31 黒猫、乙女心は複雑なのです 2
本日2話目の投稿です。
今日の放課後は、久々に植物園へ行って夏兄様の授業が終わるまでの時間を潰そうと思います。
放課後は図書館で課題をする人たちが多いようで、この時間帯の植物園は少ないみたいです。なので、低木を間仕切り代わりとして区画割されたその場所は、逢瀬の時間に利用する生徒も少なくないそうなのです。
まぁ、二人で語り合うにはちょうどいい場所にベンチが備え付けられているし、綺麗な花に囲まれたデートスポットですからね。
ではでは、お邪魔虫にならない程度にお花の観賞を。
植物え~ん、植物園。今はどんな花が咲いてるかな?
そしてここは、どこでしょう?
い、いつの間にどうしてこうなった⁈
植物園には何度も行ったことがあるのに、どうして今更迷子になる、私‼
あれ?
でもここは――見覚えがあるのですが。気のせいかな?
いいえ、そうです。思い出しました。穴に落ちてしまったあの場所です。少し風景が変わっていますが、この校舎に見覚えがあります。
人目につかないこの校舎の裏手であの日――。
え。
「それで、首尾はいかがなの?」
「まだこれからですよ」
この声はベルンソン様です。こんな所で逢瀬なのでしょうか。盗み聞きはよくないので離れ――。
「アーレント侯爵の座は必ず手に入れてみせますよ。それは貴女にとっても好都合でしょう?」
「もちろんですわ。でも、嫡男がいるのにどうやって?」
「――亡き者にするだけですよ。私の犯行だと分からないようにね」
「うふふ。頼もしいのね」
「僕は伯爵家の次男で終わるつもりはありません。嫡男を葬り娘婿になれば、跡継ぎのいないあの家は間違いなく僕のものだ。長年嫡男しかもうけず、娘が生まれていなかったあの家には親類もいませんからね」
「あらあら、親類まで調べていたの。用意周到なのね」
――私の足は自然と遠ざかり、異様な胃のムカつきを我慢してその場からようやく逃げ出すことができました。
……この国の貴族は……。
この前は陛下と玖郎殿下が狙われ、以前にも公爵様のお命が狙われました。
今度は紛れもなく私利私欲のために、簡単に人を殺すなんて言う人がまた存在しました。それも、人畜無害そうな笑顔で近づいて来てまで……。
あれが全部、演技だったなんて。
あんな人を頼もしいなんて言う人もいるのです。
どう考えても変です――。
平和な日本で生まれ育った記憶がある私だからこんなことを思うのでしょうか?
貴族社会ではこれが普通なのでしょうか?
確かに地球でもそんな歴史がありましたが、平成に育った私には到底受け入れがたい世の中です……。
「冬、帰るよ――冬? 顔が真っ青だ。何があった」
あの場所から一度逃げ出した記憶を辿っていたら教室がある校舎に辿り着いたので、自分の教室の椅子に座り込んでいました。
夏兄様が心配顔で私を覗き込んでいます。
――夏兄様の命までもが狙われていたなんて――。
「お兄様……」
「ん?」
「どうして人は、自分の欲望のために人を殺せるのですか……?」
「――どういう意味だい?」
さっき見聞きしてきたことを包み隠さず伝えました。
「大丈夫だよ。私は簡単に死んだりしない」
私の頭を抱きしめて、大きな手で頭を撫でてくれる夏兄様が、こんなに優しい夏兄様が、誰かに殺されるなんて耐えられません……。
「泣かなくていい。私はこれからもずっと冬を見守っているから。冬に孫ができるまで私は死ぬつもりなんてないよ」
「……はい、お兄様……」
「そんな輩は一部にすぎないんだよ。絶望する必要はない。冬が社会の闇の部分を見過ぎたのかもしれないね。悲しいことだけど、欲深い者たちが存在するのも確かだ。だけどね、我が国を守ろうと真摯に務めを果たす人間は大勢いる。父上だって母上だってそうだろう?」
「はい……」
「痛ましい事件はあるけど、我が国の治安は世界でも高水準なんだ。国が豊かなのも、それは歴代の陛下や領主、仕えてきた者たちが国に尽くしてきたからだ。民は国の宝。その精神は、ちゃんと受け継がれている」
「はい」
そうですね。恐ろしい人間ばかりじゃありませんね。
優しい人たちも沢山います。
夏兄様の労うような優しい笑顔に、私も笑顔を返しました。
私の目の腫れが治まるまで待ち、寄り添ってくれる夏兄様と教室を後にして、和馬おじちゃんと合流するために校舎から出たところで――。
「おチビ、何だまだいたのか」
――今日はなんて日なのか。
運悪く、行く先にいた堕天使がこちらに気づいてしまいました。
妖怪目競か。
頭の後ろに目でもあるのかと疑いたくなりますよ。
こんな複雑な心境の時に面倒な男と会うなんて、どこかで厄払いできませんか。
「冬様、何かございましたの?」
「あぅ……その……」
まだ目の腫れが残っていたのでしょうか……。
夏兄様が事情を話してくれると、怖い思いをしましたのねと、絢音様がふんわりと抱きしめてくださいました。
その温もりにとても安心して、私の目にうっすらと涙の幕が……。
「お前は、ほとほとアホだな」
絢音様の腕が緩んだので顔を上げると、堕天使が心底呆れたと言わんばかりの表情で見ていました。
何がアホですか!
「あんな口車に乗ろうとしていたお前をアホと言うんだ」
「――誰も乗っていませんよ」
「嘘つけ。お前は昼間、あれの話に目を輝かせていただろうが。あれと世界を回りたかったのだろう」
「違いますよ。馬車での遠出は大変だから、もっと便利な乗り物を誰か開発してくれたら楽になるだろうなと考えていただけです!」
「はっ。どうだか」
「む。何が言いたいのよ!」
「あれを好きだったのだろう」
「はぁあ? 会ったばかりでどんな人間かも分からない人を、ほいほい好きになるとでも言いたいの!」
「本当に違うのか」
「当たり前でしょう!」
「ふん」
ふんって何ですか!
「ぃにゃっ」
このマイペース男は何をしでかすか予測がつきません!
突然私の頭をぐしゃぐしゃと鳥の巣にしてきたのです!
「えいや!」
「っ……。お前は、何をする」
「何をするって、そっちがでしょう!」
ガラ空きのお腹に、グーパン一発クリーンヒットしました。
どうやったらここまでぼさぼさになるのかと言いたいくらい乱れた髪を手櫛で直していると――絢音様と夏兄様の口元が震えているのに気づきました。
「ご機嫌よう!」
「こらこら、冬。校内を走らな……ぶふっ!」
ムッかぁぁ‼
何ですか夏兄様まで! 背後で笑い声が響いていますよ‼
正面校舎を抜けたらグッドタイミングで和馬おじちゃんが迎えに来てくれていました。開けてくれていた馬車に飛び乗ると、入り口からにこやかな和馬おじちゃんが見えます!
もぅ、もぅ、もぅ! 何なのですかっ⁉
いつぞやもこんな事がありましたよね!
笑いを堪えた目で乗り込んできた夏兄様が邸に着くまで、私を見ては思い出し笑いを繰り返していました。
何ですか! 夏兄様にもグーパンをお見舞いしようかと思いましたよ!
+++
『金輪際、我が妹に近づかないでくれるか』
他の生徒は帰宅した四年生の教室に、計臣と夏翔、蒼真の三人が残っていた。
『……何を突然そんな事を』
『シラを切ったところで本性は知れている。夏翔を亡き者にして侯爵の座を虎視眈々と狙っているそうじゃないか。ん?』
『一体何の話なのか……どうしてそんな出任せを……』
『引きなさい。計臣・ベルンソン――惚けても無駄ですわよ』
教室の出入り口から響いた絢音の声に計臣の視線が落ち、絢音の足音が近づいてくると口を固くつぐみ両の手をぐっと握り締めた。
三人の視線を浴びている計臣は、ふいっと視線を横へ逸らした。
『我が妹の心を慮り、今回は警告に留める。伯爵家に累が及びたくなかったら大人しくしていることだ』
『一緒にいた女は誰だ』
『――』
『答えなさい』
嘲笑するような、そんな瞳を計臣が蒼真へ向けてきた。
『――そんなに大切なら、何故婚約を発表しないので?』
『お前には関係のない事だ』
『だったらひとつ忠告を。貴殿のその事情が、醜い嫉妬を生んでいるのですよ。女の嫉妬とは、時に男の野望よりも怖いものでしょう? 何をされるか分かったものじゃない』
『相手は誰だと聞いている』
『僕が言うのもなんですが、我が伯爵家のためにお教えできません――』
計臣の凪いだ瞳から無駄だと判断した三人は、再び警告した後に解放した。
静かに退室した計臣の背中を、三人は難しい表情で見送っていた。
『ベルンソン伯爵家が言えないとなれば、相手は限られてくるけど』
『でも、断定はできませんわ。本当の事を言っているかも疑わしいし』
『ああ。あの時の奴らはまだ誰も婚約していないと聞くからな』
『……蒼真がはっきりさせれば済むことなのよ?』
『――』
『理由を言ってくれないと分からないんだけどね』
『聞くな』
『どうしてそう頑ななの……』
蒼真は二人を置いて、さっさと教室を出て行ってしまっていた。
そんな蒼真を見送る二人は、ため息を吐くしかなかった。
+++
+++
『話は付いた。近衛騎士は当然だが、卒業したら王都には近づかせない。騎士を希望したとしても自領の駐留所へ配属になるだろう』
『はい、父上』
『それで、もう一人の娘の方は誰か分からないんだな?』
『そうです。冬も姿は見ていないと』
『――会話の内容からすれば、冬が目障りと思う人物だな』
『間違いないと思います。誰か分からない以上、危険が付き纏いますので協力を仰ごうと思っています』
『お前が卒業すれば守りが手薄になるからな』
『はい』
+++
夏兄様が言うには、あの日以降、あの男は大人しくしているそうです。
同じ敷地内にいるので完全に避けることはできませんが、それでも以前のような平穏な学園生活を送っています。
月日は流れ、新しい年を迎え、夏兄様たちの卒業の日が近づいてきました――。




