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ゆきのか

そうして、今、九郎は奥州の鎮守府将軍、秀衡の館の庭に在る。

 正直なことを言えば、驚いた。秀衡の館は美しく整えられ、京の屋敷にも劣らない。まだ、くまなく見て回ったわけでは無いが、人々の暮らしも豊かに思える。政庁も整えられ、粗野な所など微塵も感じられない。山々が美しく、水も清く、空も澄んでいる。

 少なくとも、今の段階で九郎は奥州を美しい国と思えた。良い国であると思えた。初めて訪れる土地で、そう思えたことは幸いであると言える。秀衡の印象にしても、その姿、立ち居振る舞いは洗練されていて、雅さの中に強さも感じられる。好印象であった。だが、果たして逆はどうなのか。初めて会う自分を、この土地は、秀衡は、

(……私をどう思ったろう。どう感じただろう)

秀衡との初対面は、九郎をかなり緊張させていた。他に頼れる者もない九郎にとって、秀衡の存在はやっと掴んだ外への糸口であった。吉次という間を挟んでいても、その先に拠り所が無ければ、お山を出た所で野垂れ死ぬ可能性が高い。その拠り所を逃したくは無かった。だからと言って、過剰に媚び諂う事は九郎の心に反した。未だ何ものでも無い自分を、懐に容れてもらうのだ。相手には何ら得は無い。自分が相手に認めてもらえるものがあるとすれば、自分自身しかない。そして、そこから自分の器を測り、未来において、借財を返していくしかない。それすら偽ってしまえば、相手に嘘を吐くことになる。偽りの情報で、自分に投資させることになる。それは避けたかった。

(ただ、己自身であれ)

九郎の頭の中に、鞍馬の天狗の声が聞こえた。難しい天狗の話の中で、九郎が意味を取る事の出来た僅かな言葉の一つである。

 九郎は息を吐いて、歩き出した。どこへ行くともなく、心のままに足を進めてみる。遠くを眺めれば、いくつもの山が連なる、美しい風景が見えた。清らか風は緑の香りを惜しみなく送ってくる。その中に、どこか鬱蒼とした山を思わせる香りが混ざっていた。それは、山からの風なのかもしれない。鞍馬のお山を思い出したのは、そのせいかと、九郎は思った。

 ふいに、ひゅっと何かが風を切るような音がした。九郎は反射的に身構えたが、音の主は意外な所から現れた。

「痛!」

九郎は頭に衝撃を受けて屈んだ。九郎の動きに一瞬遅れて、ぽとりと何かが足元に落ちてきた。

「扇子……?」

それを拾い上げ、立ち上がると、

「ごめんなさい。誰か居りましたか」

続いて上の方から振って来たのは何とも美しい女の声であった。

 九郎が見上げると、樹の上に白拍子のような衣装を着けた女が居た。白く、長い髪が更に白い小さな顔を包んでいた。白い髪に少女の顔。一瞬、違和感を覚えるものの、少女の髪は艶やかで、何かの理由で急に白髪になったというわけでも、老婆であるわけでもなさそうだった。

 彼女の様子でもう一つ気になった事がある。彼女は目を閉じているように見えたのだ。そして、自分という相手が居ると分かっても、その目を開けようとはしない。それでいて、九郎を推し量ろうとしている様な気配があった。まるで、見えない目で見つめるように。

(まさか、盲目か?)

目の見えぬ者は、塵が目に入りかけても気づかない。そのため、異物が目に入らぬよう目を閉じたままでいると聞いたことがあった。しかし、そうだとして、そのような少女が木の上に居ること自体がおかしい。九郎は慌てて駆け寄った。何にせよ、安全に降ろさねばと思ったのだ。

「何故そのようなところに居られます。危のうござりましょう。手を貸します故、お降りなされませ」

九郎は出来るだけ少女を脅かさないように穏やかな声で言った。

 初めて会う男に触れられるということは、たとえ幼子とて、いい気がする女性は居まい。そう、思ったのだ。しかし、少女は涼しい顔で、

「されば、」

と、言った。そして、白魚のような指を伸ばし、見上げる九郎の額に触れた。それは、たまたま触れたというよりは、そこに九郎が居るという確信をもってそこに触れたという感じがした。そして、その指を拠り所とするように、ふわりと大地へ舞い降りた。

「かたじけなく」

彼女は微笑んだ。九郎はしばらく呆気に取られて言葉が出なかった。何が起きたのか分からなかった。そんな降り方があるとは聞いたことも無い。背中に羽でも生えているのかと思った。彼女の指先が触れた額は仄かに温かみを感じはしたが、重さは全く感じなかった。予想外の出来事に、頭が混乱していた。しかし、まずは名乗らねばと、どうにかこうにか口を開いた。

「わ、私は、」

喉に絡むような声を半ば無理に押し出すと

「九郎様にございましょう?鞍馬のお山から参られた」

少女が澄んだ声音でさらり言った。

何故、と、問いかけて、自分が来ることが分かっていれば予測できることだと気づいた。吉次から、秀衡の元へ先に文は届いていたはずだ。

 見ない顔、というのは彼女にはふさわしくは無いかもしれないが、声なり気配なりで知らぬ者があれば、それが新たな訪問者である事はたやすく考えられる。

 ただ、秀衡がこのような少女にまで自分の到来を告げていたのかは疑問であるが。 そもそも、彼女に関して言えば、疑問に思うことはたくさんあった。秀衡の館の庭で出会ったということは何がしかの縁のある者ではあろう。まして、見えぬ目でここに在るということは、浅からぬ縁のように思える。そも、彼女は人間であるのかとすら、思う。外見だけでなく、その、振る舞いにおいても。しかし、九郎がそれらを問う前に、少女は静かに頭を下げた。

「お初にお目にかかりまする。藤原家に身を寄せております。ゆきのかと申します。些少、術に覚えがございます故、巫女の真似事をさせて頂いておりますれば」

それを聞いて、九郎は色々腑に落ちた。巫女は人ならざる者の声を聞く。目が見えなくても、見えるものがあるのだろう。人の世の外に生きるものがあることは、鞍馬の天狗の存在が理解を助けてくれる。その血を受け継いでいるのか、そのものなのかは分からないが、どちらにせよ、自分に害を成すものではないようだと思った。

「巫女殿であらせられましたか。されば、私のことはご神託でもありましたか?」

「はい」

巫女は静かに答えた。

「秀衡様にお聞きしたのではなく?」

「はい。鞍馬のお山の天狗様より、遮那王、九郎殿がこちらに参られる故、よしなにと」

「鞍馬の、天狗様から……」

九郎は信じられない思いで聞いていた。

 まさか、鞍馬の天狗から、このような奥地へ、伝わるものがあるとは思わなかったのだ。その繋がりは、見知らぬ場所へ立つ九郎の心に小さな安堵を生んだ。知らぬものの中にあっても、自分に縁の者が、布石を置いてくれている。離れていても、その想いに守られている。そのことに胸が熱くなった。

 しかし、ゆきのかは更に驚くことを口にした。

「私に、というよりは、奥の大天狗様にご通達がございました」

「大、天狗、様?」

「はい。古くよりこの地に在りて、この地の御魂の繋ぎとなられている方です。鞍馬の天狗様とも繋がりがあり、九郎殿の来訪を告げられました」

「御魂の、繋ぎ」

「……九郎殿には、初めて耳にする事も多くございましょう。耳で、言葉で聞くよりも、その目で確かめる方がよろしいかと」

「と、申しますと?」

「鞍馬の天狗様より申し遣っております以上、奥の大天狗様に会わぬ道理はありますまい」

そう言うゆきのかの声は、どこか厳しさを含んでいた。断ることは許さない、とでも言うように。

 九郎は暫し考えを巡らせた。鞍馬の天狗が自分のことを告げた相手。それは、奥州に置いて、要となる者と考えていいだろう。恐らくは人の要とは違う、別の世界の要。鞍馬の天狗が住む世界と、同じ世界。

 九郎はふっと口元を緩めた。同じ感覚がする。鞍馬の山を出た時と。恐れと、不安と、そして、期待の入り混じった感覚。

(面白い)

鞍馬の天狗と過ごしただけでは分からなかった。しかし、奥州にも何かがある。鞍馬の天狗のように、人ならざる者の世界が。一つだけならそれだけかとも思えるが、二つあるなら、繋がる。点であったものが線となり、広がっていくのを感じていた。もっともっと、たくさんあるのかもしれない。自分の知らない、他の世界が

 楽しみを隠せない九郎の様子を見ていたゆきのかも、ふっと笑いを漏らした。少なくとも臆することは無いようだ。その好奇心と、度胸が、果たして大天狗の目にはどう映るのか。

「明日、迎えに参ると致しましょう。本日はごゆるりとお休みくださいませ」

九郎が未だ見ぬ世界に想いを馳せていると、ゆきのかは静かに頭を下げて踵を返した。九郎が慌てて向き直ると、そこにゆきのかの姿は無かった。

「ゆきのか、殿?」

辺りを見回しても、元居た樹の上を見ても、ゆきのかの姿は無い。

 ほの赤い夕陽の光が、九郎の影を長く映しているだけだった。


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