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30 黒猫、乙女心は複雑なのです



 夏休みも終わり、二学期が始まってから半月が経ちました。


 夏休みと言えば――。

 刺繍をひと作品仕上げるという夏休みの課題をこつこつと頑張って、我が家の家紋をハンカチに描いてみました。ちなみに我が家の家紋はわしです。

 ……が、お世辞にも鷲に見えないものに仕上がりました。

 何をモチーフにしたのかと先生から質問されたのでそう答えたら、一呼吸悩んだように見受けられましたが、にこやかな笑顔でもう少し頑張りましょうと条件付きで課題を承認してくださいました。

 ……ええ、いいのです。

 いいえ、よくないですね……。

 現実から目を背けず、未来の家族のためにも、もう少しましな刺繍ができるように頑張ろうと思います。



 今日の授業が終わった私は、夏兄様の授業が終わるまでの時間を潰すために課題を片付けようと思い立ち、先に下校する清花様と別れて図書館へ行くことにしました。


「おっと。これは有り難い」


 前を歩いていた男子生徒さんが持っていたプリントが風に煽られたのか、ひらりと私の足元に飛んできたのです。

 そのプリントの持ち主は、樺茶色かばちゃいろの髪に朱殷色しゅあんいろの瞳をした人懐こい雰囲気の殿方でした。


「君は、アーレント殿の妹君だよね」

「はい。冬瑠・アーレントと申します。お見知りおきくださいませ」

「僕はベルンソン伯爵が次男、計臣かずおみ・ベルンソン。君の兄君のクラスメイトなんだ。よろしく」


 笑顔を浮かべるベルンソン様は、ん~、そうですそうです、コツメカワウソのような愛くるしさが。

 この世界にコツメカワウソ君はいるのでしょうか?


「君も図書館へ行くの?」

「はい。課題を仕上げようと思いまして。お兄様の授業が終わるまでの時間潰しですわ」

「そうなんだね。もしよかったら、拾ってくれたお礼に課題を手伝おうか?」

「それは申し訳ないですわ。プリントの一枚を拾っただけですもの」

「遠慮しなくてもいいのに。じゃあ、これならどうかな。明日にでも、学食でデザートをご馳走するってのは」


 デザート。はい。魅力的です。


「乗り気だね?」

「え?」

「君は表情に出やすいんだね。デザートって聞いたら目が輝いたよ」


 えへへ。バレバレだったようです。


「でも、それも申し訳ないですわ」

「いいよ、そんなに遠慮しなくて。僕の気が済むだけだから、深く考えなくても大丈夫」

「分かりましたわ。では、明日に」

「うん。じゃあ、明日迎えに来るよ」

「迎え?」

「折角だから一緒に昼ご飯を食べよう。君が何時に来るかも分からないからね」


 う~ん。まぁ、いいですよね。一日くらい夏兄様たちと食事しなくても。


「構いませんわ」

「なら、明日の昼休みは教室で待ってて」

「はい」


 そんな約束をして二人で図書館へ向かえば、空いている席が少なかったので、二人並んで課題に取り組んでいました。


 明日のデザートは何にしようかな。お小遣いがちょっと浮きました。


 というのも、学食は基本無料なのですが、面白いことにデザート関係は有料なのです。料理人さんたちは食事がメインの様で、お茶を楽しむためのサロンに持ち込むデザートや、食後や休憩時間に楽しむデザート類は外部委託なのです。

 そのため、学食の一角に設けられているデザートコーナーは、一か月サイクルでお店が変わっています。

 貴族にとってデザートは欠かせない代物ですから、もしかしたら商魂逞しく顧客獲得のために宣伝を兼ねているのかもしれません。

 我が家は壱理おじちゃんがお菓子を作ってくれますが、お店に並ぶようなスィーツは難しいみたいです。パティシエは相応の修業を積んでいくのだとか。

 この国は職業選択の自由があり、義務教育を修了すると、土木建築関係や工芸関係、飲食関係などは親方に弟子入りして本格的に学んだり、電気工学など新興分野の職業は民間が一部国の補助を受けて運営する私学校で学んだりと、道は多岐に分かれているそうです。

 空調やバッテリーといった電化製品は開発されてからまだ歴史が浅いそうで、これからどんどん文明が発達していきそうです。

 この世界に石炭があるかは分かりませんが、現在海上を走る船の動力はガソリンを燃料とした発電機で得た電気らしいので、地上では電車が走る時代が来るかもしれません。

 



  ※ ※ ※




「冬瑠様、お食事に参りましょう」

「あ、忘れていましたわ。今日は別の方と食事の約束があるの」

「え? どなたですの?」


 そんなに驚くようなことですか、清花様?

 そういえば、夏兄様にも伝えるのを忘れていました。


「ベル――」

「おチビ。食事へ行くぞ」


 教室の入り口から、いつもの様に夏兄様と絢音様、堕天使が迎えに来てくれました。


「今日は、ベルンソン様と約束があるので先に行っててください」


 あ、あれ? みんなの動きが止まったのですが。えっと、それだけでなく、クラスメイトたちも一時停止しているような、していないような?

 どうしたのでしょうか⁇


「何でそいつと食事をする」


 ――いつにも増して険悪な声で聞いてくる堕天使に答える義務が?


「理由は」

「――どうしてそんなに不機嫌な言われ方を?」

「冬、私にも内緒だったのかい?」

「いいえ。伝えるのを忘れていただけです」


「それはですね、昨日僕が落としてしまったプリントを拾ってくれたお礼のために誘ったんですよ」


 夏兄様たちの背後から、ベルンソン様が丁度来てくれました。


「お待たせ」

「お礼だって?」

「アーレント殿、特に深い意味などありません。お礼に課題の手伝いをと申し出たら遠慮されたので、代わりにデザートをご馳走すると約束したのですよ」

「でしたら、私たちとご一緒したらよろしいですわ。別々にお食事をしなくてもよろしいのではなくて?」


 絢音様が提案してくださったのですが、なんだか……堕天使の不機嫌な眼差しが突き刺さるのです。さっきから何なのでしょうか?


「これは軽率だったようですね。申し訳ない。二人で食事をしていれば、どんな仲なのだと噂が立つ可能性がありましたね」

「そこまで神経質になる必要もないが、妹はまだ婚約前だから、よからぬ噂は歓迎しないよ」

「ええ、そうですね。では、ご一緒しても?」


 清花様も夏兄様も承諾したので、一緒に学食へ向かう事になりました。

 ――っていうか、ちょっと二人でいるだけでよからぬ噂が立つ可能性があるなんて、貴族社会は人の目が厳しそうです。

 いいえ、違いますね。前世学生時代、二人で食事をしていたクラスメイトが付き合っているのかと揶揄われていました。

 噂とは尾ひれがつき、誇張されてしまうのは世の常です。それに悪意があるなら尚更ですね。

 夏兄様の言う通り、迂闊な行動は気をつけたいと思います。でないと、相手にも迷惑が掛かるし、我が家の信用にも係わる事ですから。



 いつも五人で食事をしているので一人分の席が空くのですが、六人掛けの丸テーブルが初めて埋まりました。

 隣に座ったベルンソン様のお話は興味深いのです。

 政治関係よりも、企業家に興味があるのだとか。新興事業の電気工学関連を考えているそうで。

 そんな夢を語るベルンソン様の目が輝いていました。


「でも君は、騎士科専攻だっただろう?」

「自己防衛できればそれに越したことはないですからね。今からの時代は国内だけじゃなく、世界に目を向けないと。となれば国外を回るにも体力が必要ですし」

「そうでしたのね。でしたら、団長様が残念がりますわね。近衛騎士でも通用する腕前だと伺っていますわ」

「いえいえ。大袈裟ですよ」


 へぇ。刀矢様のように優秀なのですね。

 ちょっと照れているベルンソン様のお顔が、やっぱりコツメ君を思わせます。外見はそんな風に見えないのに腕が立つなんてギャップがカッコいいです。

 電気工学ですか。

 もし電車が発明されて鉄道事業を立ち上げるなら、とっても需要が高いと思うのです。馬車はレトロチックで素敵なので近場はそれでいいとしても、遠方へ行くにはやっぱり早いに越したことはないですから。移動時間を短縮できれば、それだけやりたい事ができる時間が長くなりますし、それに、運送関係も劇的に変わるはずですから。


「アーレント嬢、食事が終わったのならデザートを見に行こうか」

「はい」

「絢音、何がいい」

「でしたら、今日はベリーのタルトを」


 いつもは食べない堕天使が立ち上がったので何事かと思いましたが、珍しく絢音様の分を購入して来るようです。

 清花様と四人でデザートコーナーへ向かいました。今日も美味しそうなスィーツたちが並んでいます。


 何にしようかな。


「おチビが好きなチーズケーキがこっちにあるぞ」

「――今日は、違うのが食べたい気分です」

「他には何が好きなのかな?」

「ブリュレやクレーブも好きですわ」

「だったらほら、これにしろ」


 ――何を勝手に選んでいるのですか。

 確かにブリュレが好きって言いましたけど、他にもあるのですが。


「それでいいのかい?」

「冬瑠様。私はクレープにしますから、少し分けてくださいな」

「ええ。じゃあ、ブリュレで」

「了解」


 それぞれお会計を済ませてテーブルに戻れば、夏兄様がみんなの分の紅茶を用意してくれていました。紳士なベルンソン様が私の分のブリュレを持って来てくれたりなんかしちゃいましたので、なんだか新鮮な気分です。

 夏兄様以外の殿方にこんなことをしてもらったのは初めてだったので。


「ほら、これをやるからそっちをよこせ」

「あ!」


 堕天使が買ったチーズケーキの半分をブリュレのカップに放り込んできたかと思えば、勝手に私のブリュレをフォークでひとすくいしていったのです。

 ――どうしてこの男は、こうもマイペースなのですかね!

 今日は特に酷くありませんか‼

 せっかく楽しもうと思っていたスィーツが、見た目から台無しですよ。取り分けのための小皿があるのに、何をしてくれるのですか!


「私も一口交換させてくださいな」

「あら。じゃあ、私も一口いただこうかしら」


 ――えぇ、まぁ、クレープもタルトもチーズケーキも好きだから構いませんが、私が食べようとしたブリュレが三分の一も残っていません。

 チーズケーキが放り込まれた下の部分だけなんて……。

 折角ベルンソン様に買ってもらったのに。


「食べないのか? なら私が食べてやるが?」

「誰が食べないと言いましたか。いろんな味が楽しめて美味しいのですから」

「クロイツヴァルト殿とはいつも喧嘩を?」

「そうですわ。いっつもいっつも人を貶すんですのよ」

「冬、蒼真は揶揄っているだけだよ」

「だったら、おチビを止めてください――」

「本当の事だろう」

「――平均より低いですが、これでも百五十以上はありますのよ」

「可愛い身長だと思うよ? そんなに気になるの?」

「絢音様や清花様くらいにはなりたいのです。身長が低ければ、ドレスのデザインに気をつけないと子どもっぽくなってしまいますから」

「君ならきっと何を着ても可愛いと思うよ?」


 そうだと嬉しいですね。母のようなナイスバディは逃しましたが、女子力を上げればなんとかなりますよね!


「ありがとうございます、ベルンソン様。そうなれるように頑張りますわ」

「今の君でも十分可愛いと思うけど。でしょう? アーレント殿」

「そうだね。冬は十分可愛いよ」

「君が大人になれば、”しなやかな黒猫”のような雰囲気になりそうだけど」

「……」

「くははは! ほら見ろ、おチビ。私だけではないだろう。私は本当の事しか言わないのだからな」


 ――絢音様、清花様……笑いを堪えているでしょう!

 母が私を黒猫のようなイメージと言っていたのは小さい頃だけであって、未だに黒猫という堕天使は私を貶すために言っているのかと思ったのですが……。

 何度も言いますが、猫目じゃないはずです。この黒髪のせいでしょうか?


「もしかして誉め言葉にならなかったかな?」

「……いいえ、そんなことはありませんわ。でも、どこを見ればそうなるのかと疑問なのです」

「何ものにも縛られない、自由な雰囲気を感じるところかな。黒猫って言うのは、君のその黒曜石のような美しい黒髪が印象的だからだよ」


 自由な雰囲気ですか。


「世界を見て回りたいと思ったことはない?」


 世界――。


「あっ!」

「ん? 食べないかと思ったが?」

「ちょ! 返してよ!」


 人のスィーツを皿ごと奪うなんて、なんて男ですか‼

 お皿を取り返して、また奪われないうちに平らげました。


「食べ終わったようだね。そろそろ教室に戻ろうか」

「そうですわね」

「冬瑠様、次は教室移動ですから準備しないと」

「あ、そうでしたわ」

「楽しい時間でしたよ」

「ベルンソン様、ありがとうございました」

「お礼は僕の方だよ。有意義な時間を過ごせたから」

「冬瑠様、スプーンが落ちそうですわ」

「あ」


 食器を片付けに行く私たちより一足先に、ベルンソン様は学食を後にされました。

 ベルンソン様のお陰で、普段聞けないお話ができて楽しかったです。

 世界、かぁ。

 この世界には、他にどんな国があるのでしょう?


「冬瑠様」

「え、あ、はい?」

「――ベルンソン様が気になりますの?」

「え! いいえ、そんなんじゃない、よ?」

「本当に?」

「世界は広いんだろうなぁって思っていただけですわ」

「世界を見てみたいんですの?」

「旅行へ行く程度なら。でも、行程が大変そうだし。う~ん」


 電車が発明されれば、この内陸の王都から港町まで近くなるでしょうけど。それなら船旅も楽しそうです。飛行機はまだ難しいかもしれませんが、後々新幹線が誕生したら国内旅行に行ってみたいものです。




 +++

『――あの男、何を考えている』

『いい加減素直にならないと、冬様の御心は別の殿方へ向いてしまいましてよ?』

『その通りだよ。さっきだって世界の話で冬の目が輝いていたし』

『それに、あちらは本気で来ているようですわ』

『父上も母上も水面下では承諾しているけど、冬の心を優先しないとも限らない。政略結婚は必要ないし、現にこの歳になっても婚約が結べないのだから』

『――』

『どうしてそんなに頑なになりますの? 素直になるだけでしょう?』

『君が卒業するまでか、冬が卒業するまで保留するのかい?』

『――』


 頑なに口を開こうとしない蒼真に、夏翔と絢音は肩を竦めるしかなかった。

 +++










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