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ゆき

雪が、降っていた。静かな雪だ。風の無い夜の雪は、静かに舞い落ちる。

 冬も終わりの名残の雪だった。

 九郎はそれを濡れ縁で見ていた。

 月は細く、時折雲に隠れながら慎み深く輝いている。その細やかな月光に煌めきながら、雪は降りている。

(綺麗だ)

九郎はその風景に見とれていた。

 奥州の冬は、長く、寒さが厳しい。しかし、その寒さすら、景色の美しさを引き立てているようにすら感じた。つい、時を忘れて見入ってしまう。

「九郎殿、風邪を引くぞ」

そう言って、秀衡がふわりと打掛を羽織らせた。

「かたじけなく」

九郎は小さく会釈してそれを受けた。確かに寒い。うっかり見惚れて体を冷やしてはいけない。

 しかし、そうは思っても差し込んだ月光に誘われるようにまた外へと目を向ける。秀衡はその様子を静かに微笑んで眺めた。

 秀衡にとっては、九郎もまたその美しい絵図の一部であるようだった。

「……九郎殿。この景色が気に入ったのなら、酒と火鉢を用意させよう」

「いえ、すぐに戻りまする。お手間をかけては……」

九郎は慌てて首を横に振った。しかし、秀衡はそんな九郎に対して首を横に振り、口元で盃を傾ける仕草をした。

「一献」

そう言われると、九郎も無下には断れない。

「仕りまする」

そう言って一礼し、上げた顔は微笑んでいた。


「九郎殿は、ここをどう思われる」

秀衡は盃を空にして言った。

「良い所です。ここに来る事が出来て、秀衡様に庇護して頂いて、私は本当に恵まれておりまする」

「ずっとこのまま、ここに居られては?」

秀衡の言葉に、九郎は口を付けかけた杯を止めた。そして、それを静かに降ろした。揺れる酒の水面に、雲から顔を出した三日月が映る。九郎はそれを見つめていた。

「あまり、気に入りませぬかな?」

秀衡が言った。

 九郎は慌てて秀衡を見た。秀衡の目線は九郎を向いていない。じっと、前を見つめている。秀衡の目線の先に在るのは、無量光院だった。秀衡は、それを京の宇治平等院鳳凰堂を模して作った。

 九郎は、初めて秀衡に、心の内を素直に打ち明けた時のことを思い出していた。

(偽らぬ方が良い。大恩ある方であるなら、尚更)

その頃と、気持ちは変わっていなかった。

「ここに、在りたいと、思う気持ちが無いわけではありませぬ」

九郎は静かに言った。九郎の頭に、鞍馬の天狗や、大天狗、焔岩に言われた事が浮かんできた。

「秀衡様」

九郎が呼ぶと、秀衡は九郎に視線を向けた。九郎は俯いて、目を閉じていた。そして、その頭をゆっくりと上げ、秀衡を見た。

「秀衡様は、この地の平安を望んでおられる」

秀衡は頷いた。

「私はその妨げになりは致しませぬか」

それは、奥州に来てから、九郎が一貫して持っている想いだった。様々な御魂と出会い、話を聞いて、その上で思えば、今まで以上にそれを想う。

はっきりとそうだと言われたわけでは無いが、その可能性は、高い。

「……なる、とも、ならぬ、とも言えぬ」

秀衡は真っ直ぐに九郎を見返して言った。

 秀衡の思いもまた、同じだった。最初の時と、変わっては居ない。ただ、御魂達と九郎の出会い、そしてその影響を見、また、伝え聞き、九郎がこの地に及ぼした影響が、御魂達の助けになっていることは明らかだった。

(問題は、果たしてそれが、人間にどんな影響を及ぼすか)

基本、彼らはそれを重要視しない。彼らが見ているのはもっと大きな物だからだ。

 秀衡はふっと笑った。

「思うようになされよ。それで良い。何としても其方を排除せねばと思えば、儂も其方の前に立ちはだかるやもしれぬ。その時は、」

そう言って、秀衡は一度言葉を切った。

「其方も儂に逆らえ。正しい方が生き残ろう」

「そのような……」

「九郎、」

怯む九郎の肩に、秀衡はかつてのように両手を置いた。温もりが、衣を通しても伝わる。強い、男の手だ。九郎の知らない、父親の手。

「ただ、其方であれ。儂が望むのは、それだけだ」

幾度も幾度も繰り返されたその言葉を、秀衡もまた口にした。

 九郎は少し驚いた。だが、すぐに腑に落ちた。仔細は知れずとも、素直に心に沁みる。そして、ただ静かに頷くしかなかった。


時が、変わろうとしている。

それを感じているが所以の、無意識の覚悟を、誰もがしていた。


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