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6 隠密スキルの片鱗



 庭園の花々を観賞しながら歓談していたアーレント侯爵夫人こと彩春いろはが、ふと何かに気づいたように突如立ち止り、きょろきょろと視線が忙しなく動き出した。

 先を歩いていた夫人たちも足を止め、何事かと振り返っていく。


「アーレント夫人? いかがなさいましたの?」

「娘の姿が見えないのですわ」


 さっきまで我が子はベビーカーの近くにいたはずだと辺りを見回してみるが、その姿を捉えることができない。

 それほど背丈が高くない花々とて、種類によっては幼子の身長より高いものもある。その陰になって見えないだけかと辺りを探すが、どこにも見当たらない。


「冬ちゃん、冬ちゃんっ、返事をしてちょうだいっ、冬!」


 冬瑠がいなくなったことに気づいた一同は騒然となっていた。彩春はおろおろとしている夫人たちに大丈夫だと言い残し、その場を中座していた。

 馬車寄せまで舞い戻って和馬にもこの事を伝え、万が一ここへ戻ってきたら留め置くよう指示するなり王宮へと足早に向かっていた。

 彩春は気が急くが、庭園から王宮までの長い道のりを貴族としての気品を損なわない程度に駆けて行く。

 省庁が集まる建物の長い通路を抜け、彩春は目的の部屋へと急いだ。


  ※※


「この件に関しましては継続して調査しています。相手も巧みで、どうやら転々と場所を移しているようで特定が難しく」

「分かった。引き続き頼む」

「はい、長官」


 その時、執務室の扉から慌てたノック音が室内に響いた。


「あなたっ、大変でしてよっ」


 入室を促す返答後に、すぐさま法務長官執務室へ飛び込んできたのは、この部屋の主の妻、彩春だった。

 血相を変えた妻の異変に、アーレント侯爵こと秋周あきちかが執務椅子から立ち上がり、妻の方へと歩み出す。

 その場にいた彼の部下、守道もりみち・ヘイズもまた、執務机の脇で何事かと目を剥いている。


「どうしたのだ、そんなに慌てて」


 彩春は秋周の傍に駆け寄り、胸の前で手を組んで瞳に焦りの色を滲ませながら夫を見上げている。


「冬がっ、冬がいなくなりましたのっ」

「何ですって? 冬様とは、御息女でしたよね?」

「ああ、娘だ。一体何があったのだ」

「ご夫人の集まりに連れて来ていたのですわ。そしたら、いつの間にかいなくなってしまったの。ちょっと目を離した隙に……」

「では、すぐに捜索の手配を」

「いや、待て」

「しかし」


 落ちついている秋周の様子と言葉にヘイズは再び目を剥いて、上司の顔を凝視している。


「落ちつきなさい。あれだよ、いつもの事だから」

「え、ええ……でも、ここは王宮ですし……」

「だから余計に無理だ」

「……ええ、そうですわね」


 侯爵夫妻の会話に、ヘイズは眉根を寄せて首を傾げるばかり。何故すぐ探しに行かないのかと訝しんでいる。


「探さなくてよろしいのですか?」

「あぁ……ちょっと事情があってな」


 少し陰りのある表情で疲れたように言う上司に、心配はしているようだとその表情から読み取ったヘイズは黙って耳を傾けた。


「――信じられない話だろうが、我が娘は一度姿が見えなくなると誰も見つけることができないのだよ」


 ひとつ息を吐く侯爵夫妻。ヘイズは更に首を傾げている。


「あの子が歩けるようになって間もなくの頃だった。ちょっと目を離した隙に忽然といなくなってしまってね。扉もまだ開けることができない娘がどこかへ行けるとも考えにくかったのだが、家族と使用人総出で探したのだ。だが、どこを探しても見つからなかった」

「まさか、誘拐されたのですか?」

「私たちもその可能性を考えたのだが――」



 ――誕生日プレゼントに贈った黒猫リュックを片時も離さず傍に置き、メイドが用意してくれたおやつのマシュマロを美味しそうに食べる娘と一緒にお茶をしていたのだが、化粧室に行きたくなった彩春は、ちょっとの時間なら大丈夫だろうと冬瑠を居間にひとり残して席を立って行った。

 用事を済ませて居間に戻ってみると、娘の姿がどこにもない事に気づいた彩春は血相を変えていた。部屋をひとりで出てしまった娘が階段から落下してしまったのではないかと脳裏を過り、居間を飛び出して二階から階下を見渡してみた。

 どちらの階段にも娘の姿がない事に安堵したが、行方知れずに変わりないので、急いでプライベートエリアの通路を探しに戻っていた。突き当りのT字路に立って両通路を見渡したが、そこにも冬瑠の姿は無い。

 ならばと、彩春は引き返していく。


「冬。どこにいるの。冬っ」

「奥方様、いかがなさいましたか?」


 彩春の声を聞きつけた執事の征爾せいじが、慌てた様子で歩き回っている彩春に声を掛けていた。


「冬を見かけなかったかしら」

「いいえ。存じ上げませんが」

「どこへ行ったのかしら……居間でおやつを食べていたはずなのに、どこにもいないのよ」

「もう一度、居間を探されてはいかがでございますか? お嬢様おひとりで居間を出るなど不可能でございましょう。もしかしたら、ソファの後ろなどにいらっしゃるかもしれません」

「そうね。そうかもしれないわね」


 来客用の客室が並んでいる西側エリアの通路から戻った彩春と征爾は、居間中をくまなく探し始めた。呼んでも返事がない事から隠れた場所で眠っているのかもしれないと、ソファの後ろやテーブルの下、カーテンの後ろ、万が一のためにベランダも見てみるがどこにも冬瑠の姿は見当たらない。


「どういう事かしら……」

「でしたら、お嬢様は何らかの方法で扉を開けてしまわれたと……?」


 幼子がどうやってと首を傾げるしかないが、いつも傍に置いていた黒猫リュックも無いことから、それを持って居間を出たに違いないと確信に変わった。


「皆で探してみましょう。私共は一階と邸周辺を探しますので」

「お願いね。怪我などしていては大変だから急いで見つけないと」

「はい」


 征爾は一階へ急行し、邸に常駐する料理人二名と馭者の和馬、警護任務に就く和馬の息子とメイドである妻、休憩していたメイド一名は邸周辺を、征爾とメイド二名は一階をと手分けして探し始めていた。

 彩春は片っ端から二階の部屋を探している。


「夏翔、冬ちゃんが来なかったかしら?」


 勉強中の夏翔の自室にも顔を出してみるが、来ていないと言う。


「冬がどうかしたのですか?」

「目を離してしまった隙に、いなくなってしまったの。母様の不注意だわ……」

「よろしければ、私もお手伝いいたしますが」


 講師が捜索の手伝いを買って出たことで、夏翔も一緒に探し始めていた。

 二階を三人で手分けして探すが、プライベートエリアにも客室エリアのどこにも姿が見当たらない。


 ――その頃、冬瑠は誰もいない厨房で冷蔵庫の中身を物色していた。


 夕食の仕込みをしていた料理人たちがいた厨房に来ているとは思わずに、征爾たちは応接室の隅々を探したり、中庭を探していた。

 一歳の幼子という概念を取っ払い、どこへでも行けると仮定して邸中を探しているが、冬瑠の影一つ見つけることができないでいる。

 固定概念を捨ててもう一度厨房に戻ってみたが、そこにも冬瑠はいなかった。


 ――冬瑠は脚の長さよりも高い段差に悪戦苦闘しながら、階段登山の真っ最中である。


 二階の全ての部屋を探し終えた三人は、一階へ降りて来ていた。一階と使用人居住区を探していた征爾たちと、邸周辺を探していた料理人たちもエントランスに集まって来ている。


「執事様、念のため警備の者たちにも確認したのですが、誰も姿を見ていないとのことでした」

「分かった」

「――母上。考えたくはありませんが、何者かに誘拐された可能性は」

「でも、どうやって……」

「計画的に行われたのなら、邸周辺の見廻りの時間を計算に入れた犯行の可能性もございますが……」

「……しかし、奥方様が目を離した一瞬の隙を狙うのは至難の業かと」

「それもそうだわ……」


 一体何が起こっているのだと、一同の表情が硬い。


「もし万が一誘拐であれば、身代金の要求が来るかもしれません」

「父上に報せを送っては」

「そうね。それがいいわね」

「では手配いたしますので、どうか心を落ち着けてお待ちください」

「ええ……」


 彩春は夏翔と講師に付き添われて、暗い面持ちで居間へと戻って行った。

 そして、居間に戻った彩春から冬瑠が見つかったとの声が上がると、一同はほっと胸を撫で下ろしていたのだった――。



 ――娘の不思議行動を説明した秋周は苦笑いだ。


「一旦居間へ戻ったら……いつの間にかソファで眠っていたのだよ」

「それって、自分で帰って来たというか、もともと居間にいたのですか?」

「いいや、そうではなかった。居間も隅々まで探したのだが、いなかったのは間違いない。気になったのは、私たちがあの子にプレゼントしたリュックにタオルケットが詰め込まれていた事だ。もしかしたら、それを使って扉を開けたのかもと推測したのだが、まだ一歳のこんな小さな子がと不思議でな」

「聞かなかったのですか?」

「一度ね、まだはいはいをし始めた頃に、自分ひとりでベッドから降りていたことがあったの」

「結構な高さがありますよね。怪我をしなかったので?」


 まだ乳幼児のはずの子がどうやってと、ヘイズは興味津々に少々前のめりになって聞いている。


「枕を足場の代わりにして降りていたのよ」

「それはまた。あぁ、だからその時も頭を使って部屋を出てしまったと」

「きっとそうなのでしょうね」

「その時だけだろうと思っていたのだが……その考えは甘かったのだ……」

「まさか、その度に見つけられず、いつもひょっこり帰って来ていたと」

「そうなのだ。時には頭に葉っぱを付けて眠っていたこともあった。邸内だから遊びたいのだろうと叱ることはしなかったが、何度も肝が冷えてね……だが、探そうにもお手上げなのだ。だから、あの子の好きなようにさせようと思ってね」


 やれやれと諦めの境地に入っている気配を見せる二人に驚いたヘイズは、弾かれたように待て待てと両手をひらひらさせながら掲げていた。


「いえ、しかしそれはあくまでも御自宅の話では……」

「邸でさえ捜索できないのに、この王宮で見つかると思うか?」


 言われてみればそうだが、だからと確かにどうしようもない事態にひくひくと頬が引き攣るヘイズ。


「……探したいのは山々ですけど、まさか、騎士様総出でお願いなんてできないですわよね……」


 そりゃ無理だと、ヘイズは心中で絶叫している。


「あの子は帰巣本能というか……必ず戻ってくるようだから、彩春は庭園に戻ってみなさい。またいつもの様に、ひょっこり戻ってきそうな予感がするから」

「分かったわ」

「私は見かけた者がいないか聞いて回ってみよう」


 帰巣本能とは動物の話ではと心中でツッコミを入れながら、ヘイズも夫妻の後に続いて行く。


「なら俺も行きますよ。さすがに誰かが目撃しているでしょう。この王宮には、使用人も合わせれば少なく見積もっても八千人以上はいますから。それに、要所には騎士もいますし、巡回もしていますから」

「助かるよ」

「はい、長官」










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