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二人の目の前で池の水が大きく盛り上がった。それは小山のような大きさにまで膨らんだ。

 一体何が、と、思う間も無くそれは内側からぱあんと音を立てて弾けた。二人の上に池の水が大粒の雨のように降り注ぐ。大量の水滴に阻まれて、何も見えず、その落ちる音に遮られて何も聞こえなかった。二人はしばらくその季節外れの豪雨の中で耐えなければならなかった。

 それが、少し収まりを見せた時、

「やや、秀衡様、ゆきのか殿、こちらにおられましたが。これは失礼を」

二人の上から九郎の声が、水と一緒に振って来た。

「その声、九郎か?」

秀衡が狩衣の袖で水をよけながらどうにか上を見ようとする。だが、今度は日差しも相まって視界が利かない。水滴が日を照り返して輝く様は美しいはずなのだが、こうも大量にあると、ただただ眩しい。

「はい。ただ今降りまする」

九郎はそう言うと、秀衡のすぐ脇の地面に着地した。それと同時に、降っていた水滴がぐっと減った。

「九郎、そなた、どこから」

秀衡は濡れて乱れた髪を手で整えながら言った。

「上、に、ございまする」

そう言って九郎が指さす先を見ると、そこには真っ白い龍がいた。

「おおお、これが外の風!陽の光!何とも芳しい。今ここにある感覚の全てに命を感じる!ああ、これが感じるということか!これが生きているということか!何とも深い喜びを感じる!」

「……九郎、あの龍は、よもや」

秀衡は外に出られた喜びに文字通り身を震わせる白い龍を、半ば呆然と見ていた。

「はい、白乙殿にございます」

九郎は頷いた。

「しかし、白乙殿は先ほどは、」

「あれが、白乙殿の真の姿、ということでありましょう」

ゆきのかはさすがに気付いたようであった。着物の袖を絞りながら、多少不機嫌そうに言う。そう見えてしまうのは、いつも何もかもを知っている様な彼女が、思いがけない災難にあったからかもしれない。

 九郎は頷いて白乙を見上げた。

「はい。恐らくは。白乙殿は洞穴の中に在った時はまだ白い大蛇でした。しかし、彼女が洞穴を抜ける時、その体は徐々に変化致しました。そして、全てが抜け切る時には、あの姿に。」

「何と、白乙殿は洞穴に住まう龍であったか」

秀衡が声を上げて空を仰いだ。と、

「何と……」

それは、誰の声であったのか。その時白乙を見ていた誰もがため息を吐いた。見守る者達の目の前で白乙の身体はキラキラと陽光に煌めきながら色を変えていったのだ。白い鱗が紺碧へと。

「命の、彩ですね」

ゆきのかが言った。九郎は小さく、はい、と、言った。

 知っているわけではない。だが、白乙の中には今、直に外の命に触れた歓喜がある。その体いっぱいに生きた風と、太陽の光を受けているのだ。その事実なら、九郎は知っている。その深い意味合いをもって、命の彩と為すならば、そうなのだろうと、どこかで腑に落ちていた。

「九郎殿、九郎殿、」

白乙は龍身のまま、九郎に大きな頭を近づけた。

「九郎殿、嬉しゅうございまする。これが、生きるということ、これが息吹というものなのですね。初めてでございます。嬉しゅうございます。これも皆、九郎殿のおかげ。九郎殿をお導き下さった、秀衡殿、ゆきのか殿のおかげ。そして、ここまで支えてくださった、大天狗様のおかげ。皆皆様のおかげを以って、この喜びがありまする。今の私がありまする」

九郎は首を横に振った。

「私は何も。白乙殿の決意が成した結果です」

そう言って、九郎はふと、あの時自分が口にした言葉を思い出した。自分が発した言葉とは思えない、あれは、もしかしたら。

「いいえ。私がそれを決めたとて、一人では越えられなかった。鞍馬のお山と人界の境を超えた、九郎殿の波動のあればこそ」

「私の、波動……」

九郎は怪訝な顔をした。人の領域の外に在る者達は、刻印と言い、波動と言う。自分には何も見えない。そのような物があるとは、想像もできなかった。

「人は誰しもその身に波動を纏いまする。生まれついての物、行いにより纏うもの、志により湧き出でるもの。その源は様々ですが、此度、白乙殿を導いたのは、九郎殿の越境の波動」

ゆきのかが言った。九郎は自分の両手を見てみた。やはり、何も見えない。ゆきのかには見えているのかと思いつつ、聞くのは躊躇われた。その答えを聞いた所で分からないような気がした。そして、分からずとも良い、と、言われそうな気がしたのだ。

 縁の天狗達を思い出して、九郎はふっと笑った。

「よう、分かりませぬが、微力なれどお力になれたのであれば、幸い」

九郎はそう言って白乙を見上げた。

 白乙はまた、嬉しそうに天を駆けた。

「白乙殿は、この後天に住まうのでしょうかな」

秀衡がぽつりと漏らした。その言葉にゆきのかが首を横に振った。

「一度出られると知った以上は、古巣は恐れる場所ではありますまい。己の意志により出入りできるならば、古巣は安寧の場所になりましょう」

「然り」

そう言って秀衡は九郎に杯を勧めた。

「一献」

九郎は小さく頭を下げて酒を受けた。

 その酒は、今までに飲んだ、どんな酒よりも美味に感じた。


そうして、三名は、虹のかかる空に高らかに響く、龍の歓声を耳を澄ませた。


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