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36 黒猫、戸惑う

本日2話目の投稿です。



「早くしろ」


 言われるがまま手を伸ばせば、想像以上に逞しい腕で私を縦穴から引き上げてくれました。

 急転直下な出来事に呆けていると、右手の痛みで意識が引き戻されたのですが、気づけばいつの間にか堕天使の膝の上に抱えられていて、シャツの襟間から汗だくの鎖骨が見えました。

 視線を上げればツヤツヤの髪が乱れ、額も汗だくで前髪が張り付いています。


「後で手当てするから、とりあえず今はこれで我慢するんだ」

「っ……」


 怪我をした右手を堕天使がハンカチで包んでくれているのです。


「ありがとう……」

「ああ」


 思わず口をついてお礼の言葉が出ましたが、それ以上の疑問が。


「どうしてここが分かったの? どうして助けてくれたの?」


 いつもいつも私の存在が疎ましいのだろうと思っていたのに、どうして助けてくれたのでしょうか?


「――お前が大切だからに決まっているだろう――」


 は?


「他に怪我しているところはないのか?」

「あ、はい、大丈夫」


 梯子が切れた時に地面に倒れて打ち付けた部分が所々痛みますが、そのうち治まると思います。

 それより今さっき、堕天使は何と言いました⁇

 小声だし、下を向いているので声が籠ってよく聞こえませんでした。


「歩けるか?」

「あ、うん、大丈夫」


 私の右手の応急処置を終えると、堕天使が視線を上げました。

 いつの頃からか中性っぽさが抜けてきた堕天使の無駄に綺麗な頬に、一筋の汗が流れていきました。

 遠くを見ている堕天使と視線は合いませんが、目の前のその横顔は今まで見たこともない真剣な眼差しをしています。


「まずはここを出るぞ。立てるか?」

「はい」


 急に振り向いてきた堕天使の視線に戸惑いながら膝の上から立ち上がると、今度は私の左手を繋いだまま歩き出したのです。


「え、あの、自分で歩けるから」

「また迷子になったらどうする。黙ってついて来い」

「……」


 でこぼこ道に気を付けて堕天使の後をついて行きながら、自分のハンカチを堕天使に差し出しました。堕天使のハンカチは私の右手に巻かれているので仕方なく。

 珍しく素直に受け取った堕天使は額や首の汗を拭い、自分のポケットに仕舞ったのです。珍しくお礼を言ってきたので、さらに戸惑いました。

 何か変なものでも食べたのでしょうか?


「出口が見えたぞ」


 ぽっかりと洞窟の入り口の形に太陽の光が白く輝いて見えます。なんだか思考が纏まらずふわふわしていた頭がその光でクリアになりました。

 出口までは一本道です。脱出するまで再び仲間が来ないことを祈りながら。


「(外にもいたか――さっきより人数が増えたようだな)」


 悪党の仲間たちがテントの下で談笑している姿が見えます。


「(どうやってここまで?)」

「(あの湖からここへ来るための脇道があそこある。ここは昔採掘していたんだ。一部で落盤があってからは別ルートで採掘している)」


 やっぱり盗掘に間違いなかったようです。

 だったら早くあの人たちを助け出さないと、落盤事故にも遭いかねません。


 問題のその脇道へ行くためには、悪党たちが停めている馬車の横を通らないと辿り着けないようです。

 九時の方角にはこの洞窟広場へ繋がっている大きな道があり、五時の方角に悪党たちのテントが、脇道は十二時の方角。脇道入り口に停まっている馬車の陰まで行ければ脱出できるのですが、こんな開けた場所を横切ったら丸見えです。

 テントの反対側から回り込むこともできないし、どうすれば――。

 視線を巡らせていると、いいことを思いつきました。


「(あの松明を火事に見せかけて悪党たちの目を欺けば)」

「(――なるほど。騒動の隙に逃げるのか)」

「(それなら敵に気づかれずに情報を持って帰れるし)」

「(鉱夫たちも危険な目に遭わなくて済むな)」

「(草を集めて――)」


 幸いにも、悪党たちがいるテントの逆の方は敵から死角になっています。

 燃料のためなのか、洞窟内の松明が掲げてある付近の地面に都合よく枯れ草が積んであったので、煙が出やすいように草の量を増やせればと思ったのです。

 外から草を集めて来ようと洞窟の外の状況をうかがおうとしたら、堕天使が私の腕を引いて目で咎めてきました。


「(私が行くから、お前はここにいろ)」

「(でも、私の方が動きやすいと思うけど)」


 だって私、隠れるの得意ですから。


「(――――分かった……合図を送るから、用心して行ってこい)」


 たっぷりと間が空きましたが納得したようです。

 堕天使が悪党たちの様子をうかがいながら、私の腕を掴んでいた手を離して合図を送ってきました。すぐさま出口から躍り出て、悪党たちと逆の方向の草叢へと身を隠しました。

 風がさわさわと吹いているのでちょっとぐらい音を立てても問題なし。怪しまれない程度の量の草を調達して洞窟入口をうかがえば、堕天使は悪党たちの方を向いたまま、今だと手を振って合図してくれました。

 悪党たちに気づかれずに出入口へ舞い戻ると、早速仕掛けの準備です。

 補充のために置いてあった枯れ草に採ってきた草を紛れ込ませてかさ増しし、松明を掲げるための器具を外して松明もろとも草の上に放り投げれば準備完了です。

 やった! いい感じに煙が出てきました!

 今度は二人で草叢に逃げ込んで機会をうかがいます。


「何か煙が出てないか?」

「あ? どこからだ」

「まずい、洞窟からだ」

「はあ? なんで洞窟から煙が出るんだよ」


 悪党たちが騒ぎ始めました。テントにいた男たちが洞窟の出入り口に近づいてきました。男たちが中に入った時がチャンスです!


「やべっ! 松明が落ちてるぜ!」

「だから言ったんだ! 古い物を使うなって!」


 私たちは草叢から走り出し、道を横切って向かいの茂みへと逃げ込みました。

 樹や草で身を隠しながら悪党たちに注意を払って茂みを横切り、脇道へと無事に辿り着けました!

 もう何年も使われていないのでしょう。石畳で舗装されていた痕跡が残っているような道で、雑草が生い茂っています。

 そんな道を私の手を繋いだまま斜め前を歩く堕天使から、深い息が漏れました。


「ったく……お前はどうやってあんな所まで行ったんだ」

「………………覚えてません……」

「は?」


 堕天使が思わず立ち止まって、がばっと振り返ってきました……。


「……だから、覚えてません……」


 超ド級の呆れ眼差しで見られようと、覚えていないものは覚えていないのです!


「ひとりで歩けますから手を離してください」

「お前はアホか! 記憶がないくらい迷子になるやつを誰が一人で歩かせるか!」

「……」


 ぐうの音も出ず、それからは黙り込んで歩いていたら、ぱあっと視界が開けた場所へと辿り着きました。

 迷子になる前に歩いていた湖のようです。

 そのほとりで、三人が手を振っているのが見えました。


「ごめんなさい。心配かけてしまって……」

「よかった。無事だったんだな」

「まあ……手にお怪我を?」

「先に手当だ」

「お任せください。応急キッドがございます」


 ボート小屋近くの丸太で作られた柵に腰かけて治療を始めました。

 右手からハンカチを外してみると、泥で汚れ、木の破片が刺さって血が滲み、結構大惨事なことになっています。

 うぅ……直視すると、余計に痛みが‼

 近くのお店で夏兄様が買ってきてくれたペットポトルの水で汚れた傷口を洗い流す時と、刺さった破片をピンセットで取り除く時は涙が出ましたよ……。

 消毒薬がじくじくと染みるし!

 くぅぅっっ‼


「さぁ、これで大丈夫です。鎮痛薬が直に効いてきますよ」

「ありがとう」

「はい」


 丁寧に巻かれた包帯を見ていると、本当に助かったのだという安堵感がじわじわと湧いてきました。

 まぁ、助かったのは他でもありません。

 悔しいですが、暗い縦穴の中で堕天使の顔を見た時、ひとりぼっちの心細さが無くなったのも認めます。

 もう一度お礼をと思って堕天使を見上げると、夏兄様と颯さんとで何やら話し込んでいました。


「本当にご無事でよかったですわ」

「クロイツヴァルト様に助けてもらいましたの」

「そうでしたのね。やっとですのね」

「はい? 何がやっとですの?」

「うふふふ」

「清花様?」

「うふふふ」


 隣に座る清花様が、いつもの様に片手で口元を隠して意味深な微笑みを浮かべるばかりで何も教えてくれないのです。

 やっとって、何の事でしょうか?


「畏まりました。そのように手配いたします」

「頼んだぞ」

「はい、若様」


 三人の話が終わると、颯さんは別荘へ戻るために湖を離れて行きました。

 さっき見聞きしてきたことを騎士駐留所に伝え、公爵様とレイボヴィッツ子爵様にも知らせる手配をするためです。

 あの金鉱山に目をつけた盗賊団の被害に遭っているのは、公爵領と子爵領の境にほど近い村に住む子爵領の領民の可能性が高いのだとか。

 ここは鉱夫の街として栄えているらしく、あんな目に遭っているなら被害届が出ないはずがないそうなのです。

 人質に取られている人たちと採掘現場の人たちの救出も含め、盗賊団の規模が分からない以上、駐留所の騎士様たちだけで乗り込むのは危険と判断し、合同作戦の手筈を整えるのだとか。


「じゃあ、彼が戻ってくるまで、私たちはボートに乗ってみようか」

「そうですわね」


 夏兄様たちがさっさと二人でボートに乗り込もうとしています。

 ってことは、必然的に私は――。


「冬、行くぞ」


 ん?

 今、冬って言いました? いつもおチビって呼んでいたのに。


「冬も乗ってごらん。楽しいよ」


 夏兄様がボートの上から声を掛けてきました。

 でも、堕天使と……。

 尻込みしていると、また勝手に手を繋いできたのです。


「落としたりしないから来い」

「え、ちょ」


 くいっと手を引かれてしまい、堕天使と同じボートに乗る羽目に……。

 向かい合わせに乗ってオールを漕ぐ堕天使の視線が気まずくて俯いていたら、いきなり頭に重量を感じたのです。

 何事かと視線を上げれば、堕天使が頭を撫でていました。


「よく頑張ったな。お前のお陰で村人は解放されるはずだ」


 あまりの事に、私は戸惑いの連続です。

 本当に、今日の堕天使はどうしたのでしょうか?


「助けてくれてありがとうございます」


 そんな私も、さっき言おうとしたお礼が自然と口から零れていました。

 すると――。

 どきんっ、と……心臓が跳ねた気がしたのですが。

 だって、堕天使が笑顔を……あの嘘臭スマイルではない、優しい笑顔を浮かべたのです。初めて見る本当の笑顔を。

 

「痛みは取れたか?」

「え、あ、はい」

「よかったな」


 えっと、さっきから笑顔の大特価セールで戸惑うのですが……。


 ――何か、裏でもあるのでしょうか――?


 あれ?

 ちょっと離れた場所にいる夏兄様たちの様子が変です。

 ……清花様が両手で顔を隠して、やたらと首を振っているのです。

 何かに悶えています?

 夏兄様も口元を隠して俯き加減になりながら、ボートの縁を握りしめて何かに耐えているようなのですが……二人で何をしているのでしょうか?


 それからは会話もなく、オールを漕ぐ音と弾ける水の音だけが辺りに響き渡る大自然を楽しんでいました。

 とても広い湖で、湖面は鮮やかな孔雀青色くじゃくあおいろに輝いています。

 水も透明度が高く、手を浸してみたら冷たくて気持ちがいいです。

 暫くしたら颯さんが戻ってきたので、ボート遊びもこれで終了となりました。

 でも、本当に今日の堕天使は珍しいです。

 いつもなら嫌味の応酬なはずなのに、堕天使も黙って景色を楽しんでいたようですし、ボートから桟橋に上がる時も紳士のように手を差し伸べてきたのです。


「えっと、手を」

「迷子防止だ」

「はぐれないように手を繋いでおきなさい」

「それがいいいですわ」


 差し出された手を握ってしまったばかりにそのまま離してくれず、夏兄様たちの追い打ちでそのまま馬車まで戻ることになったのです。

 まぁ、心配を掛けたばっかりですから……。

 それに、邪険にしたバチが当たったのですから、ここは大人しく従いました。




 無事に別荘へ帰り着いた後は夕食をいただき、右手を使えない私のために有り難くもメイドさんの手を借りて入浴を済ませ、外で涼むのもいいかとバルコニーで寛いでいました。

 雲ひとつない星の煌きが綺麗な夜空が広がっていました。避暑地だけあって心地よい夜風が吹き抜けていきます。

 と、部屋の扉からノック音が。


「ちょっといいかい?」

「どうぞ」


 夏兄様も入浴を終えた後の様で、一緒にバルコニーで涼むことにしました。


「手の具合はどうだい?」

「痛み止めが効いているから大丈夫ですよ」

「本当に無事でよかった」

「はい」

「蒼真は言わないと思うから、私から伝えておくよ」


 堕天使が何か?


「冬がまだ一年生の時だったな。冬にとってよくない人間がいてね。蒼真はその脅威を冬には黙って追い払って守ってくれたんだよ。清花も手伝ってくれたけどね」

「よくない人間ですか?」

「冬に危害を加えようとしていた輩がいたんだ」


 私に危害を加える? 夏兄様に危害を加えようとしたあの人だけじゃなくて?


「私がその人に何かしてしまったのですか?」

「いいや、そういう事じゃないけどね」

「ん~。どうしてあの人が私を守る必要が? 何か関係があるのですか?」


 あれ?

 夏兄様が笑顔のまま一時停止してしまいました。どうしたのでしょうか?


「お兄様?」

「まぁ、そのうち、おいおい、きっと、いつか、恐らく、分かると思うよ……」

「そうですか。だったら待ってます。あ、そういえば清花様もやっととか言ってましたけど、何の事か知っていますか?」

「それもそのうち分かるよ……きっと……」

「そうですか」

「じゃあ、ゆっくりお休み」

「はい。お休みなさい、お兄様」


 今日は山道を歩き回ったり、洞窟内をうろうろしたので疲れましたね。

 あの人たちが早く解放されることを祈りながら、今夜は眠りにつきました。




 +++

『しかし、よく見つけたな』

『勘だ』

『何にせよ、冬を助けてくれてありがとう』

『ああ』

『でだ。一体どうなってるんだい? 冬は何というか、全然そんな気配が無いようなんだが。折角二人きりにしたのにボートで話さなかったのか?』


 夏翔が呆れた眼差しを送っていると、蒼真の口角がニヤリと吊り上がった。


『もう少し時間をかけるだけだ。すぐに懐いたんじゃ面白くないだろう』

『おいおい……うちの妹は猫じゃないんだぞ、猫じゃ……』

『あれの事も気にかかるしな』

『――あの時の女か』

『学園での動きはなさそうだが、何を仕掛けてくるか分からないからな』

『清花も言っていたが、例え婚約を発表しても妬みから何か起こる可能性もあると考えた方がよさそうだね』

『ああ。私に考えがあるから、冬にはまだ秘密にしてくれ』

『分かったよ』

 +++





 旅行から帰った翌日、夏兄様が教えてくれました。

 盗賊団による盗掘と人質事件は無事に解決したそうです。

 なんでも、人身売買や臓器売買、危険薬物売買など、最近急速に勢力を拡大してきていた世界を股に掛ける凶悪犯罪組織だったとか。金脈を見つけ、活動資金が充実しつつあったかららしいのです。この事件を足掛かりにして、各国は組織壊滅に乗り出せるだろうと言っていました。

 平穏な生活を取り戻せて本当に良かったと思います。

 事件解決の功労者だよと、お父様とお母様も褒めてくれました。ただ、怪我をして帰って来た私を見たお母様は瞳をうるうるさせていましたが……。

 心配掛けてごめんなさい。今後迷子になっても、怪我だけはしないように気をつけます。


 ……いいえ、違いますね。

 迷子にならないように気を付けます!










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