19 『隠形(木の葉隠れ)』発動により
秋周の執務室に、クロイツヴァルト公爵とヘイズ、第二師団長と副師団長が集まっていた。
「ふ。謀反の連名書ねぇ。ご丁寧に筆跡を真似ているか」
「机にあったという書類の束は、筆跡の資料を集めるためだろうな。今からその部屋に戻ったところで、既に痕跡は無いだろう」
「人目が剣術大会に集中する今日を選んでの犯行だ。内通者はさぞ動き易かっただろう。ふ。その苦労が一瞬で水の泡とは笑えるな」
「こんなもので排除できると考えるところが、お粗末ではありますな」
「ですが、本当にこれが『第二王子』の差し金なのでしょうか?」
公爵が手にしている偽連名書に第二師団長と副師団長、秋周の視線が集中する。
「政敵を排除するための手段としてこの手口。子どもが考えたのなら稚拙さも出るだろうな」
「――こんな事をするくらいなら、己を改めればよいものを」
秋周の指摘に頷きながら第二師団長が吐き捨てるように呟くと、副師団長も微苦笑を浮かべている。
「あの三人が用立てていた裏金は十中八九、金の力で勢力を拡大しようと画策していたのであろう」
「人身売買で懐に入った裏金はまだ小さかったが、あの領から巻き上げた額は相当だからな」
「その金に買収されたのが、あの師団たちですな――民を守るはずの騎士が、なんと情けない」
――王宮では今、第一王子と第二王子の間で勢力争いが勃発していた。
だがそれは、第二王子側の一派が独り相撲をしているに他ならない。
何故なら、第一王子こと『玖郎王子』は、自ら次期王太子の座を要求しているわけではないのだ。彼は、現王太子妃の王子である『雅久王子』が立太子すべきだとの姿勢を示している。
だが、当の雅久王子は、自分の立場を兄王子に脅かされていると信じ込んでいる節があるのだ。この態度も含め、利己的で思慮に欠ける性格が問題視されていることは否めない。年々その性格が顕著になり、今日の剣術大会でもそれを自ら行動に出してしまっていた。
あの日、クロイツヴァルト公爵の命が狙われた理由も想像がつくというもの。
それは、玖郎王子が八歳の頃から公爵家に身を寄せていることが要因になったと推測できる。
五家ある公爵家からクロイツヴァルト家が選出されていた。
これは、陛下と王太子殿下の指示であった。
雅久王子の立場を確立するためであるという名目ではあるが――真意は誰にも分らない。公爵家に滞在しているのは、優秀とされる玖郎王子の身を守るためではとの憶測も流れているのだ。
このため、雅久王子派は玖郎王子派の筆頭と認識されている公爵を殺害すれば、勢力の力を削ぐことができると考え実行に移したと思われる。
事に至ったのは、人身売買事件と横領事件で雅久王子派であった伯爵らが罪に問われた事が火種になったと考えるのが妥当であろう。
また、師団間にあるちょっとした問題とは、この勢力争いに取り込まれた師団があるからだ。それは、第一、四、六師団である。
領地に派遣されている騎士の総元締めが第一師団では、領民が訴えたところで握り潰されるのは想像に難くない。現に、クルーノー元子爵領のサン・フラール街の組合長が領警団に陳情書を提出していたのだ。
横領に手を染めていたのは子爵とその部下の一人、執事のみの犯行であった。内政はあくまでも領主に委ねられているため、税率などは領主の采配によるところが大きい。実際、家令が疑問を呈したところで馬耳東風であった。
三年前に一度税率を上げられ、一年前にも再び上げられては領民たちの生活は苦しくなるばかり。組合長が陳情書の提出に踏み切ったのは、理由も分からずこの先いつまで苦しめられる生活が続くのかと恐れを抱き、隣接する領と比べたら高すぎる税率に領民たちから上がっていた不信の声を代表したのだ。
領警団は、その陳情書を確かに第一本部へ送っていたはずだと証言しているが、第一師団はそれが発覚すると、書類を紛失した不祥事と見做し、師団長権限で一人の騎士を戒告処分に付すだけに止まっていた。
更に、人身売買の摘発が行われた居酒屋は、第四師団の管轄区域内であった。
被害者家族はもちろん捜索願の手続きを行っていたが、真剣に動いてくれていたのか正直疑問であると後に証言している。摘発後の調査では、現場は事件性の薄い家出と見做し、情報収集は行っていたと主張していた。
そもそもこの事件が明るみになったのは、闇組織が四以外の管区内の住民に手を付けたからであった。限られた範囲だけでは思うように子どもを集められず、欲に目が眩んだ頭目は伯爵たちの意に反して秘密裏に手を広げていたのだ。
捜査本局の私服捜査官が馬車の行方を追っていた際に見つけた貴族の馬車は第四管区内であったため、四管区からの被害報告が捜査本局へ上がってこないことに疑問が生じていたのだ。
摘発後、子どもたちの救出段階で判明したのだが、四管区内で捜索願が出されたのは管区内に十二か所ある騎士駐留所の内の二か所だけであった。
各駐留所から捜査本局に提出する捜索願届出数に計上していなかったのは報告漏れと称し、こちらも騎士の二人を戒告処分に付したことで終わっていた。
――あの時、秋周とヘイズが考えた策とは、第三師団の管区内でも訴えがあったことを口実にして摘発を行ったのである。証拠隠滅を図られては元の木阿弥なので、もちろん事後承諾であった。
そして今回、謀反の偽連名書には第六師団長が関わっていた。
この連名書には公爵の名をはじめとし、アーレント侯爵、第二、三、五、七の各師団長、側妃の生家である伯爵家、主だった伯爵家の名が連なっていたのだ。
この四人の師団長には雅久王子派からもちろん打診は来ていない。
それは容易に想像がつくというもの。
第二師団長の実直さは有名なので、金で動くとは考えにくかったからであろう。逆に持ち掛ければ、その金は何だと藪蛇になるのは必至。
第三師団長は、アーレント侯爵家と懇意にしている伯爵家の当主である。
第五師団長は、公爵と飲み仲間というのは周知の事実。
最後に第七師団長だが、彼はヴァレット伯爵家次期当主である。現近衛騎士団長の長子であり、現当主と同様に堅物であることは知られていることだ。
「あの王子の指示だとしても、あの家がこんな稚拙な奸計に手を貸すとは思えないのも事実ではある」
「妃殿下を筆頭に立て直しを図っているからな」
「裏に別の者の影がちらついていますな。王子の策をある程度の形にして、掌で転がしているとも考えられます」
「ふ。本命の黒幕か。さて、どんな大物が裏にいることやら」
「君の命を狙ったのは、そっちの可能性が高いと思うが」
「ええ、そうでしょう。資金源を失った腹いせとも考えられます。王子が金に執着するとは考えにくいですね」
「――公爵閣下の企みは逸れたようで?」
「何だその嫌味を込めた目は。領地が手に入ったのだから何の文句がある」
「人を盾にしようとしておきながら、どの口が言うのか」
「くくっ。気づいていたか」
「見え見えだ」
※ ※
「偽造した連名書が喪失したため、もう一度……」
「何だったか? 親の功績で師団長の座に就いた無能であったか。貴様は自らその噂を証明したわけだな――喪失させるとは理解に苦しむ。賭博に明け暮れたその頭脳は、最早使い物にならんようだな」
第六師団長の頬からバシッっという音が炸裂した。紙の束で殴られた師団長の周りには書類が散乱している。
「今更偽造したところで何の役にも立たん」
「はい?」
「そんな事も分からんのか。貴様が犯したミスで、あちらに漏れたということだ」
「……」
「貴様が関わっていたことは掴まれていて当然であろう。だが、何も動かないところを見ると時期尚早と判断したようだな」
「……申し開きもなく……」
「ふぅ。王子のご機嫌取りも疲れるな――他にも伝えておけ。策を練り直すゆえ、待機せよと」
「了解しました――」
師団長が退室すると、壁際に待機していた執事が書斎の床に散らばった書類を片付け始めた。
※ ※
「遅いぞ! 何をしていた!」
「申し訳ありません、王子。謀反の策を失敗した報告を受けていたものですから」
男が入室すると、雅久は開口一番怒鳴っていた。剣術大会で兄王子に負けたことで、彼の機嫌はすこぶる悪い。
だが、男の言葉で雅久の表情が変わっていた。
「未遂に終わったのだな?」
「はい。残念ながら」
「なら、丁度良かった」
「どういう意味でございましょう?」
「あの公爵には手を出すな。気が変わった」
「理由をお聞かせ願いますか?」
「あの家の娘を私の正妃にする。よって、婚約を結べるよう手配しろ」
「――しかし、あの家は王子にとって政敵も筆頭の家ですが」
「なら、こちらに引き込めばいいだろう。何か問題があるのか」
「泣き言を申し上げるのではありませんが、それは、彼の方の一存では難しく。王子の婚約となれば、陛下と殿下のお許しが必要な事です。その後、全大臣の承認が必要となります」
「陛下と父上の承諾を得ればよいのだな?」
「はい。まずはそれが急務かと」
「分かった。それが終われば大臣の承認など容易いだろう」
「左様でございますね」
「今日はもういい。私は早速父上に話してくる」
「承知しました」
自室を出ていく王子の背中を見送る男は、静かに微笑んでいた。
――男は王宮を辞し、ある邸を訪れて王子の近況を報告していた。
「今度は女を欲し始めたか。これだから子どものご機嫌取りは疲れる。クロイツの娘を正妃に、か」
「あちらを味方に引き込めと申されております」
「ふははは! 政治の何たるかも知らん子どもが言いそうなことだな。まぁ、この件は捨て置け。その婚約がすぐに纏まるとは思えんからな」
「承知いたしました」
革張りの椅子に深く腰掛け天井を仰ぐ男の口元には、ニヤリとした笑みが浮かんでいた――。