ひと
九郎はまた真っ暗な空間に居た。
(まだ、夢を見ているのだろうか)
九郎にはそれまでの記憶がほとんどない。自分が体を起こしたことも覚えていなかった。虚ろな記憶の中で、ほんの一瞬、ゆきのかや弁慶の声を聞いたように思った。だが、それが現実なのか、夢の中だったのか、判断できない。
ただ、今いる闇は、それ以前の夢の物と少し違うように感じた。それは何やらねっとりとして、泥のように感じた。
(嫌な感じだ)
九郎がそう思った時、何やら声が聞こえた。
「ゆきのか殿?弁慶?」
九郎はそう呼びかけてみた。しかし、それに応えるものは無かった。代わりに、今度は金属のぶつかるような声が聞こえる。そして、馬の嘶き、人の、怒号、雄叫び、そして、悲鳴。
瞬間、九郎の前の闇が一気に晴れた。そして代わりに飛び込んできたのは燃え上がる炎の光。熱。
人々の住まう家がある。その家に火がつけられている。一軒や二軒では無い。一つの集落がそのまま燃えているようだ。転げるように家から飛び出してくる人々。それを追う者。人波を構わず騎馬で駆け抜ける鎧武者。その馬が前足を高く上げ、人の頭の上に叩き落としたように見えた。真っ赤な飛沫が上がる。うめき声と、どさりと重い物の落ちる音がした。
場面は次々と変わった。戦場であったり、また、都のような場所での戦となった。そして、処刑場のようなものも。どの場面でも誰かが血を流して倒れ、誰かの泣き声が聞こえた。
(痛い!痛い!)
(苦しい、熱い)
(誰か助けて)
(奴が、奴が裏切らねば……)
(おのれ、この恨み、晴らさずにおくものか)
(殺せ!殺せ!)
(誰の、誰のせいだ)
(誰のせいだ……)
(我らが苦しむのは、誰のせいだ)
(誰の……)
(我らが何をした?)
(誰の?)
「誰のせいじゃ」
九郎の目の前に、女の顔が逆さまに現れた。
九郎はぎょっとして身を引いた。しかし、女の顔は付いてきた。黒髪がだらりと長く垂れている。真っ赤な血が、目からも口からも流れていた。大きく見開いた目がじっと九郎を見つめている。
九郎は背中が泡立つのを感じた。喉まで出かかった叫び声を唾液と共に飲み込む。その音がやたら大きく聞こえた。その音が聞こえたのか、女は一瞬目を更に大きく見開き、にぃっと笑った。
「源義家の子、源九郎義経」
女はするすると九郎の名を口にした。何故、と、問う間も与えず、次を発する。
「其方は何を望む」
女の目がすぅっと細められた。
一瞬、それは穏やかな笑顔に見えた。
そう、思った瞬間、九郎はまばゆい光に包まれていた。




