3 詐欺だ!
どれくらいの時間を眠っていたかは分かりませんが、今度はベビーベッドの上で目が覚めました。
先ほどの部屋とはまた違った天井が見えます。
視線を巡らせてみると、兄が私のベッド近くにあるソファに腰掛けて玩具で遊んでいました。
兄は妹の存在が可愛いのでしょうか。今生も仲の良い兄妹になれそうで良かったです。
ちなみに、我が家はどうやら西洋式で、土足で家の中を歩くようです。ショートブーツを履いたままの兄の足が見えました。
それはさておき。
ここはどうやらリビングですね。全体は分かりませんが、ここもかなり広めのお部屋な気がします。壁が遠い――。
兄の邪魔をしないように視線だけを動かして探してみますが。
ん~。見える範囲にカレンダーがありませんねぇ。
今は西暦何年なのか凄く気になります。
「あら、起きていたのね」
あ、母もいたのですね。母が私を覗き込んできました。
「なつと。今からお散歩に行かない? 父様が帰ってくる頃だから、お出迎えしましょうね」
「はい、母上」
お。兄の名は『なつと』というみたいですね。
母が抱きかかえてくれたので、視界が広がりました。
あっ、カレンダー! あ、ちょ、待って! あ……。
抱きかかえられた方角が運悪く、小さな卓上カレンダーだったのでチラリとしか見えませんでした。
仕方ありません。戻ってきたら今度こそ。
あれ? 母の腕に抱かれなが部屋を観察しているのですが、リビングからダイニングに繋がっていませんでした。
この広さがありながらリビングだけなんて……。
そして、兄が開けてくれた扉から廊下に出ると。
――これはまた……広い家ですね……。
この階だけで何部屋あるのでしょうか? 扉がいくつも見えるのですが。
テレビでよくある豪邸訪問でも、これ程の数を見たことがありません。
廊下も空調が利いていて、温度が一定に保たれていました。
家全体はモダン建築で、通路の床は大理石みたいです。柱や扉、手すり、サッシにはアクセントカラーに黒が使われていて、壁は白が基調の壁紙で統一されていて傷一つなく、塵一つ落ちていません。
どこもかしこもピッカピカに磨き上げられています。
もしかしたら、家政婦さんがいるかもしれません。
うわぁぁ……。
広いエントランスから二階の天井まで吹き抜けでした。
おまけに、両脇には緩やかに曲線を描く階段がありました。今来た場所の向かい側エリアにも部屋がずらりとありそうです。
どんだけお金持ちなのでしょうか。
前世一般庶民だった私には、ちょっと先行き不安な家柄に思えてきました……。
家族が集うリビングは二階だったようで、何段あるんだと思う階段を降りていくと。
あぁ、やっぱり――。
「奥様」
「ありがとう」
……家政婦さんというより、勿忘草色に白いフリルエプロンのメイド服を着た年若い女の人が、籠型のベビーカーを持って来てくれたのです。
あれぇ?
メイドさんも外国風なお顔立ちなのです。我が家はどこかの外国に住んでいるのでしょうか? 外資系の会社?
ベビーカーに乗せられ、玄関先に出てみれば――。
開いた口が塞がりません……。
一体、どんだけの敷地があるのですか!
目の前だけでもドーム球場以上の敷地が広がっているのですが!
日本にこんなお邸を持つ大富豪が存在したのですね!
もしかして、どこぞの財閥ですか⁈
それともやっぱり、ここは外国ですか⁈
……胃がぐるぐるしてきました。
これってもしかして『ご令嬢』なんて言われるんじゃ……。
そんな私の悩みなんかそっちのけで、ベビーカーに揺られながらのお散歩が始まりました。
母と兄の会話を聞き流しながら、自分の将来の想像に項垂れています……。
この先、どんな教育が待っているのでしょう。
どんな学校生活が……。
どんな結婚が……。
大変としか思えません!
「明日は、なつとの四歳の誕生日ね」
「はい」
おっと、兄の歳がこれで判明しました。
が、しかし、その年齢にしては、やけにしっかりした兄だと思うのです。
私の記憶にある四歳児って、もっとこう、パパぁ、ママぁとか言っているイメージが。兄が特別なのかもしれません。
そんなことを考えている間にも、ベビーカーに乗っていてもそれほど振動を感じないくらい綺麗に舗装された石畳の道を辿った先には、美しく整えられた庭園が見えてきました。
周囲は手入れが行き届いた生け垣に囲まれていて、入口になっている横幅二メートル、奥行一メートル半くらいの白薔薇のアーチを通ってみれば、多種多様な夏が盛りの花々が咲き誇っていました。
モダンな家のためか、庭園は西洋風に整えられています。
奥に見えるのは噴水のようです。あ、ガゼボとかいう建物も見えます。
きっと、庭師さんもいるかもしれません。いえ、いますね、絶対。
前世のお散歩といえば公園や道路を歩くか、ショッピングがてらに歩くかを想像しますが、庭だけでいい運動ですよ。これだけ広ければ……。
この庭園から家を見渡してみます。
想像よりどでかい豪邸でした。家なんて範疇を超えています。どこかの博物館か美術館って言っても通用するんじゃないでしょうか。
歩けるようになったら、我が家を探検してみたいと思います。
庭園をある程度回ったところで、元の白薔薇のアーチへ戻ってきました。
――そして私は、敷地以上に我が目を疑うものを視界に捉えました。
あれはどう見ても……馬車です、よね?
馬車。うん、馬車。はい、あの馬車です。
え?
現代日本、今や自動運転が開発され始めている二十一世紀で馬車を使うって、どんな趣味なのでしょうか⁉
誰が乗っているのですか⁉
「あら、ちょうど帰ってきたわね」
「タイミングが良かったですね」
母よ! 兄よ! それはもしかして、父が乗っているってことですか⁉
父よ! 今生の父よ! その趣味はいかがなものかと‼
それに二人とも、どうしてそんなに平然としていられるのですか!
止めさせてください! 止めてもらいましょう!
そんな事を世間に知られたら、絶対学校で笑いのネタにされるから‼
蹄の音を響かせながら迫ってきた時代錯誤な箱型馬車が、私たち三人の前で停車しました。
……四頭立てって、どんだけ張り切っているのですか、父よ!
え?
えぇえ?
私の目がおかしいのでしょうか?
馬車から降りてきた父の服装が、嘘だっ、と叫びたくなるような姿なのです‼
何その恰好! そんな姿で、どこで働いてきたのですか、父よ‼
もしかして父は劇団員なのですか⁉
それとも、某テーマパークの従業員ですか⁉
その恰好が趣味とか言いませんよね⁉
どうして着替えないのですか! 意味が分からない‼
母と兄は現代服を着ているのに、どうして父は『中世ヨーロッパ貴族風』な服装なのですか‼
ハロウィンでもあるまいし! 笑われるのがオチだから‼
すらりと身長が高く、黒髪だけどハーフみたいなお顔だから確かに似合っていますが、明らかにおかしいでしょう‼
「あ!」
驚愕の状況に身を乗り出し過ぎていた私は、ベビーカーから……。
鉄棒の要領でベビーカーの枠を掴んでぐるんと前転し、体操選手のように両腕を上げたまま地面に着地。
だけど、はいはいしかできない私なので、このままでは再び顔面強打コース。
そんな私は思わず、ぐるんとでんぐり返しを披露しました。
ただし、ひっくり返った蛙のような姿のまま地面に寝そべっています――。
……これが、記憶が蘇ってから数時間の出来事です……。
「ふゆ!」「まあっ、ふゆちゃんっ」「ふゆっ!」
父、母、兄の慌てた声が耳に届きましたが、眼前に広がる景色に釘付けになっている私は呆けるしかありません。
だって! どう見てもおかしなものが見えるのです‼
茜色に染まり始めた空には、月(?)の近くに別の惑星の白い姿が浮かんでいるのです‼
はあぁあ⁉
映画のセットでもなければ何だと言うのですか!
もしかして、もしかしなくても!
ここは異世界ですか‼
詐欺だ! 詐欺だと叫びたい! こんなのあんまりです!
不意打ちにしたって現代日本だと思わせておいて、これはないでしょう‼
……そして私は、生まれて初めて気絶というものを体験したのでした――。