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作者: 狗駒 青

ここには、沢山のものを否定した形跡があります。

「人間」好きな方は、できるだけ避けてください。

ここには、多少のあおり文句が含まれます。

喧嘩っぱやいヒトも、できるだけ避けてください。

人間―――それは、血肉と骨と無駄な知識の『塊』。


僕たちは『人間』と呼ばれているけど、実際はただの『塊』。動物は、単純に『動く』『生物』と呼ばれているのに、何故? 種類でもなく、名前でもない『塊』たち。


 無駄に豊富な知識の中で、無駄に無意味なことを繰り返しては、人との交友を求めて彷徨い、揚句の果てには、それらが原因で争いになり、余計な傷を増やしていく。


 そんな『塊』に、一体何が出来るというのか。

 無駄に知識があるのだから、何かを考えて行動することはできるだろう。だが、それがどうした。そんなもの、動物だってできる。


 そう考えていくと、僕たちができることは、無駄な会話に無駄な争い、軽く高度な創作や激しい環境汚染くらいであろう。まぁ、最後の一つは出来ない方がいいのだろうけど。


 

 そして、僕は思った。

 僕たちなんかよりも、きっと『動物』の方が頭がいいと。

 

 だって、人間社会よりも、動物社会は危険だ。そして、そこで生きている『動物』たちは、かなり危険な状況にいる。ということは、そんな状況を生き抜いている『動物』たちは、かなりの体力と精神力、そして知識が必要とされる。


 その点、僕らの社会はとっても平和だ。


 表向きは。


 

 裏では、沢山の人間が悪事を働き、人を陥れ、社会を崩している。

 イジメや裏取引、自殺や殺人などが、大きな問題である。


 そういった点を含めば、きっと動物世界の方が安心だ。

 面倒ないざこざを心配することもなく、上下関係を気にすることも無く、何かに縛り付けられることなく自由に暮らせる。その代わり、自立生活が強いられるが、強制団体生活よりはマシだろう。


『動物』にも家族はいるだろう。友人や恋人と呼べる存在もいるだろう。

 だが、皆助け合って生きているし、きっとそれが一番安全で安心で幸せだからだろう。


 僕たちは、助け合って生きていかなければいけないほど、危険な場所にいるのだろうか?


 そもそも、助けられているのだろうか?

 

「楽しい」と思うときより、「憎い」「悔しい」と感じるときが多いのは、なぜだろうか?


 

 そういった点を見ると、人間社会はかなり窮屈で面倒で危険だ。


 動物虐待、なんてことが起きているけど、やっている人たちは、『動物』のことを下等生物としてみているから、そんなことが出来るのだろう。だが、明らかに僕たちの方が下等生物であるということを、きちんと理解してもらいたいものだ。




 

 散々言ってきたが、そんな『塊』とでも、楽しく笑えるときがある。

 強制団体生活をすることによって、僕たちは今、生きていられるのだ。

 とても矛盾しているが、どうでもいい。

 僕はただ、この一言が言いたかっただけだから。










 





 



 財布落とした。


なぜか、『ヒト』を『塊』として見たくなってしまったので、つらつらとキーボードで指を走らせましたが……

ちょっと、途中から意味が不明な状況になってしまっています。どうしたものか……

軽く、『人間』を否定したものがありますが、けして『人間』が駄目だということは書いていません。勘違いをしないでくださいね。

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― 新着の感想 ―
[一言] 嫌いじゃないですよ これからも頑張って!!
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