28 黒猫、隠密スキル『煙遁』発動
あれ?
いつもの景色と違っています。
「どこかへ行くのですか?」
「今日は父上を迎えに行くんだよ。早く帰れるらしいんだ」
ということで、いつもの道順から外れて馬車は王宮へと向かっていました。
今日の調理実習で作ったクッキーを父に早速渡せます!
「では、旦那様に知らせて参ります」
「ああ」
「待って。私も一緒に行く」
「待っていれば会えるよ?」
「これを早く渡したいのです!」
「はいはい。行っておいで」
「はい!」
父の分のクッキーを手に、和馬おじちゃんと一緒に――いたはずなんですが!
こ、ここはどこですかぁ⁉
王宮で迷子になるのはこれで何度目ですか!
ほとほと自分が嫌になりますよ……。
……本当にこの迷子癖は自分でも原因がよく分かりません。
考え事をしながら歩くのがいけないのでしょうか?
前世、そんな心当たりがちらほらと……。
考え事に熱中してしまい、曲がるつもりの角を素通りしたことがありました。
その癖を今生でもやってしまうのかもしれませんが、ちょっと酷すぎやしないでしょうか……?
……うろうろ歩いていますが、ここら辺りは全く記憶にありません。
剣術大会があったところでもないし、何度か見た騎士様たちがいる建物でもなさそうですし、相も変わらず人っ子一人いないなんて、どうしたら――。
あ。誰かを発見!
建物の傍にひとりで佇む王宮メイドさんを見つけました!
あれ? 壁にもたれ掛かって、なんだか辛そうに見えますが。
「あの、どうかしたのですか? 顔色が悪そうですが……」
「……少し休んでおりました。疲れからかめまいがするもので」
「お医者様に診てもらったほうが」
「畏れ入ります……もう少し休めば治まると思いますので」
少しも大丈夫そうに見えません。
本当に顔色が悪くて、額に汗も滲んでいるし……。
「おや? こんな所でどうかしたのかね?」
儚い笑顔で、どうぞお気遣いなくというメイドさんを一人にするのはしのびなく思っているところへ、男性の声が飛び込んできました。
振り返ってみれば、見覚えのあるお顔の――。
「どこかでお会いしたことがありましたか?」
「おやおや、これはこれは。アーレント侯爵家の御息女ではありませんか。まさか覚えていただいているとは。私は一度、貴女様を診察したことがありましたな。あれはまだ、貴女様が乳飲み子の時でしたかな」
――思い出しました。あの時のお医者様です‼
し、しまった……。
まだ赤ちゃんの時に会った先生を覚えているなんて変ですよね‼
ぷるぷるぷるっ!
今はそんな場合じゃありませんでした。
お医者様なら丁度良かったです!
「先生、こちらの方が体調が悪いと」
「おや。どれどれ、診せてみなさい」
「……畏れ入ります」
メイドさんの顔色や舌、下まぶたをめくって結膜の状態を診たり、脈診している先生の様子が険しくなってきました。
「――君、医務室へ来なさい。詳しい検査をしよう」
「はい、先生……」
「歩けるかね?」
「はい。問題ありません」
「ゆっくりでいい」
メイドさんを二人で挟んで倒れないように注意を払いながら、先生の診察室まで同行しました。
先生は、王宮内の医務室に勤めているそうなのです。他にもお医者様が五人ほどいらっしゃいました。怪我をした騎士の治療をしたり、王宮で働く人たちを診察しているそうです。
「心電図の準備を」
「はい、侍医長様」
侍医長様?
もしかして、お医者様の中でも地位が高いのでしょうか?
「後は私らに任せておきなさい」
「はい」
メイドさんは診察ベッドに横になり、採血が始まっていました。
体調が回復することをお祈りします。
これ以上私にできることはないので医務室を後にして、教えてもらった道順を辿って父のところへ向かっていたはずなんですがっ!
二度目の迷子になっています!
一体何故‼
通路を道なりに進むと白い建物が見えるから、その突き当りを左に曲がれば父たちがいる建物に入れるはずだったのに、ここがどこだか全く分かりませぇん!
それに、どうしてこうも人がいないのでしょうか……。
ん?
建物の向こう側から人の話し声が聞こえてきました。
近くに誰かいるようです。
……でも、そこから妙な会話が聞こえてきて――。
思わず腰の高さくらいまである生垣に身を隠して聞き耳を立てながら、会話の主たちの姿が見える場所まで移動して生垣の隙間から覗いてみると、二人の男たちを確認できました。
――そんな馬鹿な。
大変です!
早く父に知らせないと!
恐ろしい会話を聞いてしまった私は、しゃがんだままの体勢でその場からじりじりと静かに建物の陰まで後退りしていたら――。
マズいです‼
話が終わったのか、男たちの足音がこちらへ近づいて来ています‼
どこか逃げる場所は‼
パタン。
びくぅぅっっ⁉
は、背後から物音が!
「うわぁっっ‼」
ぼさどさどさっ。ばきっ。びりっ。ばふっ。
突然、背中に何かがぶつかったと思ったら、何か重たそうな大きな袋がいくつも頭上から生垣に降ってきました!
おまけに人の体もです‼
倒れたはずみで、その人は生垣の向こうへと転がっていったのです!
更に生垣の上へ落ちてしまった袋から、もうもうと白い粒子が飛び出してきて、辺り一面が白い煙に巻かれたように視界が悪くなりました!
「おい。どうした」
「あぁあ、すみません! いくつも運んでいたから足元が見えなくて、小麦粉の袋をぶちまけましたっ」
「ごほっ。怪我はないのか?」
「あ、はい。生垣に倒れたので怪我はありません」
「気を付けろ」
「はい。すみません」
そんな会話を聞きながら、私はこの隙に現場を離れました。
躓かせてすみませんと、心中で絶叫しながらですが……。
兎にも角にも、父のもとへ急がないと。
なのに、ますます場所がっ。
あの現場から逃げ込んだ近くの茂みを抜けて見つけた通路や建物の中を渡り歩いていますが、父の執務室がある見知った場所へ行き当たりません。
もう、どこをどう行けばいいのか……。
あれ?
月白色の騎士服を着たあの人は!
見知った顔を見つけた私は、思わず走り出しました!
「ヴァレット様!」
「アーレント嬢っ。何故こんなところにいる。ここは王族居住区入口だぞ」
うぇえ‼ そんなところに来ていたのですか‼
「それが……お父様のところへ行こうとしたら、迷子になってしまって……」
「ここへ来るまで、人に会わなかったのか?」
「はい」
「は? そんな馬鹿な」
もう一人の近衛騎士様が不思議そうに私を見ています。
でもです。本当に誰にも会わなかったのです。
「――もう一度、警備体制を見直した方がいいかもしれん」
「そうですね。いや、でも、しかし……」
「その前に、刀矢、彼女を長官のところへ送ってやれ。もうすぐ交代の時間だから大丈夫だ」
「了解です」
「申し訳ありません……」
「構わない」
ありがたくも、刀矢様という道案内人を得た私は、お父様がいる執務室までようやく辿り着けました。
父の部屋に入れば、久しぶりにお会いするヘイズ様がいらっしゃいました。
それと、苦笑している夏兄様も……。
きっと、和馬おじちゃんが知らせてくれたのですね。我が家はみんな連携が取れているというか。
「刀矢殿、助かったよ」
「お安い御用だが、少々相談事がありまして、長官」
「何だ?」
「……警備体制に問題があるのか、彼女が誰にも会わずに王族居住区入口まで来てしまっていたのです。再考が必要かと思われますが」
「ああ、いや、それはだな」
「お父様、よくない話を」
「冬、ちょっと待つんだ」
今回もまた、お父様が遮りました。
あ、そっか。ここに刀矢様がいるから。
私が情報を持ってきたということは秘密にしているそうなのです。
私に危険が及ぶからだと教えてもらいました。
……すみません。気持ちが先走って、その事を忘れていました……。
「――刀矢君、警備体制の事は問題ない。特殊事情があるため、今からの事は秘匿事項だと心得てくれ。娘の事だ。この事は団長殿も知っている」
「了解しました――」
「続きを聞かせてくれ」
「はい、お父様」
迷子になってから見聞きしてきた一連の内容を話すと、執務室内は騒然となってしまいました。
事態は深刻で、すぐにでも手を打つ必要があるからです。
「その男たちの顔は見たかい?」
「はい。確認できました」
「分かった。ヘイズ、医務室へ行って関連があるか調べて来てくれ。私は宰相閣下のところへ行く」
「では、俺は詰所へ」
「冬、刀矢君と一緒に行くんだ。犯人を捕まえる手伝いをしてくれるかい?」
「はい、お父様」
「夏翔、頼むぞ」
「はい、父上」
執務室を出た私たちは、それぞれの場所へ向かいました。
あんな卑劣なことを企む人たちを縛り上げないと――。
※※
「何かあったのか? ここは部外者の立ち入りは禁じられているぞ」
近衛騎士様たちの詰所に到着すると、夏兄様と私は早速足止めになりました。
さっき刀矢様と一緒に警備していた騎士様も近づいて来られました。何かあったのかと探るような視線が忙しなく動いています。
「副団長、問題が起きました。こちらの二人は犯人確保の協力者です」
「何があった」
「陛下方のお命が狙われています」
「何?」
入り口付近での話し声が聞こえたようで、他の騎士様たちも何事かと立ち上がっています。
私たちはとりあえず、詰所の中へと通されました。
団長様に私たちが来たことが伝わると、奥からこの場へ出て来られました。
お会いするのは剣術大会の日以来ですね。白髪の量が増えていますが、あの日感じた大人の風格と威厳はお変わりありません。
「それで?」
「料理人が陛下方の食事に毒を混入させているという情報を掴みました。体調を崩した者が医務室へ運ばれたとのことで、今、ヘイズ殿が確認に向かっています」
「情報源は――」
団長様が刀矢様に何か目配せをすると、刀矢様が頷いています。
「――皆、聞け。情報源は極秘事項。身の安全のためだ」
「了解」
「お嬢さん、説明してくれるかの」
「はい。どこの建物の近くだったのかは分かりませんが、料理人と、もう一人の男が話していたのを偶然聞きました。毒見係に症状は出ていそうかと。時折顔色が悪い時があるからそうかもと。だったら直に陛下や殿下にも何らかの症状が出始めるはずだから、急がずに適量を守って確実に続けてくれという内容でした。それと、小瓶を渡しているのを見ました」
「犯人の顔は見たのかな?」
「はい。一人は海松色の髪をした料理人でした。もう一人は執事服に似た制服を着ていて、赤朽葉色の髪で、左目に泣きぼくろがある男です」
「――その特徴は、あの男しかおらんな」
「そうですね――あの男なら、ありえない話じゃありませんね」
団長様と副団長様は、その執事服に似た制服の男の事を見知っているようです。
その男が着ている制服は、王宮の侍従職が着るものだとか。
「料理人は証拠の小瓶を常に携帯しているはず。今が好機です、団長」
「分かった。お嬢さんの協力のもと、犯人確保に向かう」
「了解!」
かくして、私たちは厨房へ向かうことになりました。
厨房棟は近衛騎士様たちの詰所がある玄武門を基点に東南側にあって、王族居住区に一番近い場所にあるそうです。
第二師団と連携して作戦が立てられました。
ここからは首謀者や共犯者に勘付かれないように人数を最小限で、私と夏兄様、団長様と刀矢様の四人で向かいます。
知り合いが王宮内を案内しているという体裁を装ってです。
別の班では、第二師団の騎士様たちが巡回を装って向かう事になっています。
通常、第二師団の騎士様の巡回以外、食事の時間帯以外に厨房へ近づく騎士様はいないそうなので共犯者の目を欺くためだとか。
そして、泣きぼくろの男、デュエム子爵家の丞生・デュエムの捕縛も同時進行で行われます。
その男は以前、雅久元王子の侍従を務めていたそうで、今は侍従事務官として王族居住区内を出入りしているそうです。爵位は兄君が継いだそうですが、子爵家は以前の雅久王子派には属していなかったとか。
公爵様のお命を狙った黒幕に通じている可能性も浮上してきました。
失敗は許されません。気を引き締めていきましょう――。
耳学問の豆知識:煙遁の術。
煙玉で視界を遮り、姿を晦ます術だそうです。




