8 『隠形(観音隠れ)』発動により
冬瑠と彩春が執務室から出ると、ヘイズが真剣な表情で秋周へと視線を移した。
「人形市場とは、人身売買の隠語では」
「そうだな。最近こそこそと接触していたようだが、間違いなかったようだな」
「はい。御息女がその尻尾を掴まれるとは考えもしませんでしたが」
「はは、確かにな」
――最近、王都で少年少女たちが次々に失踪するといった事件性の高い報告が寄せられていた。どの親も口を揃えたかのように、子どもたちが失踪するような気配も理由にも心当たりがないという。
そんな中、有力な情報が挙がっていた。
仕事帰りに通りの向こうから子どもの悲鳴が聞こえた気がしたので様子をうかがいに行ったのだが、おかしな様子は何も無かったという。だが、近所の子どもが失踪したとの話を聞き、もしかしたらという証言者がいたのだ。
そしてもう一つ。
幌型の荷車から子どもの泣き声が聞こえた気がしたが、酒に酔っていたので確たる自信はないという証言も挙がっていた。
これは裏組織が絡んだ人身売買目的の誘拐事件だと見做し、その荷車の行方を秘密裏に追っていた。
そんな最中、私服捜査官が一台の不審な馬車を見かけていた。貴族の馬車が往来から外れた場所に停まっていたのだ。その場所は、貴族に用があるとも思えない一般居住地区で倉庫街の外れのような場所であった。
その馬車に目を付けた捜査官たちは、その貴族との関連性を調べていた。
すると、重要参考人であるその貴族と頻繁に接触する別の貴族の存在が浮かび上がってきたのだ。だが、誘拐事件との関連性を見出せず、尻尾を掴むまでには至っていなかった。
膠着状態だったこの事件――冬瑠の証言で事態は急展開を迎えていた。
「早速、騎士団と打ち合わせをしてきます」
「頼んだぞ」
「はい、長官」
※※
ヘイズは王宮内にある第三師団詰所へと向かい、騎士たちの視線を受けながら師団長室を訪れた。
室内に足を踏み入れると、机に足を乗せて座っている豪快な姿の師団長がいた。
顎髭を生やした恰幅のいい男だが、髭を剃ると好々爺のイメージが強く威厳が無くなるからと、意地でも生やし続けているという裏話がある。
ちょっとは身綺麗にと冗談交じりで進言した部下が伸されたという噂は、嘘か真か定かではない。
師団長は手にして眺めていた書類から視線を外し、机の前に佇むヘイズに顔を向けた。
「おぅ、ヘイズ坊。何かあったか?」
「例の件、ようやく情報が挙がりました。今夜がそれです。場所はルセン通りのポビッツ亭。時間は午後八時です」
「それは確かか」
「はい。ある有力な筋からの情報なので間違いありません」
「承知した。我らが向かう」
ヘイズと師団長は頷き合うと、それぞれの場所へと動き出した。
野太い召集の声が掛かると、すぐさま師団長主導で作戦会議が開かれていく。
「この居酒屋なら、俺、行ったことがあります」
「どれくらいの規模だ」
「およそ三十人程度だったかと。一階は厨房と客席しかなかったと思います」
「ってことは、裏手か地下か二階でしょうね」
「よし。一班は無関係の客と野次馬の整理。二班は逃走経路を包囲。三班は突入まで待機だ」
そしてもう一つ、重要な命令を下す。
「くれぐれも、この大捕物を外部に漏らすな――」
「了解!」
――この件には貴族が絡んでいるため事態は慎重を要する。確固たる証拠を挙げなければ一網打尽は不可能。
それがあの家ならば尚更と、騎士たちに緊張が走っていた――。
※ ※
ポビッツ亭――。
まだ開店前の時間帯、従業員が出勤してくる前の閑散とした店内には、店主が訪問者を待っていた。この居酒屋の裏の顔は、裏組織の運営資金稼ぎである。それを知られないように表の顔は普通の飲食店を装っているため、従業員は何も知らされていない。
店舗の正面に一台の荷馬車が到着すると、荷台の後部から降りてきた男たちが手際よく、食材の搬入作業を装いながら馬車の前後に目隠しのための積み荷を積み始めている。
その作業が終わると、猿轡をされ、頭に麻袋を被せられた子どもたちが荷台の前方にある改造扉から続々と降ろされていく。子どもたちの手は縄で縛られ、逃げ出さないように一人一人が腰に巻きつく縄で繋がれていた――。
午後六時から営業が始まった店内には、ぽつりぽつりと客が集まり始めている。
横付けされた馬車から降り立ち、人目を盗むように建物脇の通路へと入っていく客人たち。その身なりは明らかに裕福だと思われる者たちばかり。
三か所ある出入り口の一つから建物へ入り、店の貯蔵庫として使われている地下に降りると、この場で行われる催しのために集まった曰くありげの客人たちが、思い思いの場所で寛いでいた。
催しの開催を待つ人間たちの熱気が渦巻いている。
「今夜も盛況ですぜ。上玉が揃いましたからねぇ」
「できるだけ値を吊り上げろ。買い叩く客は相手にせずともよい」
「へい。安売りはしませんぜ。あっしらの儲けも必要ですからね」
「名簿はしっかりと管理しておけ――使いようによっては面白い事に利用できるからな」
「お人が悪いですなぁ。顧客を脅すんですかい? そんなに金にお困りで?」
「余計な詮索は命が無いと思え」
「おっと、くわばら、くわばら」
地下の一角に設置された一段高くなっている台の上では、少年少女たち十二名が怯えた眼をして身を寄せ合っている。歳の頃は皆、十歳前後。
子どもたちを隠すための天幕が外され、客人たちにその姿が晒された。
一人の少年が前に出されると、競りが始まっていく。
法で禁止されている奴隷を買い付けに集まった客たちの競り落とす値段の声と手が、そこかしこから上がっている。
伯爵たちの要望に応えるため、売主が用意した偽客が値段を吊り上げていく。
売主である組織の頭目は、そんな競りの様子を伯爵たちと天幕の陰から覗きながら、上々な売れ行きにほくそ笑んでいた――。
居酒屋として営業している地上階では、何も知らない客たちが酒や食事を楽しんでいた。
既に店内は満席で、仕事帰りの男たちで賑わっている。奥の厨房では注文の品を作る料理人たちが忙しなく働いている。
――店の外では、騎士たちが静かに忍び寄り、居酒屋の建物の周りを迅速に包囲していた。建物の裏手には酒瓶が入ったケースが積み上げられているだけで、さほどのスペースはない。
人身売買は建物内で行われていると判断した第三師団長は、店内への突入を開始した。
突如現れた騎士たちに剣を向けられ、速やかに店から退避せよとの命令に従い、客たちは何事だと物々しい様子を野次馬となって遠巻きに見ている。
異変を察知した店主は、裏口から逃走しようとしたが運の尽き。待ち構えていた騎士に捕縛されていた。
ポビッツ亭の周りには、かなりの人数の騎士が集まっており、護送車が何台も待機している。
第三師団長の合図で、捕えられた店主が白状した地下へと繋がる階段から突入が開始された。
「全員、その場から動くな!」
地上へ繋がる出入口から放たれた号令の声が響き渡り、地下空間は騒然となる。
だが、逃げ道を失った者たちは、騎士たちの剣の前に成す術はなかった。
ぎょっとした伯爵たちは、次々に捕縛されていく様子をうかがいながら、他に逃げ道はないのかと頭目に食って掛かる。
「(そんなものはないっ)」
「(貴様、裏切ったのか!)」
「(馬鹿言うな! そっちが裏切ったんだろうが!)」
「(何を言うか! 我らが漏らすはずがないであろう!)」
頭目と伯爵、子爵が罵り合っていると、天幕の陰にいるのを見つけた騎士が剣でその布を切り裂いた。騎士たちの前に姿を晒した三人の男たち。
頭目に掴みかかっていた伯爵が、目を剥いて男の服を離した。子爵は、あわあわとその場で慌てている。
「サヴォイア伯爵、ベアノ子爵。貴様らを勾留する。人身売買の現行犯ゆえ、言い逃れはできんぞ」
師団長の捕縛命令が地下に響くと、三人は騎士たちに捕えられ、手錠付きの縄を掛けられていった。伯爵は歯ぎしりをしながら騎士たちに連行されていく。競りに参加していた客たちも次々に連行されていった。
誘拐されてきた子どもたちは助け出され、安堵の空気に包まれている。
「師団長、このようなものが」
騎士の一人が見つけてきたのは、競りで売られた児童の名と顧客の名、競り落とした金額がきっちりと記された名簿であった。
「何に使うつもりだったのかねぇ」
「もしやこれを元に脅して、金を巻き上げるつもりだったのでは」
「はっ、胸糞悪い連中だぜ、まったく。同じ伯爵位を持つ身として恥ずかしいね」
「しかし、それだけの金が必要とは、その使途が気になりますね」
「さぁてな。その先の闇が――問題なんだがねぇ」
「闇ですか?」
「今は迂闊に口にするな――極秘事項だ」
「了解です――」
「さて、後始末に取り掛かるぞ。組織の根城を一掃する」
「は!」
※ ※ ※
「おい、聞いたか?」
「何をだ?」
「お貴族様の二人が処分されたって話だ」
王宮に勤める者たちが、そこかしこで噂し合っていた。貴族が処分されるという珍しい事態に、平民出身の事務官や騎士たちの間で面白おかしく広がっていた。
「さっき聞いた。労役処分になったんだろ?」
「それだけじゃないらしい。領地の一部が没収され、御家取り潰しまでは免れたらしいが、管財人が入ったらしい」
「それじゃあ結局、実質王家直轄と変わりゃしないがな」
「だよな」
通路を歩くヘイズの耳に届くくらい、その話題で持ちきりである。
ヘイズは、経過報告のために法務長官室を訪れた。書類に目を通していた秋周が顔を上げる。
「九割程度、子どもたちの救出が終わりました。まだ人身売買の取引期間も日が浅かったし、卑劣な名簿のお陰で身元が全部割れていますからね」
「奴隷の被害者をなくせるのは幸いだったな」
「はい。それもこれも、御息女のお手柄ですね」
それでも秋周の表情は浮かない。そんな上司の様子に、ヘイズは少し眉根を寄せていた。
「まだ何か懸念があるのですか?」
「――娘の事は、くれぐれも口外するな」
「心得ています。御身に危険が迫るでしょうからね」
「それに、これから厄介なことが起きそうな予感もするのだ」
「あの件ですか?」
「ふぅ……あれではな」
「そうですね……」
ヘイズは、その厄介事の成り行きを想像しながら長官室を後にした――。