32 黒猫、相まみえる
年が変わり、この春で私も二年生になりました。
三月に卒業した夏兄様たちは、それぞれの道を歩み始めています。
父が長官を務める法務省付けとなり、ヘイズ様と同じ職場に配属された夏兄様は頑張って仕事を覚えているそうです。
玖郎殿下との婚姻の儀が四月の中旬に執り行われ、絢音様は王太子妃としての生活が始まっています。
それと、別に興味はないのですが、夏兄様が言うには、あの堕天使も王宮勤めに励んでいるとか。あちらは父君が長官を務めている財務省付けになったそうです。
興味はありません。はい。
――そういえばこんな事がありました。
門出を祝うために、卒業式の後で夏兄様たちにお祝いの言葉を贈りました。
そしたらまた、あの堕天使がいきなり私の頭を鳥の巣にしてきたのです。
それも不機嫌そうな顔で――。
訳が分からず、二度もなことに超ムカついた私はグーパンに見せかけて、不意打ちのすね蹴りをお見舞いしてやりました。
本当に意味不明な男ですよ。
そんなこんなで時は穏やかに流れ、夏休みが近づいてきた頃、王宮舞踏会が開かれました。これで夏兄様たちのお披露目も終わり、成人貴族となったわけです。
とっても気になる王宮舞踏会。
学園を卒業し、十八歳で成人貴族となるわけですが、この王宮舞踏会が夜会への初参加となるのです。デヴュタントの子息や令嬢は、指定された白い花飾りを胸元に飾り、ファーストダンスを踊ってお披露目するのです。
で、夏兄様はまだ婚約者がいないので、お相手は絢音様でした。玖郎殿下とのダンスが終わった後に踊ったそうです。
それにやっぱり王宮は我が家の比ではなく、何もかもが豪華絢爛なのだとか。
夏兄様から情報収集して夢が膨らんできた私は、将来どんな殿方と出会えるだろうと未来に思いを馳せていました。夏兄様の頬がなにやら引き攣っていたことは気になりましたが、夢くらい見てもいいですよね。
※ ※ ※
「王宮へ行く前に、あのお店に寄ってほしいの」
「畏まりました、お嬢様」
今日は、絢音様にお茶をしようと王宮へ招かれたのです。
正装のアフタヌーンドレスを本来なら着用するのですが、格式ばったお茶会ではなく、二人きりでお茶をしたいとのことなので学園帰りの制服でノープロブレムなのです。
王太子妃になられてから、なかなかお会いする機会がなかったので楽しみです!
ちょっとサプライズを思いついた私は、和馬おじちゃんに頼んで寄り道をすることにしました。
「お嬢様、着きましたよ」
「ありがとう」
向かった場所は、スィーツ店です。
絢音様はこのお店のタルトが好きだと言っていたので、差し入れに持っていこうと思いました。公爵家でご馳走になって以来、私もここのスィーツの虜なのです。
店内には、見た目も綺麗な色とりどりのスィーツたちがショーケースに所狭しと陳列されています。
う~ん。どれもこれも美味しいので目移りしますね!
絢音様の好きなタルトを忘れずに。
で、今回はカスタードクリームたっぷりの洋ナシタルトと三種のベリータルト、チーズケーキにフォンダン・オ・ショコラと欲張って購入しました。
それはいいのですが、馬車が見当たりません――。
うそぉぉ……また迷子ですか!
角地に建つお店なので、往来の邪魔にならないようにちょっと離れた場所に停めてくれていた馬車と和馬おじちゃんの姿が見えません!
どうしてこんな事が起こるのか、さっぱり分かりませんよ……。
いつの間にか裏路地のようなところにいて、またもや人がいないのです。高い塀や倉庫のような建物で視界を遮られていて、遠くを確認することができません。
とにかく人がいる通りに出れば、お店の場所を聞けるので。
「これで全部か?」
「ああ」
あ、人がいた!
お邪魔します!
ズルっ、ズルっ。(ころころ――)
建物の中から人の声がしたので道を聞こうとしたら……とんでもない事を聞いてしまいました。
これは本当にマズいです。
今までになく危険で悪質で、もうとんでもなくマズいです――。
その建物の出入り口からそっと離れて、窓の下を這うように避けながら塀の外に出て、一目散に走り出しました。
急いで和馬おじちゃんを見つけないと。
あの角を曲がれば、何とかならないでしょうか。
あ。人がいる通りを見つけました!
やった! 運よく和馬おじちゃん発見です!
「お嬢様、もしや迷子になられていたのでは……」
「あ、うん。ちょっとね。約束の時間が厳しくなってるから急ごう」
「畏まりました」
バレバレだったようですが、今は急がないと――。
今日は何故か、王宮への馬車の出入りが多くて渋滞していました。
途中で降ろしてもらって徒歩で向かった方が早そうです。
絢音様とお茶をする前に父の所へ行く時間を考えると、のんびりもしていられません。
馬車を停めてもらおうと、馭者台にいる和馬おじちゃんと話せる小さな木窓に手を掛けた時、ふと思い出しました。
――そういえば今日は、早めに帰るって言っていたような。
「お父様たちはまだ王宮にいるの?」
「旦那様ですか? だったら行き違いになってしまいましたね。旦那様と若様は、公爵家の夜会の準備のためとかで、今のように渋滞する前に帰宅されたのですよ」
やっぱり‼
一足遅かった……。
だったら、一刻も早く絢音様に知らせないと!
私を絢音様の所まで案内してくれる侍女さんが正面入り口で待っていてくれるそうなので、急いで合流しようと馬車の流れから外れて停めてもらい、馬車から降り立った時でした。
「お。冬瑠嬢。長官たちは帰宅されたよ?」
「ヘイズ様!」
「お、おぉ。どうかしたのかい?」
天の助けです!
おっと、いけない。一呼吸置いて、落ち着いて。
こんな往来では、誰が聞いているか分かりませんからね。
「(大切なお話が――)」
小さく呟くと、ヘイズ様は周りに視線を走らせて頷いてくれました。
和馬おじちゃんと話をしているという体裁をとるために、さりげなく馬車の陰に移動して。
「(双矢という方をご存知ですか)」
「(――分かった。人目のない場所へ行って話してくれるかい?)」
「(はい)」
とりあえず和馬おじちゃんと、丁度この近くに馬車を停めてヘイズ様の帰りを待っていた馭者さんも待機してもらい、私たちは王宮へと急ぎました。
ヘイズ様に何か考えがあるようで、出迎えに来てくれた侍女さんに言伝を頼み、先に絢音様の所へ戻ってもらいました。
「さぁ、こっちだよ」
「はい」
思い当たる節が多々あるので、ヘイズ様とはぐれないようにしっかりと後について王宮を歩いていると――ある重要なものを見つけました――。
――もしかして、あの人が。
ぞくっと悪寒が走りました……。
その人は素通りしてくれるかと思ったのに――。
「おや? もしや君は、アーレント侯爵家の黒曜姫かな?」
「これは、ヴォネガット公爵閣下」
ヘイズ様と一緒に会釈すると、公爵様がニコリとされましたが……。
「私は、ヴォネガット公爵家当主、智景・ヴォネガットだ」
「お初にお目にかかります。アーレント侯爵が娘、冬瑠・アーレントと申します。どうぞお見知りおきくださいませ」
「ほぅ。噂に違わず、黒曜石に例えられる綺麗な黒髪だな」
「畏れ入ります」
人が好さそうな柔和な雰囲気で話しかけてこられましたが、今の私には堕天使の嘘臭スマイルより質が悪いと感じてしまいます。夏兄様を殺害しようと企んでいたあの男のように――。
「学生の君が王宮に何の用かな? 父君たちが帰宅しているのを見かけたが」
「本日は、妃殿下にお茶のお誘いをいただいております」
「そうか。なら、遅れないようにな」
「はい」
「それで、何故ヘイズ殿と一緒にいるのかな?」
背中に嫌な汗が一筋流れていきました。
「出迎えの侍女とはぐれてしまったらしく、通りかかった私が案内していました」
「お恥ずかしい限りです」
「では、これで失礼します、閣下」
「ああ」
「(大丈夫。気づかれていないはずだよ)」
「(はい)」
私たちが会釈している脇を公爵様が通り過ぎて行くのを見届けると、ヘイズ様が耳打ちをされました。
ヘイズ様も”双矢”が何なのか気づいてくれたようです。
……僅かなやり取りでしたが緊張しました……。
声が震えなかっただけでも御の字です。
それはともかく、ヘイズ様の機転に助けられました。
そっか。誰が見ているかも分からない王宮をヘイズ様と一緒に歩く理由が必要だからと、侍女さんを先に行かせたのですね。
あの短時間でそこまで考えが及ぶヘイズ様って凄いです。
王宮勤めって……社交界って、世知辛いとしか言いようがありません。
隣を歩くヘイズ様の今の表情も普通にしか見えないのです。
私は平常心を保つだけでも大変なのに、これが大人社会の現実なのですね。
「ここならもう大丈夫だよ。この階段を上がれば、妃殿下が待つ部屋まで行ける。今のうちに聞かせてくれ」
「はい」
階段の踊り場まで来ると人目が無くなったので、見聞きしてきたことを説明すれば、当然のことながらヘイズ様は渋面です。
「まさか、そこまでするとは……」
「この事を早くお知らせしないと」
「行こう」
「はい」
階段を上がりきると、静かな通路に佇んでいる近衛騎士様たちが見えました。こちらに気づいた騎士様たちがヘイズ様に合図を送っています。
「ヘイズ殿。これはどういう事だ? 侍女が報告に来たが」
「非常事態だ――」
その一言で察した騎士様たちの表情が変わりました。
「今から指示を仰ぐ。君たちはこのまま待機していてくれ。これが漏れれば何が起こるか分からない」
「了解した」
私の到着が知らされると、室内から絢音様の促しの声が聞こえてきました。ヘイズ様が同行していたことに、絢音様の表情が引き締まっています。
「妃殿下、まずはご無礼をお許しください」
「構わなくてよ。何かありましたのね?」
「はい。冬瑠嬢が重要な情報を掴んで参りました。妃殿下、事は急がれますのでひとつ提案がございます。情報が漏れていることを敵に知られるわけには参りません。ですので、この場に殿下がお出でになるのが最善かと」
「分かったわ。佐世、殿下を呼んできて頂戴。くれぐれも内密にね」
「畏まりました」
侍女さんが退室してから間もなく、玖郎殿下がお出でになりました。
殿下とお会いするのは、雅久元王子の一件以来です。あれから四年が経ち、二十歳になられた殿下は凛々しさが増していました。
「ご無沙汰しております、殿下」
「久しいな、冬瑠君。それで内密の話とは?」
見聞きしてきた恐ろしい計画の内容を説明しました。事が事なだけに、殿下と妃殿下のお顔が曇っています。
そうですよね。だって……。
「冬瑠君……黒幕は間違いないのか?」
「……はい。共犯者たちがその名を口にしていました」
「そうか……」
殿下は一度瞳を伏せた後、覚悟を決めた表情に変えてヘイズ様と話し合いを始められました。
「師団長たちにこの事を伝えてくれ。私は父上と対策を立てる」
「承知しました」
「茶会に来ていることが知られているなら下手に動くのは危険だ。絢、頃合いを見て王妃様たちと避難していてくれ」
「心得ましたわ」
「では、それが終わり次第、冬瑠嬢と公爵家へ参ります」
「頼んだぞ」
「はい」
殿下とヘイズ様が退室すると、まずは落ち着きましょうと絢音様の促しで買ってきたスィーツを平らげました。
楽しいお喋りをしながら食べるつもりでしたが、とても残念です。
時間を見計らって茶会をお開きにし、ヘイズ様と約束していた場所まで侍女さんが案内してくれました。
和馬おじちゃんは父への言伝を持って我が家へ舞い戻り、私はヘイズ様の馬車にこっそりと乗り込んでクロイツヴァルト公爵邸へと向かいます。
※※
王宮近辺の渋滞から抜け出し、ほどなくして公爵邸へ到着すると、馬車の外から門番さんの困惑した声が聞こえてきました。
「夜会の時間にはまだ早いですが、どういったご用件で?」
馬車の小窓から外を覗いてみると、見知った顔が。馬車から降りた私を見つけた門番さんが懐かしそうに目を細めました。
「これはアーレントのお嬢様、お久しぶりです。今日は、若様とお約束がありましたか?」
「いいえ。約束はないのだけど、公爵様に急用があって」
「左様でしたか。しかし、家紋が……」
「あ、こちらはお父様の部下のヘイズ様なの。その急用を伝えるために王宮から連れて来てもらったの」
「畏まりました。どうぞ、お通りください」
「ありがとう」
ヘイズ様が助かったよと褒めてくれました。
我が家もそうなのですが、約束や招待がないと警備の関係上簡単に通してもらえません。先触れの無い訪問の場合、門番さんが執事さんに伺いを立てて判断を仰ぐのです。
電話や通信機器なんて便利なものがまだ無いこの世界では、人が動くしか方法がないので時間が掛かってしまいます。
今回は顔見知りの門番さんの判断で通してくれました。
馬車が進むと、久しぶりの公爵邸が見えてきました。絢音様たちが学園に通うようになってからは遊びに行くことがなくなっていたので、本当に久しぶりです。
突然の訪問になってしまいましたが、出迎えに来てくれた執事さんも懐かしそうに目を細めて応対してくれます。
――ですが、呑気に懐かしんでもいられません。
皆さんに危機が迫っています。
何としてでも、あの恐ろしい計画を阻止しなければ――。
+++
『それで、急用とは何だ』
執事から来客の報告を受けた貴宗が、夜会の準備の途中を思わせる姿で階段を下りてきた。
『閣下、冬瑠嬢が重要な情報を掴んできました。あれ? え、今までここにいたのにどこへ!』
『まさか、あいつが来ていたのか?』
貴宗の後から来ていた蒼真が階段を駆け下りてきた。
『はい。こちらが標的にされているとの情報を掴んだので、王宮から一緒に駆けつけてきたのですが』
『標的だと?』
『夜会の時間帯を見計らい、火事を起こして両殿下と参加者方を一網打尽に。人手がこちらへ集中している隙に陛下を殺害しようと目論んでいる模様です』
すると、蒼真が邸を飛び出して行ったのだ。
その早さにヘイズは何事かと目を丸くし、貴宗は息子の行動に思い当たる節があるので苦笑していた。
+++
+++
音が立たないよう緩衝材のために敷かれていた藁に不始末の煙草から燃え移った火が木箱にも燃え移り、プラスチックの容器の傍で熱を発しながら燻っている。
『(よし、次だ)』
木箱に詰められたその容器は荷車から降ろされると、男たちの手から手へと渡され、ある場所へと積み上げられた。
日が暮れ始め人通りのない閑散とした路地で、その作業は続いていた――。
+++
……どうして私ってこうなんでしょうか⁇
気持ちが先走ってしまうのが原因なのか、自分でも不可思議な行動を取ってしまったようです。
玄関先でヘイズ様と一緒に公爵様が来るのを待っていたはずなのに、無意識というか、何故かひとりで茂みの中に立っていました。
ふと我に返ったように、自分でも吃驚しています……。
首を傾げながら辺りを見回して邸の方角を確認しようとしたら、ガサっと、何かが動くような音が微かに聞こえたのです。
ちょっと気になったので、音がした方へと静かに向かってみました。
あれは――。
塀の向こうから騎士服を着た男が梯子を使って塀を乗り越えようとしているのが見えました。
もう邸に侵入し始めていたようです!
これはマズいです!
門番さんに知らせるのが早いか、邸へ戻るのが早いか、自分がいる場所が分からないのでどっちへ行けばいいのか!
「師団長、あっちは上手くいきました」
「よくやった。運び入れが終わったら手筈通り動け。お前の班は東側。お前は西。お前は北。俺は玄関南側と庭園を攻める。窓や出入口付近は入念に撒くんだ。邸の周りの植木を燃やして逃げ道を全て塞げ」
「了解」
ぷるぷるぷるっ。
今はこの現場から静かに離れないと。
見つかってしまったら、知らせるどころの話ではありません。
そっと、そっと離れて――。
えっ。
ふぎゃぁぁ⁈
きょ、恐怖で体が動きませんっ!
は、背後から誰かに羽交い絞めにされましたっっ‼
だぁ、誰か助けてくださぁい‼
口を塞がれていて助けも呼べません‼
いいえ、違いますね! 悠長になんてしていられません!
こんな時はどうするんでしたっけ!
えぇっとっ、肘鉄を脇腹に!
うぅ~! 駄目です! 両腕が動かせません!
だったら、口を塞ぐ手に噛みついてぇ、足を思いっきり踏んでやる‼
「(私だ)」
え?
耳元に落ちてきた聞き覚えのある声に驚いて振り仰げば、堕天使でした!




