25 黒猫、一年生はじめる
あの日の作戦は成功し、夏兄様たちを悩ませていた残念王子はあの後幽閉されたとかで、学園はガラリと雰囲気が変わったそうです。
元王子のスキャンダルは社交界でも話題になったそうですが、信雅陛下の戴冠式が執り行われ、それに併せて玖郎王子様の立太子と絢音様との婚約発表で盛り上がり、スキャンダルの噂はすぐに消え去ったそうです。
何かと騒がしかった年も終わり、それぞれが穏やかな日々を送る中、私は相変わらず堕天使の襲来に悩まされる日もありますが、時は緩やかに流れていきました。
季節は移り変わり、十四歳を迎える今年、私もいよいよこの春から学園へ通う事になりました。
今日はどっきどきの学園ライフ初日となる入学式です。
真新しい学生服に身を包み、気持ちを新たに馬車で向かっています。征爾さんと一緒に。夏兄様の時も一緒に行ってましたっけ?
それはともかく、在校生よりも集合時間が遅い私は、先に夏兄様を送り届けた和馬おじちゃんに送ってもらっています。
さぁ、約三年前に一度訪れた学園の正門が見えてきました。
馬車が列をなして進んでいきます。
私のクラスメイトになる皆さんです。どんな人たちか、今から楽しみです!
生徒たちが出入りする正面玄関に横付けされた馬車から降り立つと、ちょっと気になることが。
「なんだか妙に視線が集まってないかな? 頭にゴミでもついてる?」
「問題ございません、お嬢様」
「だったら何だろう?」
「それは仕方のない事なのでございますよ」
「どうして?」
一緒に正面校舎を抜けて教室までの石畳を歩きながらこそこそ話していたら、征爾さんが順路の途中にある噴水広場近くへ誘導して立ち止まったのです。何か深い事情でもあるのかと、ちょっと不安になってきました。
「旦那様方は、お嬢様にお話しされていない事があるようですね」
「私が特に知らなくてもいいことなの?」
「隠し立てする事でもありませんので、私がお話しいたしましょう」
「うん」
「旦那様やお嬢様方の黒髪黒目とは珍しい血統なのはご存知ですよね?」
「そうらしいね」
その事は以前聞いたことがありますが、それがどう関係するのでしょうか?
「侯爵家にはここ何代も御息女が誕生していなかったのでございます」
「そうなんだ」
「この国で唯一とも言えるその黒髪は”黒曜石”に例えられ、アーレント侯爵家のご令嬢は”黒曜姫”との異名があるのですよ」
「姫?」
征爾さんがにこにことしながら頷いています。
何その姫って!
え、そんな事で注目されていたのですか‼
「ですから黒曜姫であるお嬢様は、そのお可愛らしい容姿もさることながら、これから注目をお集めになることでしょう」
「ひゃやゃ! ずっと珍獣を見るような目で見物されるってこと⁉」
「最初だけでございましょう」
「根拠は⁉」
「こほん。ありませんね」
「むぅっ!」
そろっと視線を外して惚ける征爾さん。こんなお茶目なところもあるおじ様ですが、なんか今はムカつきます!
まぁ、それはともかく、もう一つ気になることが。
「他のクラスメイトは誰も同行者がいないのはどうして?」
「若様のご指示でございます。お嬢様が迷子にならないように教室まで案内してくれと頼まれたのでございますよ」
これには閉口するしかありませんでした。だから私の背後にぴったりとついていたのですね……。
「……いくら私でも大丈夫だから」
「しかし」
クラスメイトの流れに従って行けばいいことですよね!
心配性すぎやしませんか、夏兄様!
「アーレント様。もう少し弁えられてはいかがですの?」
突如、女子生徒さんが私たちに声をかけてきました。
襟元に輝く学年章はもちろん一年。
えっと、それで、何を弁えれば?
「学園内では、どの生徒も自分の事は自分ですることになっていますのよ。執事を同行させるなど、他の生徒に示しがつきませんわ」
注目を集めているのは、その所為じゃないでしょうか‼
「まずは自己紹介いたしますわ。アーレント侯爵が娘、冬瑠・アーレントです。お見知りおきくださいませ」
「私は、フレーゲル伯爵が娘、清花・フレーゲルですわ。お見知りおきくださいませ」
「僭越ながら、これには事情がございまして」
「事情ですの?」
「はい」
自分で説明して征爾さんには帰ってもらおうと思ったのですが、先手を取った征爾さんがフレーゲル様に何やら耳打ちを始めたのです。
すると、フレーゲル様の私を見る目が、表情が……呆れ顔に変わりました。
征爾さん、一体何を言ったのでしょうか……。
「そういう事でしたら、私が一緒に参りますわ」
「お心遣い痛み入ります」
取り残されていた私に振り返った征爾さんは、とてもにこやかなのです。
だから、何を言ったのでしょうか。多分に気になりますが、目立って仕方ないこの状況で長々と立ち話もあれなので、帰ったら絶対問い詰めたいと思います。
「フレーゲル様がご一緒くださるとのことなので、私はこれで失礼いたします」
「ありがとう」
「はい」
征爾さんと別れると、フレーゲル様がこちらよと誘導してくれます。他所見をすることなくしっかりと彼女について無事に教室へ到着することができました。
ちゃんと道順も覚えています。はい。
まぁ、一度学園を訪れていてよかったと思います。でないと、周りに色々と気を取られて、入学初日からあの日のように迷子になっていたかもしれません……。
確かに前歴があるので、夏兄様が心配するのも無理はありませんね。
ちらほら集まっていた生徒たちが続々と集まり、クラスメイトが全員揃ったようです。
男子生徒が九名。女子生徒が七名の合計十六名のクラスです。
侯爵家は私一人で、伯爵家はフレーゲル様一人。子爵家の子息令嬢が四名で、男爵家が十名でした。
そして、私たちの担任は、義教・オルウィン先生。オルウィン子爵家の方です。
爵位を継がない貴族の子息は、事務官や侍従、執事、騎士になる他に、こうやって学園で教鞭をとる方もいらっしゃるそうです。
全員の自己紹介が終わったところで先生の誘導に従い、入学式が行われる講堂へと移動しました。
そんな時も何故か、ぴったりとフレーゲル様がついてきてくれます。
――征爾さん、後で絶対問い詰めますからね。面倒見のいい方とは思いますが、フレーゲル様は絶対何か誤解しているはずですから。
これではまるで、私の引率者ではありませんか。
同じ歳なのに……。
講堂に到着すれば、先輩方はすでに揃っていました。
一年生の席へ向かう途中、夏兄様たちの頭を見つけました。三人はいつも一緒なのでしょう。並んで座っていました。
入学式が粛々と執り行われ、明日からの授業の受け方や施設の説明が続き、ホームルームも終了すれば、本日はこれで解散となりました。
で、私は夏兄様の言い付け通り、教室から動かずに待っています。
夏兄様が来るまで、絶対、絶対、絶対動くなと言い含められました……。
夏兄様、大事なことは二回言うんです。三回は多いですよ。はい。
「冬瑠様、ご帰宅されませんの?」
お互い差し支えなければ名前を呼びあいましょうということになりました。
登校初日からお友達ゲットですね! まぁ、征爾さんがいてくれたのがきっかけになったので、穏便に問い詰めたいと思います。
「お兄様を待っていますの」
「そうですのね。では、心配ありませんわね」
「……清花様、我が家の執事から何を聞きましたの?」
「冬」
清花様から答えを聞こうとしていたら、夏兄様の声が飛び込んできました。
途端に教室内から黄色い声がいくつも上がったのです。
何事かと見渡すと――その原因が分かりました……。
「おチビ」
「――ご機嫌よう、クロイツヴァルト様」
何でしょう……。
目の前に聳え立つこの堕天使は。そして、その勝ち誇った表情で見下ろしてくるのは何なのでしょうか。
「おチビは、いつまでもおチビだな」
「――そうでしたの。貴方様も身長を気にしていらっしゃったのですか」
「はぁあ?」
「まあまあ」
「もぅ、蒼真ったらこんな日まで。冬様、ご入学おめでとう」
「ありがとうございます、絢音様」
いつもいつも我が家で顔を合わせる度に、人の前に立ちはだかっていたのはこのためだったのですね。身長が伸び始めたことを見せつけていたようです。
気づけば絢音様より顔一つ分高くなっていました。見上げるくらいに高い。
百八十の夏兄様と同じくらいになっているなんて詐欺です!
私の身長は……まだ百五十センチくらいなのに……。
いいえ、まだ分かりません。今が最高に成長期ですから。
望みが絶えたわけじゃありませんから!
「冬、そちらのご令嬢は?」
「あ、そうですわ。こちらがお友達の清花様ですわ」
早速新しいお友達を紹介しなくてはです。みんなの自己紹介が終わると、何やら清花様が心なしか胸を張られました。どうしたのでしょうか?
「どうぞ、お任せくださいませ。冬瑠様のことは、しっかりとこの私が付き添いいたしますわ」
「え、清花様?」
「執事の方から伺いましたの。どうぞご心配なく」
「自分の事はできますよ?」
「これは心強いな。頼めるかい?」
「はい」
「え、お兄様、自分の事くらいできますよ」
「おチビ、記憶力まで悪くなったのか? あれだけ迷子になっておきながら。おまけに穴に落ちたのはどこの誰だった。ん?」
「――それは昔の話ですわ」
「冬瑠様……そんなに重症なのですのね」
「昔の話ですわ。あれから成長しましたもの」
なのに、三人が私の肩をぽんぽんしてくるのです。夏兄様は頭を、絢音様は右肩、堕天使が左肩を。
夏兄様だけでなく、どうして絢音様まで!
堕天使! いちいち嫌味な男ですね‼
それに、清花様は哀憐の目を向けてきてるし!
ほら! クラスメイトたちも何事かと見てるじゃないですか!
「手の掛かる子だけど、よろしく頼むよ」
「はい」
「いえ、ですから」
「ひとりは心配だ。だから、ね」
うぐっ! 朝、言い含められた時の圧が感じられます。圧が……。
笑顔なのに、その目の奥が笑っていないのです……。
「はい、お兄様……」
「じゃあ、今日は帰ろうか」
そんなに手の掛かる子でしょうか……?
何かとっても解せません。
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『フレーゲル嬢。妹の事なんだが』
先を歩く冬瑠をうかがいながら、夏翔は清花にこそこそと話し出した。
『はい。詳細は聞いておりますわ。なんでも重度の”迷子症”だとか』
そんな名前の病なんて無いだろうと心の中でツッコミを入れるも、言い得て妙だと夏翔は苦笑した。
『それなんだが、妹は本当にいつの間にかいなくなってしまうんだ。どんなに気を付けていてもね』
『……そんなことが本当にあるんですの?』
『はは……信じられない話だろうが事実なんだよ。だから君も程々でいいよ。頼りになる子が傍にいてくれると助かるのは事実だけど、姿が見えなくなったらどこをどう探しても見つからないんだ。そんな時は無理に探さなくていいからね』
『そうですの。重度という意味が理解できましたわ』
『それと、これも不思議なんだが、あの子は必ず帰ってくるんだ。迷子になりながらもね』
『それは迷子と言わないのでは……』
『何故か必要な場所へ帰ってくるんだが、それまでの過程で迷子になるんだよ』
『複雑な症状ですのね……』
清花はおいたわしいと呟き、口元を手で隠して前方にいる冬瑠に哀憫の視線を向けている。
『だからそんな時は”散歩”に行っていると思えばいい』
『分かりましたわ』
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