羽化
九郎は、弁慶の命の終わりを感じていた。そして、自分の命の終わりも、等しく訪れるであろうことも。
九郎もまた、深手を負っていた。だが、傷の痛みはほとんど感じなかった
それよりも、ただ、心が痛かった。誰を傷つけることも、望んだわけでは無い。しかし、誰も傷つかず、傷つけずに、次の時流へは行けなかった。
起きるべき変化を担い、起こすべきことを起こした。その、思いは確かにある。しかし、それが自分自身の驕りでない保証はどこにもなかった。自分自身に、欠けている部分が無いとは言えなかった。むしろ、あったからこそ、このようなことになったのだろうと、思う。しかし、
「何故……」
九郎の口から疑問が零れた。
それでも尚、分からないこと、理解できないことも多くあった。
身に覚えのないことで追われた。弁解すら、不可能だった。
正しいことを正しくしたはずだと、自分でも思う。間違ったことはしていない。
平和を願った。安寧を祈った。多くの血を流し、流させた、その場にあったものだからこそ、それ以上の犠牲を避けたかっただけだ。
なのに。
「裏切ってなど、いない」
九郎は、誰に対しても平等でありたかっただけだ。
可愛がられれば快く思い、靡く。冷たくされれば、哀しさが生まれ、遠ざかる。呼ばれれば行き、与えられれば受け取る。人として、当たり前の感情を持っただけだ。当たり前の行動をとっただけだ。
ただ、それだけだった。少なくとも、九郎にとっては。
誰の敵にも回ったつもりなどなかった。
なのに。
兄に裏切ったと言われ、刃を向けられ、追われた。
そして、秀衡も失い、泰衡は自分を見捨てた。
「私、は……」
己の在り様、行動、生き様、その全てに九郎は絶望していた。
自分を慕ってくれた全ての人を、支え導いてくれた全ての者を傷つけ、失くした。
何が悪かったのか、自分には分からなかった。分からないことが罪なのか、間違っていたのかと、思わずにはいられなかった。
やはりあの時、鞍馬のお山で静かに暮らしていれば良かったのかと。
「それでは、救われずにいた者も多かろう」
ふいに懐かしい声がしたかと思うと、まるで闇から湧き出でるかのように天狗が現れた。
「久しいな。九郎」
「奥の……」
「いかにも」
九郎はあふれ出そうになる涙をぐっとこらえた。泣くわけにはいかなかった。自分がここで泣いてはならない。
「九郎。お前に罪は無い。全ては起こるべくして起こったこと」
「しかし、」
「我らこそ、主に謝らねばならぬのやもしれぬ。主が変化の鍵となるが故に、その肩に重い宿命を背負うこと、我らは予測できた。しかし、我らは人の世の流れを止めることは出来ぬ。許せ、九郎。我等は其方に恩恵を受けながら、其方を茨の道から外すことは出来なんだ」
義経は天狗の言葉を静かに聞いていた。
昔の自分なら、分からなかったであろう言葉が、今はなぜか魂に響くように感じられた。義経は俯き、そして、唇を噛みしめると静かに口を開いた。
「……過ちで、無かったのなら、ようございました。私も、この奥州の地で結んだ縁が、過ちだとは思いたくありませぬ」
そう言うと、九郎は顔を上げた。
「幸せでありました。ここに在る時が、おそらくは私の人生で最も満たされた時。それが今の終わりを導くのなら、悔いは、ありませぬ」
そう、過ちでなかったのなら。
分かり合いたかった人と分かり合えなかったのは悔しくても、哀しくても。
「九郎。せめても私は其方の命を救いたい」
「しかし、」
「そなたがその名を捨て、かの地を捨て、あるいは人を捨て、別のものとなって生きるなら障りはあるまい。九郎。これは、其方の助力を得た、全ての仲間の思い」
「しかし、その仲間の多くを失って私一人生き延びるわけには」
「すまぬが私に全ての命を拾うことは出来ぬ。だが、今ここで其方に死なれるよりも、生きる術があるのなら、生きて欲しいと思うが人情ではないか」
「皆は……兄上は許してくれましょうや」
兄上ということばにさすがに大天狗も黙った。
しかし、暫し思考を巡らせた後で、ふうっと目を細めた。
「九郎。恐らくは……あくまで推測でしかないが、そなたの兄とて、そなたが義経として生きるのでなければ、その命、長らえて欲しいと願うであろう。そなたの兄にとって、その名が恐ろしいもので、其方そのものは愛しい弟であることに変わりはない」
源平の戦で大手柄を上げた、源義経という存在。そして、その名を操り、政をわがものにせんとする存在。そして、それを内包するものが、いつか自分に歯向かうのではという疑念。それこそが頼朝が恐れ、憎悪するものだと大天狗は言う。
「牛若丸には兄弟の情しかあるまいよ」
天狗はそういうと九郎の手を取り、抱き寄せた。九郎が立っていた場所には、九郎の現身が残っていた。
「大天狗様、これは」
「白乙が使っていた現身の術と同じようなものよ。人の血肉に見せかけた土塊を使っておる。これは二つ星の力を借りた。そして、そこに死者の魂を乗せてある。なに、自我は無い、ただの動力に過ぎぬ。これは、地底の姫の力を借りた」
「皆が……」
「そうだ。そして、空でお主を待っておる」
「空で」
「九郎。この先、何として生きるかは、其方次第」
「人であらざれば、それも受け入れましょう。何の贖罪も持たずに生きるつもりはありませぬ。生きるのであれば、その罪を負いまする」
その生き方は、かつて焔岩に教わった。
このままでは、終われない。
できることがあるのなら、出来ることをしよう。
「九郎、何と成ろうとも、ただ、其方であれ」
天狗がそういうと、九郎の身体が一瞬消え、光の珠と成るとぐんと上へ上った。
「皆の者、預けるぞ!」
その声に応えて空の上から紺碧の龍が降下してきた。その背に三つの人影を頂いて。
それが、自分の放った光を受け止めるのを、天狗は満足気に眺めた。
(何と成るかは其方次第。名を捨て、身を捨てても、ただ……)




