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34 『火遁』発動により

本日3話目の投稿です。



 陽が完全に西の地平線へ沈んだ頃――。


 第一師団長室には、何度も腕時計で時刻を確認している男がいた。

 子爵家の次男として生を受けたこの男は女癖が悪く、貢いだ金額はいかほどか。家庭を顧みない夫に愛想をつかした妻と離縁する際、最後の夕食で腹いせに妻から食中毒にされ苦しんだという裏話がある。嘘か真か定かではない。


「そろそろ時間だ。行くぞ」

「了解」


 第一師団の詰所に待機していた数名の騎士が、師団長の合図で立ち上がった。

 もうすぐ数か所の邸で夜会が開催される時刻。

 その内の一か所で、驚天動地な火災が起きる時刻でもある。

 それに乗じて反乱を企てる者たちが集う場所へと向かうため、師団長は部下たちを連れて詰所を後にした。


 だが――。


「全員両手を上げて大人しく投降しろ」


 詰所の周りには、剣を掲げた騎士たちが大挙して取り囲んでいた。

 バジリスク師団長の眼光に、反逆者たちは竦みあがっている。


「……計画が漏れていたのか」

「生憎だったな、一師団長。いや、元師団長か」


 抵抗する気力もなく捕縛されていく第一師団の騎士たち。第一師団長は、忌々しげに歯ぎしりをしていた。



 もう一方では、第四師団の数十名の騎士たちが次々に捕縛されていた。第五熊師団長の指揮下で迅速に事は運ばれていった。


 そして、クロイツヴァルト公爵家へ応援に駆け付けた第七師団長こと将嗣まさつぐ率いる騎士たちによって、第六師団の者たちは連行されていった。



 静寂に包まれた黒幕の本邸周辺は、第三師団によって秘かに且つ迅速に包囲されていた。

 手に入れた”双矢”という合言葉を使って邸内への踏み込みを成功させると、急襲を受けた警備の者たちは抵抗空しく捕らわれ、自室に隠し持っていた金目の物を持ち出し裏口から逃走を図ろうとした執事は、既に邸を包囲していた騎士たちによって取り押さえられたのだった。


「直にお前さんの主人は拘束される。生憎だったな」

「――」


 髪は乱れ、抵抗した際に乱れた執事服を着る男を見下ろしていた第三師団長は、自慢の髭を撫でながら視線を上げた。


「さて、任務完了だ。王宮に知らせを送れ」

「は!」


 何も知らない怯える使用人たちはエントランスに集められ、執事や警備員が連行されていく状況を見守っていた――。



  ※ ※



 陛下執務室では、信雅と智景のふたりがソファで寛いでいた。


「兄上とこんなにゆっくり酒を酌み交わすのも久しいな」

「そうだな」


 とくとくとグラスに注がれるウィスキーが透明の水と混ざり合い、琥珀色の液体が幻想的な色合いを醸し出す。

 二人は静かにグラスを傾け、バニラの香りを楽しんだ。


「ところで其方はいつ妻を迎える気だ?」

「どうだろうな。跡継ぎを残す必要もないであろう。私の他に公爵家は四家あるのだからな」

「だが、歴史あるパウルス公爵家は跡継ぎが途絶えてしまったな」

「心配には及ばないだろう。直に王子が誕生するのではないか?」

「そう願いたいものだ」


 くるくるとグラスを揺らして楽しんでいる信雅を横目に、智景は瞳に剣呑な光を宿しながらグラスを傾けた。



 すると――ゆったりと流れる空気に水を差すかのように、執務室の扉がノックもなく唐突に開かれた。

 ――グラスを持つ智景の左手が、一瞬だけ僅かに揺れた。


「終わったのか?」

「はい、父上。首尾よく終わりました」

「そうか」


 扉の向こうから現れた玖郎と信雅の会話が終わると、執務室内に近衛騎士たちが雪崩れ込んでくる。

 秀将が智景の首に剣の切っ先を突き付けた。


「智景・ヴォネガット。国家反逆の罪で勾留する」

「くくっ。これは何の真似だ、団長」


 智景は左の口角を上げて嘲笑しながら秀将を見上げた。


「反逆罪だと? 全く身に覚えがないが?」

「あやつが全部自供した。執事も取り押さえられ、貴様に加担した騎士たちも全て抑えている。言い逃れはできんぞ、ヴォネガット」


 執務室の扉の陰から、縄に繋がれた六師団長が押し出されてきた。

 剣を突き付けられている智景は動じることなくひとしきり笑うと、グラスに残っているウィスキーを煽った。


「父上」


 前王陛下雅直が騎士たちの合間から姿を現すと、智景の瞳が昏く濁っていく。

 引退しても尚、威光衰えぬ雅直に騎士たちは頭を垂れた。


「三人にしてくれ」


 雅直がソファに腰掛けると、秀将の合図で近衛騎士たちは執務室から速やかに退室して行く。玖郎も一礼して執務室を後にした。


「久々に親子で顔を揃えたのはいつぶりであろうかの」

「智景が公爵邸へ移り住んでからですから、永い時が流れました」

「そうだの」


 智景は黙し、手酌でウィスキーをグラスに注いだ。水で割ることなく、香りを楽しむでもなく、表情一つ変えずにストレートをぐびりと喉に流し込んでいった。


「――儂は半信半疑であった。アーレント侯爵家に黒曜姫が誕生したと聞いた日からな」


 意外な名が出てきたことに、智景の視線が上がった。


「先代の黒曜姫が現れてからここ何代も生まれることはなかったと聞く。それはつまり、泰平の世が続いたという証なのだ。これは歴代の国王のみに脈々と伝えられてきた所伝しょでん――アーレント家の黒曜姫、それすなわち”フラヴァシ”の化身であると」


 智景がテーブルの上に置いたグラスの音が、コンっと異様に室内に響いた。


 ――フラヴァシとは神話に出てくる想像上の生き物で『善』の象徴であるその鳥は神の御使いだとされている。

 そして、その姿は黒鷲くろわしに例えられ、瞳は瑠璃色に輝き、その体は黒曜石のような美しい色合いを放つという。


「黒曜姫とは誰もが知るように、表向きは珍しい血統だと語り継がれてきた名だ。だが、本来の意味は――その誕生とは、民の生活を脅かす存在が現れたことを示しておるのだ。黒曜姫は王家のためにあるのではない。民のために存在する者」


 雅直の瞳が悲しみに彩られていく。


「アーレント一族はいにしえよりこの土地で暮らしていた。始祖王が我が国を建国できたのは、単に選ばれたからにすぎぬのだ。新たな王を選び、民を苦しめる王から救い出した――の一族は儂ら王族に仕えているのではない。この土地を治める者を監視しているにすぎぬ。そしてまた、己が王に成り得ることも無いという。かの一族も神ではない。人間の欲とは時に残酷な刃となる。即ち、過ぎたる欲を身の内に抱けば監視者としての分限は失墜する」

 

 雅直の視線がしっかりと智景を捉えた。


「のぅ、智景よ――其方は玉座に就いて何を成したかったのだ。其方は甥を唆した挙句、死へと追いやった。さらには己の兄ともう一人の甥までも手にかけようとした。これを悪行と言わずして何という。民からは搾取し、民の人生を弄ぶ其方が考える治世とは何だ――」


 智景の口からは何一つ返答が出てこない。


「儂は無念である。我が息子が――悪の象徴になろうとはな――」




  ※ ※ ※




「なるほど――」


 予定通り行われた公爵家の夜会から戻った秋周は、居間で夏翔と酒を酌み交わしながらアーレント一族の歴史を語っていた。


 アーレント家当主にのみ伝えられる一族の使命――。


「やっと合点がいきました。冬の散歩を言い聞かせなかった理由が」

「あの子は必要な場所へ導かれ、そして情報を持ち帰るという宿命を負っている子なのだ。それがどんなに危険な場所でも止めることはできない。あの子がどんなに心配でも、我ら一族は娘を思うのではなく、民を思わねばならない宿命なのだ」

「……では、過去の黒曜姫には命を落とした方も?」

「そうだ――いつの時代も、乱世に生まれた黒曜姫がそうだと伝わっている。最後の情報を得た際に深手を負ったのが原因でな」

「一族と言いましたが、もしかして他の国にも?」

「その通りだ。黒髪を持つアーレント一族は世界に点在している。この土地に初代様が生まれ、男子の家系からしか生まれないその血を受け継いだ末裔たちが海を渡り、今もどこかの土地と民を我々のように守っている。存在は知っているが、顔を合わせることは無いだろうな」

「五大陸のどこかにいるのですね」

「そういう事だ」


 秋周は一本の古い巻物を木箱から取り出し、目の前のテーブルに広げていく。

 所々継ぎ足された本紙に記されていたのは家系図で、初代当主の名から脈々と数えきれないほどの名が連なっていた。生まれているのは嫡男ばかりで、ぽつりぽつりと黒曜姫の名が見受けられる。初代当主の長子から辿り、夏翔と冬瑠の名が最後に記されていた。


 夏翔は一族が背負う重責を噛み締めながら、静かにグラスを傾けていた。










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