこともあった。
そういった反応を見ることが愉快でたまらず、つい昨日も遅くまでプレイしてしまったという訳だ。
「うううん、どうにも頭がシャッキリしねえなあ。確かこの先にコンビニがあったはずだ。そこで何か眠気覚ましでも買うか……」
ドスンッ!
そんなことを考えながらトラックを走らせていた石田は、唐突に走る衝撃に体が前につんのめりそうになる。
あれほど口を酸っぱくされて指導されているというのに、「きついし苦しいから」という理由で石田はシートベルトを着用していなかった。
これがもっと大きな衝突だったら、運転席に体を強打していたかもしれない。
「っつつつ、なんだぁ一体」
衝撃の混乱から立ち直った石田は、フロントガラスの先に映る光景を見て、すぐさまに自身がやらかしてしまったことに気付いた。
そして、道の反対側にいた中学生くらいの男の子が、慌てた様子で携帯を取り出しているのを見て、石田は咄嗟にアクセルを切った。
道路に横たわっていた物体を避けてトラックを走らせる。
バックミラーには、先ほどの中学生がこちらへと向け、携帯を向けている様子がチラッと映っていた。
「…………クソがっ!!」
状況を完全に把握した石田は、悔しさと怒りの余り右手を思いっきりハンドルへと叩きつけた。
プアアアァァーーー。
と同時に鳴り響くクラクションの音を気にもせず、石田は車を走らせながら今後のことを考え始めていた。
しかし、幾ら考えてもこの状況の打開案は浮かばなかった。
元上司への治療費の支払いはばっくれるつもりであった石田だが、流石に今回の件を同じように逃げ通せるとは思えなかった。
「どうする? ……どうする? …………アアアアアァァァ!!! ちくしょうがああ!! 何であんなところに『当たり屋』がいるんだゴラアアアアッッ!!」
都合の悪いことを考えられない石田の頭の中では、既に先ほど轢いた相手は「当たり屋」になっていた。
元々寝不足で思考能力が鈍っていた石田には、一時停止の標識など目に入ってはいなかったのだ。
結局そのままあてもなくトラックを走らせ続けた石田は、会社には報告もせず戻りもせず。そのまま自宅へと引き返した。
そして必要なモノを取り出すと、自宅まで乗り付けてきたトラックはそのままに、いずこかへと姿を消した。
人気の少ない田舎の道での事だったら、もしかしたらすぐにはばれずに済んだかもしれない。
しかし今回は昼間の住宅街とはいえ、隣の家まで何百メートルと離れている、田舎のソレとは話が全く違う、都会での出来事だ。
そもそも事故現場のあの少年には、高確率で携帯で撮影された可能性があった。
実際早い段階で事故を起こした容疑者として、すでに石田の身元は割れていた。
そして、捜査の手は石田のアパートにも迫っていたが、すでにそこはもぬけの殻であった。
だが念入りな準備を整えていたならまだしらず、突発的な出来事で逃亡を図っても、すぐに捕まるのが関の山だ。
実際数日後には、石田が密かに潜伏する付近にまで、警察の捜査の手は伸びていたのだ。
しかし、結局の所、石田は最終的には警察の捜査の手から逃げ切ることに成功する。
そう、ティルリンティという名の『異世界』へと招かれたことによって……。