表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
37/50

うた

九郎は空を飛んでいた。

 先ほどとは違い、姫蝶は傍にいない。九郎一人だ。それでも跳べる。それは、姫蝶から借りた羽の力だった。

 姫蝶は自分の羽を一枚、九郎に持たせた。それは物理的な羽では無く、姫蝶の力の象徴である。一枚の大きな羽は、別れて小さな幾枚もの羽となり、九郎の周りに点在し、その身体を運ぶ風になった。

 その風に導かれて、九郎は焔岩の住むというあの山へ向かっていた。

 ほどなくしてその山へ到着した。山は高く、九郎が降り立った頂には樹が生えていなかった。大きな岩のゴロゴロと点在する場所だった。それでもいくつかの草が生えている。中には小さな花をつけているものもあった。

 生命の息吹が希薄なその地に在って、九郎は恐ろしいよりも、寂しいよりも、どこか神聖な気配をも感じていた。

 神聖さと、命の息吹は相反するものなのだろうかと、九郎は思った。それもどこかおかしいような気もするが、仏門に身を置いていた時、命の営みに必要なものを、なぜか穢れと称する時があった。そんな時、九郎はよくその疑問にぶつかったものだ。

 命とは何か、穢れとは何か、そして、神とは、仏とは、御魂とは。九郎の中に突然いくつもの疑問が浮かんだ。答えのない疑問だ。何故かそれだけは分かる。徳の高い僧にでも聞けば、何かしらの答えは得られるのかもしれない。しかし、九郎が欲しいのはそんな答えでは無い気がした。

(頭が……)

色んな疑問に対峙した所為か、九郎は頭に痛みを感じた。何故か息苦しい。何が起きたのかと思えば思うほど、思うように息ができなくなるようだった。

(このままではいけない)

直感でそう思った時、声が聞こえた。

「人の子が何用だ」

九郎が振り返るとそこには真っ黒な狼がいた。

 九郎は痛む頭を押さえつつ、身構えた。

「ほぅ、逃げぬとはな。主は我と争うつもりか」

またも声が聞こえた九郎は注意深く辺りを伺った。しかし、他には誰もいない。

 そんな九郎の様子を見て、狼は

「他には誰もおらん。我だ」

と、白い息に乗せて言った。口は動いていない。恐らくは、今までの御魂達と同じように、口では無い所で話をしているのだろうと思った。

 九郎は体を戻すと、静かに一礼した。恐らくは、この狼が焔岩だろうと思った。姫蝶が雉の姿を取ったように、焔岩も、動物の姿を取るのかもしれないと。

「迷ったのなら帰り道を教えてやる、と、言いたいところだが、こんなところで迷う奴はおらぬ。何の企みを持って此の地に入り込んだか、返答次第では容赦はせん」

そう言って、狼は低く唸った。

 何を以って、そこまで心を乱したのか、九郎には分からない。確かに、断りなく縄張りに入った事が不興を買ったとすれば、それまで。しかし、それだけの理由にしては怒りの念が強いように思えた。

 今の段階では、焔岩の心は推し量れない。ただ、深い不信の念が伝わる。しかし、その根底にあるものは、違うような気がした。いたずらに全てを拒絶し、誰もかれも彼の地に入れまいとしているわけではない、そんな気がした。

(それでは、本心はどこに。焔岩殿の真意は)

 自分はどうだったか。母の元から離され、兄弟と会う事も出来ず、不便な寺で何を思ったか。

 恨みがあったか。

 怒りがあったか。

 無いとは言えまい。だが、その根底にあったのは、姫蝶と同じもの。

 そしておそらく、焔岩もまた。

「……蝶」

九郎は囁くように言った。

 その言葉に狼はぴくりと耳を動かした。そして、あからさまに動揺し、せわしなく四肢を動かした。

「に、導かれました」

九郎はごくりと唾をのみ込んだ。

 何にせよ、今はまだ焔岩の真意は分からないのだ。とにかく相手の出方を見るしかない。そもそも、この狼が焔岩である確信も無いのだ。だからこそ、最初にそれを見極めようと、九郎は姫蝶の気配を見せた。そして、それに反応するところを見ると、この狼は少なくとも焔岩の現身であるは間違いないと思った。

「……雉を?」

狼が訊く。九郎は確信を持った。やはり、と心の中で呟いた。そうなれば、今一歩を踏み込まねばと思った。

「はい」

九郎は頷いた。踏み込むにしても注意深く行かねばならない。かみ殺されてしまえば、元も子もないのだから。

「我の既知と」

「は、」

「それ以上とは」

「……仰せのままの」

お互いの心を探り合うように、短い言葉が連なる。お互いにはっきりは物を言わない。警戒はある。それは致し方ない。それでも行かねばならない死地もある。

 沈黙が二人を包んだ。九郎の心臓は相反して早鐘を打っている。

(どう、出る?)

焔岩は目線を下げ、そして、くるりと背を向けた。

 その事で、九郎は少しほっとしていた。まずは、いきなり攻撃を仕掛けてくるという事は無くなったという事。そして、背中を向けてもいいと、思ってもらえるくらいには、警戒を解いてもらえたという事。

(後は、姫蝶殿のお心を伝えねば)

そう思って、九郎が口を開きかけた時、


古の 焔の咎を押し抱く 風の腕の 今も哀しき


焔岩の声が聞こえた。九郎は咄嗟に返した。


風運ぶ 詩にも見ゆる御心に 岩をも開かぬ 哀しかれども


その詩に、焔岩がゆっくりと振り返る。その姿が、静かに人の男に変わっていった。

 姫蝶と、同じ年代の男の衣装。髪はみずらに結っている。姫蝶も、焔岩も、古い御魂であることが、それで分かる。

「我が名は焔岩。この山に眠る、火の御魂」

漸く、九郎は公然と焔岩に出会った。

 少しずつではあるが、焔岩は九郎に対して信頼を寄せているのが分かる。それに安堵しつつ、九郎は本来の目的を噛みしめた。

「改めまして、源九郎義経と申しまする」

思えば、自分が初めて何の先触れも無しに御魂に会うのは初めてだった。そう思うと余計に自分のしていることの重大さが身に染みた。

「九郎殿。其方は我らのことをどこまで知っている。姫蝶からどのような話を聞いたのだ」

焔岩は静かに問いかけた。

 九郎は自分が聞いた、そのままの話をした。すると、

「あれは、我を許してくれるだろうか。其方を寄越したということは、まだ我を必要としてくれておるのだろうか」

ぽつり、と、焔岩は零した。

 九郎は驚いた。必要とされていないのではと思っているのは、姫蝶の方であると思っていた。まさか、同じ思いを持っているとは。これならば分かってくれる。二人はまた、共に過ごせる。そう、九郎が感じ、姫蝶がそう願っていることを焔岩に伝えようとした。だが、

「否、あれは我を許すまい。命を失いかけたのだ。其方に託されたのは、別れの言葉では?」

焔岩は、哀し気な顔を九郎に向けた。九郎は静かに首を横に振った。

「同じにござりまする」

「と、言うと?」

焔岩は即座に問うた。それは、心に隠しきれない、必死さを垣間見せていた。

「姫蝶殿も、焔岩殿に必要とされていないのではと、お心を痛めておりまする」

九郎が言うと、焔岩は、おお、と声をあげて片手で顔を覆った。

「しかし、我は……、我の罪は……」

焔岩は苦しそうに声を詰まらせた。

 深い、罪の意識が、焔岩が姫蝶に会うこと、共に生きることを妨げている。

(どうすれば)

九郎は思案した。何か言わねばと思った。しかし、それこそ自分が、若輩者である自分が何かを言える立場ではないような気がした。

 九郎は、せめて焔岩に寄り添えないかと一歩を踏み出した。

 

その時だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ