尽きぬ問題
ある小さな町でのことである。
――春。
出会いと別れと新たな生命の誕生を象徴する、うららかな春の一日。
朝日が昇り、次々と民家の窓が開かれる。
彼らはけして裕福ではない。
だが充実はしていた。
それは金銭的なことではない。
庭には花が咲き乱れ、木には小鳥がとまり、まさに小さな自然をそっくりそのまま人間の生活に当てはめたような美しい光景だった。
ある民家の風景。
1階では母親が朝食の準備をしている。
そのそばでは体格のいい父親がイスに座り、新聞を流し読みしていた。
田舎の生活とはこういうものだ。
まだまだ情報源の中核は新聞や雑誌が担っていた。
卵焼きの香りが室内に行き渡ると、2階から小学生くらいの男の子が降りてきた。
男の子はさっと走ってきてテーブルに自分の位置を確保し、朝食はまだかと母親に催促する。
「はいはい、もうすぐできるから待ってなさい」
母親の優しい声がキッチンから聞こえる。
ほどなくしてテーブルに皿が並べられた。
その上の美味しそうな湯気を立ち昇らせるベーコンエッグが食欲をそそる。
おおかたの準備が整ったところで、父親が新聞を半分に折りたたみ、テーブルの脇に置いた。
「いい匂いがするな」
「いつもパンばっかりだから、たまにはね。油と調味料にこだわってみたの」
いただきますも言わずに箸を伸ばす父親に、母親は小さく微笑んで言った。
「ところであなた」
「ん? なんだ?」
「食べてるところ悪いんだけど……」
「何だよ改まって。言ってみろよ」
母親は言いにくそうにしている。
「キッチンにね……出たのよ」
「出たって何だ? 幽霊か?」
「幽霊のほうが良かったわよ」
「ばか。幽霊ほど出たら嫌なものはないぞ」
「幽霊は無害だからいいのよ。チョロチョロ走り回ったりしないし」
「ってことは、ゴキブリでも出たのか?」
「そうじゃないわ。出たのはネズミよ」
「なんだ、ネズミかよ」
「あなたは平気かも知れないけどね、私はああいうの大嫌いなのよ。思い出しただけで気分が悪くなるわ」
「聞いた俺だっていい気はしないよ」
「だから食べてるところ悪いけど、って言ったでしょ」
「分かったよ。帰ってきたら退治してやるから」
「お願いね」
ネズミが出たことを除いては、じつに平和な家庭だった。
父親がネズミ退治を引き受けた後はこれといった話題もなく、3人ともがテレビを見たりしながら朝食を楽しんだ。
『大陸から吹き込んだ停滞前線は以前南下を続け、季節の変わり目を伝えようとしています。しかし、気圧の影響で今後しばらくはジメジメとしたうっとうしい天気が続き――』
“ジメジメしたうっとうしい”と言いながら、キャスターは実に爽やかな顔をしている。
「最近、こんな天気ばっかだな」
べつだん興味もなさそうに父親が言った。
「そうね。お隣も言ってたわ。洗濯物が乾きにくくて嫌だって」
「お母さん、天気が悪いとどうして乾きにくいの?」
「それはね。お日様が顔を出さないからなのよ」
「お日様が顔を出さないとどうなるの?」
「お日様にはね、洗濯物を乾かす力があるのよ。だから、曇ってちゃ洗濯物が乾かないの」
「ふーん。じゃあ、どうやったらお日様は顔を出してくれるの?」
「それはね……」
母親はまた子どもの質問攻めが来たと途方に暮れた。
この年頃はとにかく何でも訊きたがる。
子育ての経験のある者に言わせれば成長している証拠だということだが、それにしても質問の難易度が高すぎる。
教科書に乗っているような質問をして親の威厳を守る、なんて気の利いたことはしてくれない。
「あなた、お願い」
さらりとバトンを渡す。
「毎日空に向かってお祈りするんだ。そうしたら雲がなくなって、そこからお日様が顔を出すんだ」
父親は苦笑しながら言った。
「じゃあ、みんなどうしてお祈りしないの?」
子どもは素直だ。
「大人になれば分かるさ」
「じゃあ、お父さんは知ってるんだね?」
「はっはっは、お前は頭がいいな。お父さんはお前の将来が楽しみだよ」
父親は飲みかけのコーヒーを一気に飲み干すと、スーツに着替えてさっさと会社に出かけてしまった。
「僕も学校行ってくる」
子どもはさっきの答えも分からぬまま、元気よく家を飛び出していった。
2人を見送った母親はテーブルの上を片付けると、スコップを手に庭へ出た。
趣味のガーデニングの時間だ。
興味のない者から見れば何が楽しいのかと思うが、庭の土を掘り返すだけでもそれなりに面白いらしい。
こういう作業は晴天の下でやったほうが気分もすっきりしていいのだろうが、今朝はあいにくの曇天だ。
喜び勇んで花の手入れをしようとしていた彼女は、目の前の光景にしばらく我を忘れてしまった。
昨日まで赤々とした表情を見せていたポインセチアが見るも無残な姿になっていた。
少し大きめの植木鉢は数枚の破片となって土の上に散乱し、根はちぎれ、花弁は引き裂かれていた。
「何、これ……」
改めて見渡してみると謎の被害にあっているのはポインセチアだけではない。
葉牡丹もシクラメンも、手塩にかけて育ててきた花たちはその美しい姿を寿命とは違う理由で散らしてしまっている。
茫然として立ち尽くしていると誰かが声をかけてきた。
「ちょっと、奥さん」
見ると、隣に住んでいる女だった。
田舎はもともと近所の付き合いは盛んだが、彼女らは同じガーデニングという趣味を持っている事もあり、常々話題に困ったことはない。
「あら、奥さん。おはよう」
元気のない声で軽く挨拶する。
「あら、じゃないわよ。そっちもやられたみたいね」
「そっちも、ってこれ? じゃあ、お宅も?」
「そうなのよ。さっき見てみたら、根っこごと掘り返されてたわ」
「何なのかしら?」
「近所のいたずらっ子じゃないの?」
「それにしては悪質すぎるわよ。人の敷地まで入ってくるなんて」
「そうよねえ」
同じ被害に遭った人を知って安心すると、今度はふつふつと怒りが湧いてくる。
「わたし、ちょっと向かいの人に訊いてみるわ」
「待って、私も行く」
2人は類を求めて、数メートル先の家のベルを鳴らした。
「え、庭? ちょっと待ってて」
家人は慌てて庭の方へ走っていった。
だがすぐに戻ってきて、
「うちもやられてたわ。誰がこんなことを」
憤然として言った。
「もしかしたら他にも同じような家があるかもしれないわね」
「そうね、町長さんに相談してみましょうよ」
「警察が先じゃなくて?」
「ダメよ。ここの警察は頼りにならないもの。この前だって食い逃げを捕まえたってだけで1ヵ月ちかく自慢して回ってたんだから」
女は呆れたように言った。
その日の昼過ぎ。
3人は近隣を回って同様の被害を受けた数名を集め、町長宅へ向かった。
「これは皆さん、どうされましたか? またずいぶんとお集まりで」
この男はいつも笑顔を絶やさない。
笑っていればどんな窮状も必ず好転する、というのが彼のモットーだから、女たちが怖い顔で押し寄せてきてもそれは変わらなかった。
「そんな悠長なこと言ってる場合ではありませんわよ。町長なら、この町の現状をもっと把握していただかないと」
「把握と言われましても、このとおり安泰で……」
「いいえ、よく見てください。こんなに被害に遭った人がいるんですよ?」
「どうかなさったんですか?」
のんびりとした様子の町長も、被害という言葉が出てくると穏やかではなくなる。
「今朝、私たちの庭が何者かに荒らされたんですよ。子どものいたずらならまだいいとしても、重大な犯罪につながるかもしれませんわ」
「はあ…………」
「はあ、ではありませんよ。どうにかしてくださいな。頼れるのは町長さんだけなんですから」
「いえいえ、荒らされたのが家の中でなくてホッとしていたんですよ。皆さん、それは猫か何かの仕業じゃないですか?」
このところ野良猫が増えている。
これが凶暴な熊や猪となると早急に対策を立てる必要があるが、それくらいならと町長も悠然とかまえていた。
「あら、そういえばそうかもしれませんね……」
初めから人間の仕業だと決めつけていた彼女らは、誰ひとりその可能性を考えていなかった。
「いいえ、だからって見過ごすワケにもいきませんわ。猫なら猫で退治するなりしてください」
今度は猫を退治しろとのご要望である。
「分かりました。この件は役場の皆さんとも相談して然るべき対処をします」
にこやかな笑顔だけでは乗りきれないと悟った町長は職務を全うすることにした。
たしかに野良猫も増えすぎれば衛生面での被害が懸念される。
庭をちょっと掘られたくらいで文句を言うな、というのが彼の本音だが任期はまだ2年もある。
こんなつまらない事案で町民の信を失うワケにはいかない。
ここで汚名を着せられ敵視されれば、よほど図太い神経でなければこの町で生きていくのは難しくなる。
そうした後先も考えて彼は慎重に検討する姿勢を見せた。
数日後。
会議室に町民およそ30名が集められた。
「本日はお忙しい中をお集まりいただき、ありがとうございます」
町長の前口上は笑顔でなされるものだから真剣さが伝わってこない。
一方で集まった者たちはぴりぴりしていた。
「この度、多くの方から猫による被害を受けたとの訴えがありまして、その対策を練るためにお集まりいただきました」
ここまでに既に十数件の苦情が寄せられていた。
目撃者も多数おり、野良猫が原因であると確証を得たため召集したのだ。
職員が周辺の地図を配布した。
「お渡しした地図には、寄せられた情報を元に野良猫被害のあった場所を赤で示してあります」
民家や田圃を中心にところどころが赤く塗りつぶされている。
「けっこう広範囲じゃないですか。これ、同じ猫じゃないですよね?」
町民のひとりが苛立たしげに言った。
彼の家の網戸は猫の爪研ぎに利用され、3回も取り換えるハメになった。
「確かなことは言えませんが、少なくとも十数匹の個体を確認しています。そこで――」
目撃情報を元に職員たちで捕獲作戦を実施するという。
捕獲器の類は既に用意されていた。
被害がなくなるまで徹底的に行う、と町長は豪語した。
ただしできるだけ猫を傷つけないように細心の注意を払ったうえでの作戦だ。
これには町民も安堵した。
被害には悩まされているが残忍な方法はよろしくない。
人にも動物にも優しい町を実現できれば、町長としての株はさらに上がる。
そういう打算もなくはなかった。
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さらに数日後。
女は庭の植木鉢が割られているのに気付いた。
買ってきたばかりの花も根元から掘り返されている。
「まただわ……」
他の家はどうなっているかと彼女は近隣に声をかけてみた。
結果は予想したとおり、少なくとも数軒が同様の被害に遭っていた。
庭だけならまだしもゴミ捨て場も荒らされるようになり、衛生面での被害も深刻になってきた。
これはいったいどういうことかと、再び町長宅へ乗り込む。
「ああ、そのことについてはですね……」
この男は愛想笑いを浮かべるシチュエーションを完全に間違えている。
「実は上手くいかなかったもので……猫もすばしこいですから」
「徹底的に行うと約束したじゃありませんか!」
「よく分かっております。我々もいろいろと捕獲方法について検討しておりましてですね……」
つまるところ作戦は失敗である。
彼によると職員総出で当たったが結局、この数日で1匹しか捕まえられなかったという。
そこでより効果的な方法を模索した結果、ある装置を導入してはどうかという案が出た。
しかし導入には多額の費用が掛かるということで後日、町民の意見を聞くために再度、集会が開かれた。
「まず皆さまにご報告しなければならないことがあります。
さすがにここでは微笑もできない。
町長は残念そうに切り出した。
「前回、野良猫を一網打尽にするとお約束しましたが、結果はわずか1匹。まことに痛恨の極みです」
成果こそ奮わなかったものの、彼は真剣に取り組んできたことをアピールした。
罠をしかけ、巡回や張り込みを絶やさず、連携も密に行なってきたと。
だが知恵比べでは野生の猫に分があったようだ。
「もう少し時間をいただければ被害を抑えることはできると思います」
たとえ1匹といえども捕獲したのは事実だ。
しかし相手は野良猫。
このペースでは繁殖のほうが早いだろう。
町長はこの点を踏まえて次のように提案した。
「――そこで今回、海外のメーカーからとある装置を購入すべきかを検討中でございます。
この装置は特殊な音波を発生させ、猫をおびき寄せるというものです」
職員が手早くパンフレットを配った。
20メートル四方の巨大な装置だ。
外観は白い箱で、天辺には音波を発生させるアンテナが放射状に取り付けられている。
「本当に効果があるんですか?」
「その点は我々も確認したので大丈夫です。海外での実績もかなりあるということだそうで」
「で、この装置で誘導して捕獲する……ということですね? ところで設置する場所は?」
「役場近くの空き地を拡げて設置を検討しております」
近年、住民の流出が続いていて空き地や空き家が多くなっている。
町は過疎化を憂えて流入に積極的だが、こういうときは人口が少ないことが役に立つ。
「ただ……ひとつ問題がありまして。導入に際してかかる費用が高額でございまして……詳細はお配りした資料に」
本体価額に加えて設置費用、維持費用などを考慮すると町の予算にかなり食い込む計算になる。
そこで町長は賛否を問うた。
地道な捕獲を続けるか、装置を導入するか。
前者を採れば費用は少なくて済むが効果のほどは怪しく、捕獲が繁殖のスピードに追い付かない可能性もある。
被害は個人宅の庭に留まらず、ゴミステーションの衛生問題、疫病、怪我、事故へと広がっていくだろう。
後者を選べば装置の効果によって大量捕獲が期待できる。
被害の拡大どころか原因そのものを一網打尽にできるから、町の安全や衛生は保たれるだろう。
ただし高額な費用がネックで、継続しての使用は予算が足りない。
税収ではまかないきれず、町民からは別途負担を強いることになる。
会は揉めに揉めた。
深刻な被害に悩まされている者は装置を導入すべきと迫った。
多少の金銭的負担など、今後も続くストレスに比べれば安いものだ。
他方、被害とは無縁の世帯もある。
たまたま野良猫に目をつけられず、ゴミステーションからも遠い家の人間は装置の購入に否定的だった。
町のためか、個人のためか。
数時間の議論の末、装置を導入することで決着がついた。
「皆さんのご理解とご協力に感謝します。装置が届き次第、設置、運用を開始します」
どうにか場が収まったことで町長は胸をなでおろした。
装置の効果は絶大だった。
猫の好きそうな食べ物を並べた幼稚な罠には見向きもしなかった彼らは、発せられる音波に吸い寄せられ、待ち受けていた職員たちに捕獲された。
その数は一区画だけでも数十匹に及び、しばらくは役場に野良猫専門の部署が設置されたほどだ。
捕獲された猫たちは保護活動を行っているボランティア団体を通して譲渡会に出され、志ある飼い主に引き取られていった。
だがそれだけではとても足りず、不幸にも保健所で処分された個体もかなりの数にのぼってしまった。
町民は彼らの行く先までは知ろうとはしなかった。
ただ猫の姿を見なくなり、被害がなくなればそれでよかったのだ。
町長の英断は称賛された。
金銭的な負担に対する不満はまだ燻っていたが、それもやがて衛生や景観のためだということでどうにか折り合いがつくようになった。
こうして町に平穏が戻った――のは、わずか1ヵ月だった。
ひとつの解決が新たな問題を生んだのだ。
「皆さん、お集まりいただきまして――」
そのために3度目の集会が開かれた。
ここしばらく笑顔だったせいで、この深刻な事態に神妙な顔つきをしても目じりの皺は隠せない。
「先週あたりから問い合わせといいますか苦情といいますか……ああ、いえ、要望のようなものをいただきまして――」
歯切れは悪い。
それもそのハズ。
集まった町民の批難がましい目が注がれているからだ。
「ご存じかと思いますが、町のあちこちで野良猫による被害が相次いでいるとの――」
「どういうことなんですか!?」
声を荒らげたのは当初から野良猫被害に遭っていない世帯の男だ。
負担金だけ徴収され、その効果がたった1ヵ月で切れたことに彼は憤った。
「あの装置を導入すれば猫を捕まえられる。町のためだからと我慢して金を払ったのに、これじゃ無駄遣いじゃないか!」
批難の声はそのまま導入賛成派にも向けられた。
「だから私は反対したんです。なのにおたくらときたら、庭が汚されるとかどうとかで――」
事態を矮小化しても極大化しても、装置の導入は間違いだったという論調は変わらない。
「皆さん、どうか落ち着いて。経緯をご説明します。あの装置はたしかに音波で猫を集めました。ところが効果がありすぎて、あちこちから猫を集めてしまったのです」
装置を使い続けた結果、遠くは山を越えて猫を集めるほどだった。
音波の強さを調節する機能は無く、あるのは稼働・停止を切り替えるスイッチだけだという。
「なら止めればいいんですよ。そうすれば維持費も掛からなくて済むでしょうに」
「もちろん停止しました。しかし既に集まっている猫をどうにかしなければなりません」
そしてその方法はといえば装置に頼れない以上、職員たちの手で捕獲ということになる。
結果は考えるまでもない。
さらに悪いことに装置の性能が良すぎたせいで、猫の数は装置を導入する前よりもはるかに多いという。
「このままでは状況は悪化するばかりです。そこで海外より新たな設備を購入しようと考えています」
町民に配られたパンフレットには、黒い箱のような装置が掲載されている。
こちらも20メートル四方で、先に導入したものと同じようにアンテナが何基も取り付けられてあった。
「これは音波を発生させる点では同じですが、今度は猫が嫌がる周波数に設定されています。つまり猫を遠ざけるのです」
これなら稼働させるだけでいい。
おびき寄せて捕まえるワケではないから人の手もかからない。
ただ問題は――。
「費用の面で折り合いがつかず、申し上げにくいのですが皆さまには……」
新設備導入のための負担を町民が被らなければならないことだった。
議論は紛糾した。
誰だって金は出したくない。
負担を強いる前に区側が失敗の責任をとるべきではないか!
町長は辞任するべきだ!
設備導入の是非という議題から責任追及に発展し、喧々囂々の怒号が飛び交う事態となった。
しかしこうしている間にも猫は増え続け、被害の叛意は拡大している。
町長は批判も辞任も覚悟で導入を決定した。
ここで保身のために決断を先延ばしにしていては町のためにならない。
どのような批難もお叱りも受ける!
しかし町のためにいま一度、協力をお願いしたい!
床につくほど頭を下げる彼を見て、町民は渋々ながら設備の導入に賛成したのだった。
彼女は久しぶりのガーデニングを楽しんだ。
曇り続きだった空も久しぶりに晴れ渡り、降り注ぐ陽光が心地良い。
新調した植木鉢を並べ、それぞれに買ってきたばかりの種を植える。
爪研ぎに使われた柵も取替えた。
半年もすれば庭のあちこちから芽吹き、見栄えは今よりずっと良くなるだろう。
「みんながお祈りしたからだね」
男の子が空を指差して言った。
「ええ、そうよ。よく覚えていたわね」
陽射しを受けて男の子の笑顔も輝く。
朝方に干した洗濯物も間もなく乾くだろう。
少し前までは野良猫によるいたずらがあったから、洗濯物は室内干しにしていた。
無事だった植木鉢を引き揚げたり、門扉への放尿を避けるために忌避剤を散布したりと手を煩わされることばかりだった。
今やそれらから解放され、誰の顔も晴れ晴れとしていた。
これが平和というものだ。
「さて……」
昼までに買い物を済ませておこうと部屋に戻りかけたところで、彼女は隣人に声をかけられた。
後ろには数名の男女の姿があった。
「お留守じゃなくてよかったわ」
「どうかしたの?」
「私たち、これから町長さんのところへ行くの。ほら、あの件で」
隣人の口調で彼女は理解した。
「それなら私も行くわ。買い物に出るところだったから」
「助かるわ。人数が多いほうが私たちの気持ちも伝わると思うから」
この日、町長は役場の執務室にいた。
ここ数日、町民の訴えを解決するのに奔走していたせいで事務仕事が溜まっている。
朝から決裁印を押し続けていたので、手を休めるために彼は椅子にもたれかかった。
「失礼します」
秘書が遠慮がちに入ってきた。
彼の心労はよく知っていたので、仕事の話をするときはいつも申し訳なさそうにしている。
「町長に訴えたいことがあるということで今、町民が来ています」
彼は嫌そうな顔をした。
今度は何を言ってきたのだ。
町のためにと彼らの声には耳を傾け、仕事には真摯に取り組んできた。
おかげで信用を得ることができ、より良い町づくりは実現できている。
しかし最近は要望が多いような気がするのだ。
これでは町長としての他の職務にまで手が回らなくなる。
「今日は忙しい。重要なことでなければ日を改めるように言ってくれないか?」
「お気持ちは分かりますが、町民には例の設備の件で2度も金銭的な負担をお願いしています。ここで追い返しますと信に関わりますよ」
彼が今も町長を続けられるのは、これまで町民に寄り添ってきたおかげだ。
つまり積み上げてきた信頼と実績と引き換えにあの巨大な設備を2基も購入したことになる。
秘書の言うように訴えを退けてしまっては評価はマイナスとなり、この座も追われてしまうかもしれない。
「ああ、とはいえ見てくれ、この書類の山。とても捌ききれるものではないんだ」
「分かりました。では私が用件を聞いて参りましょう」
そう言い残し、秘書は部屋を出ていった。
10分後、再び戻ってきた彼は言った。
「町民の訴えはこうです。猫がいなくなったことでネズミが大量発生した。どうにかしてほしい、と」