33 黒猫、隠密スキル『火遁』発動
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その頃、一方では――。
王都の北の端、第六師団の管轄である北関所近くで火事騒動が起こっていた。
詰所で待機していたところ、応援要請により駆けつけた第六師団副師団長らが消火活動の指揮にあたっていた。
彼らが向かった火事の現場となっていたのは空き家であった。
その建物の周りでは、消火栓から引かれた数本のホースが今も水を吐き出している。騎士たちや私設消防団員による懸命の消火活動が続いていた。
『――ガス爆発と聞いたが、周りの建物の損傷が見られない』
駆けつけてから三時間以上かかって鎮火できた火災現場の状況を見て回る副師団長の眉間に皺が寄っていた。
そこへ、部下の一人が駆けつけてきた。
『副師団長、何かおかしいです』
『どうした』
『ガス管の老朽化による爆発であれば、火元になった付近の損傷が激しいはずですが、管の破片どころか破裂した箇所すら見当たりません。それに、火の回り方から見ると、火元となる原因が建物内だけでなく、外側にもあったような燃え方をしています。まるで灯油でも撒いたような臭いが充満しているのです』
『放火の可能性が高いな』
『はい』
『工造はどこだ』
『俺は見ていませんが』
『――あいつが応援要請でガス爆発の大規模火災が起きたと言っていたが、報告が食い違っているな。誰が第一発見者だ』
『俺は聞いていないので、確かめてきます』
情報を再確認してみれば、第一発見者の話を聞いたのは工造であった。人手が足りないと北の駐留所に出動要請を知らせに来た後、応援を呼んでくると言ったきり誰も彼の姿を見ていないという。
『何か変では』
『私もそんな気がしてきた――』
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び、吃驚しましたよ!
っていうか、早くここから逃げないと!
身動きもできないし口も塞がれているので、目で必死に訴えかけているのですが、堕天使は敵の様子をうかがうばかりで!
カサっ。
あっ! しまった! 樹の根っこに足が擦れてしまいました!
「ん? 何か音がしなかったか?」
「そうですか?」
マズいです!
足音がこちらに近づいてきています!
堕天使が私の口を塞いだままで、樹の陰に隠れながらじりじりと身を低くしていますが、このままでは見つかってしまいます‼
「うわぁっ、火がっ」
「馬鹿野郎! 何をしているっ、大声を出すな!」
「灯油に引火してるぞっ」
「早く消せっ」
「灯油が零れています! 何だこれっ、木箱が燃えてポリタンクが溶けてるじゃないかっ」
「何をやっている! 土をかけて消せ!」
は?
堕天使が突然私の身体をひっくり返したかと思うと、体勢を低くしたまま私を横抱きにして抱き込んで、この騒ぎに紛れて中腰でこの場を静かに離れて行くのです。
ある程度離れたところで体を起こした堕天使は、今度は急に私の足から手を放して腰を抱き込んだかと思うと、私をさらに高く抱き上げて走り出しました。
堕天使のつむじが見える高さまで抱きかかえられたことに悲鳴を上げそうになったのですが、間一髪で押さえ込みましたよ!
茂みを抜けると、小低木で整えられた庭園の向こうにお邸が見えました。
太陽がもうすぐ地平線に沈んでいく時刻で、辺りは薄暗くなっています。
「(ちょっと! 降ろして!)」
「(静かにしてろ。気づかれたらどうする)」
あの現場から結構離れたから大丈夫なはずなのに、堕天使は私を抱えたまま邸に駆け込んでしまいました。
「うぉ! 冬瑠嬢がいた!」
ヘイズ様の驚いた声に、公爵様と公爵夫人と執事さんがこちらに視線を集中させました。
「ほぉ。見つけたようだな、蒼真」
「ええ、この通り」
「冬瑠嬢。もしかして、もう敵が?」
「さっき見た限りでは、三・四名の騎士がいました」
「東側庭園の奥の茂みにネズミが入り込んでいた。自滅して火事を起こしている」
「どこから侵入しようかと、邸の周辺を嗅ぎ回っていたようだな。人手を集めろ。今から叩きに行く」
「畏まりました」
は‼
今更気づいたのですが‼
「(ちょ、ちょっとっ、降ろしてよっ)」
皆さんがいる前でなんてことするのですか!
まだ抱きかかえられたままでしたよ‼
「お前はすぐにどこかで迷子になるから大人しくしていろ」
「どこにも行きませんよ! とにかく降ろしてください!」
「降ろしてやるから暴れるなよ」
「どういう意味ですか!」
やっと降ろしてくれたかと思うと、今度は妖怪”子泣き爺”のように背中から巻き付いてきたのです!
「ちょ!」
「うるさい。暴れるなと言っただろう。これで譲歩してやっているんだ。大人しくここにいろ」
「だからって、どうして腕を回す必要が!」
この馬鹿力めぇ‼
お腹に巻き付く腕をはがし取ろうとしても、びくともしません!
意味不明な堕天使の行動に悪戦苦闘していたら。
「冬瑠ちゃん、心配だからそのままでいなさいな」
「もうすぐ侯爵たちが来るだろうからそのままでいるんだ。分かったな」
は?
公爵夫人と公爵様に言われた意味を計り兼ねています。
堕天使のご両親の前で、堕天使にとっても私にとっても、世間的に考えればおかしな格好を晒しているはずなのですが、どうして容認するような言葉を掛けられたのでしょうか⁇
公爵様たちとヘイズ様が、薄~く、薄~く笑っているように見えるのは気のせいでしょうか⁇
頭の中をクエスチョンマークでいっぱいにしていると、帯剣している警備さんたちを引き連れた執事さんが奥から戻ってきました。
ヘイズ様もその隊に加わり、あの現場へ向かって行かれました。
しばらくの後――。
八名の騎士様が後ろ手に縄を巻かれた状態で連れてこられたのです。ヘイズ様たちが問題のポリタンクを五つ抱えてきました。
犯人たちは今、玄関先で待っていた公爵様の前に跪いて項垂れています。
「見つかったと分かったら抵抗もしませんでしたよ。命は惜しいようですね」
ヘイズ様が嫌味っぽく仰ると、あの日見た騎士――腕に六師団の腕章をした師団長様が、ぐっと唇をつぐみました。
「今は逃れても、其方らは反逆者の一味。処刑されるに決まっているだろう」
「――」
「其方は人望がないと見えるな。この計画に賛同したのは、いや、其方が買収できた騎士の数は少数だろう。副師団長はどうした」
「――」
黙り込んでいた師団長様が顔を上げました。
「……何故分かった……さっきの小火でバレたのか……」
「ポリタンクはもっとあったはずですが、どうしたのですか?」
「何? 何故それを知っている!」
師団長様が突然声を張り上げました。
「街で迷子になって偶然見つけました。その時、この計画を聞いたのです」
師団長様たちの目が点になっています。
「冬瑠嬢、いくつぐらいあったんだい?」
「確か、二十個近くはあったと思います」
「さっき消火に手間取り慌てていたようでしたが、運び込むのを止めて、気づかれる前にと全員で消火しようとしていましたか」
「ならまだ塀の外に残っているのか。回収してこい」
「畏まりました」
「誰かの火の不始末が原因で瓦解したようだな。お粗末な計画だな、師団長」
公爵様が笑いだすと、騎士様たちは呆然としてしまいました。
「……ただの迷子で、”双矢様”の計画が崩れたというのか……?」
「ついに尻尾を出したようだな。それが其方たちの黒幕か」
「――双矢の家紋――ヴォネガット公爵」
倉庫のような建物の傍で話を聞いた時、共犯の人が双矢様と言っていたのですが、誰の事なのか分かりませんでした。
でも、王宮であの人を見かけた時、ピンときたのです。
胸に飾られた家紋のエンブレムに交わった二本の矢が象られていたからです。
――この恐ろしい計画を考えているあの人が何食わぬ顔で話しかけてきたとき、そのうすら寒い笑顔が怖くて堪りませんでした。
本当に人とは腹の内で何を考えているのか分からないものです……。
前面に灯りをともした一台の馬車が、公爵邸の玄関アプローチへ近づいて来ています。花壇を中心に作られた目の前の円形のアプローチを回り込んできた馬車を操るのは和馬おじちゃん。
お父様が来てくれたようです。
馬車から降りてきたのは、お父様と夏兄様でした。
「――師団長、其方か」
「――」
「長官、王宮では殿下が陣頭指揮を執られています。こちらにも応援が来る予定になっています」
「分かった」
のはいいのですが……お父様と夏兄様の視線が私に集中しているのです。
当たり前ですよね‼
「見つけた」
「何だって‼」「見つけたのか‼」
お父様! 夏兄様! 何をどうツッコミを入れていいのか分かりません!
何を見つけたからと驚いているのですか⁈
貴方の娘に巻き付く堕天使のこの不埒な手は放置ですか!
どうして誰も堕天使を注意しないのですか!
おかしいでしょう‼
「迷子に」
「いたっ」
「ならない」
「痛っ!」
「ように」
「痛いって!」
「見張っていた」
「頭に顎を乗せて話さないでよ! 痛いでしょう!」
このぉぉ! 身長が低いって貶しているんでしょう‼
きっと絶対まだ伸びるのよ‼
「あぁ……うん……蒼真、ありがとう」
「お兄様! 何がありがとうですか!」
そしたら、公爵様たちから笑いが起こったのです。
な! お父様たちも!
はっ! 使用人さんたちも笑いを堪えています!
な、な、なぁ、何だって言うんですか‼
ぎゅ。
「痛っ。お前は何をする」
「もう一回踏まれたくなかったら離して!」
顎にグーパンお見舞いしてもいんですからね!
堕天使の腕が緩んだら飛び出して、お父様の後ろに逃げ隠れました。
またしても笑いが起こったのですが、そんな笑顔を見ていると、みんなが無事で良かったなぁと実感しています。
はい。本当に良かったと思います。
――思いますが……なんかだか釈然としないのも事実です!
耳学問の豆知識:火遁の術。
火事や火薬(ほうり火矢・埋め火・爆竹)を使って、追っ手を混乱させて逃れる術だそうです。




