18 黒猫、隠密スキル『隠形(木の葉隠れ)』発動
本日2話目の投稿です。
――私の”迷子癖”は呪われているのでしょうか?
階段を下りて真っすぐと言われたのに、それで辿り着けるはずだったのに!
ここはどこですか!
またしても、誰もいない閑散とした場所に立っています!
あっちでもない、こっちでもないと歩いていたら、以前見たような飾り気のない建物が見えてきました。
前よりも小ぶりな建物ですが、きっと人がいてくれるはずです。
だと思ったのに、その建物へ続いている通路を歩いてみても、本当に人が見当たりません。
屋根付きの石畳で整備された連絡通路から外れて、草木が生える外へ出て見渡してみても人っ子一人いないのです。
どうしてでしょうか?
通路に戻って、もう少し奥へ行けば部屋があるかもしれないと思い突き進んでみました。
あ、角を曲がった通路の先に人の頭が見えました!
大会会場までの道順を――。
え、この会話……。
またですか……でも、この話、どうして。
カツン、カツン。
あぁ、ぁあ! どうしよう! 足音が近づいてきています!
通路の手すり壁より身長が低いため、私の姿はおじさんたちには見えていなかったのでしょうが、こんな話を聞いたと知られたら!
ぷるぷるぷるっ!
今は、今はっ、一刻も早くここから逃げないと‼
私は一目散に走りだし、たのはよかったのですが、目についた通路へ逃げ込んだのが運の尽きでした!
こ、ここは行き止まりなのです‼
どうしよう!
ここは階段を何段か上った小上がりの、私の身長よりもはるかに高い壁に囲まれた場所で、通路以外の外へ降りられそうなところがありません!
一本道のこの場所から引き返して、あの角を曲がればと思ったのですが、足音はすぐそこまで来ています!
ええい!
一か八かで目の前のドアノブをひねってみたら。
やった! 開きました!
急いで中に転がり込んだら誰もいない部屋でした。
まずは身を隠せてほっと一安心ですが、見つからずにここを出て行くタイミングをどうしたらいいのか……。
ここは物置部屋のようで、木箱や段ボール箱が所狭しと積み上げられていて、壁際の棚にも古めかしい段ボール箱がいくつも置かれています。それと、傾いたり端が欠けたような古い長机が何台かと、布が破れて中のスポンジが飛び出している古椅子も何脚かありました。
長机には書類の束と筆記具類が置いてあります。
ん?
窓が開いていたので風に飛ばされたのか、長机の傍の床に落ちていた一枚の紙に目が留まり――。
……これって……。
ぷるぷるぷるっ!
ぐずぐずしてはいられません!
きっとこの紙を取りに、足音の主がこの部屋へ来るはず!
ここから一刻も早く逃げないと!
扉以外に出る場所がないのであれば、やることは一つ!
窓の方へと走り出し、窓の下に置いてあった木箱によじ登ってタオルと紙切れを歯で挟んで、窓枠に手をかけて更によじ登り!
とう‼
ぼうんっ!
べちゃっ!
い、痛いです……。
窓の下にあった、四角く刈られた小低木の生垣をマット代わりにして躊躇うことなく飛び込んだのですが、思ったより弾力が強かったので、そのままバウンドして地面に落下しました……。
夏兄様のタオルのお陰で顔面強打は免れましたし、芝生の上に落ちたので衝撃は弱まりましたが、痛いものは痛いです。
ん?
「ど、どこだ! まさか、風に飛ばされたのか! くそっ、どこだ!」
か、間一髪だったようです。
あの声のおじさんは、きっとこれを探しているはずです。
窓の傍でドタバタ聞こえるので、今は絶対動けません。
寝そべったままそっと生垣の隙間からうかがってみれば、おじさんが窓から顔を出して辺りを探している姿が見えました。
建物と反対側に落下したお陰で私の姿は見えないようです。
――チビで助かったかもしれません。それに、常盤色のワンピのお陰で。
自分がもっと大きければ生垣からはみ出して怪我をしたかもしれないし、生垣が不自然に折れていれば怪しまれた可能性が。
思わず、ぶるっと体が震えましたよ!
あれ?
建物の向こうからこの場所へと繋がっていると思われる、タイルのような石材で舗装された通路から、誰かの話声が聞こえてきました。
あのおじさんの仲間だったらと思い身体が竦みましたが、怖いおじさんの方が窓を慌てて閉めて中へ戻ったのです。
無関係の人?
窓からさっきのおじさんが様子をうかがっているかもしれないので、まだ起き上がらずにその声の主たちが現れるのを待ちました――ら。
あ! あの時会ったお兄さんが!
「は⁉ 俺の目の錯覚でしょうか!」
「いやいや。あそこにはちゃんと子どもがいる――何故あんなところに転がっているかは不明だが」
「おぉ、おお、おおっ、何だ!」
「お、お嬢さん……」
私は思わず生垣に身を隠しながら四つ這いで芝生の上を前進し、途中から立ち上がって走り出してお兄さんの上着の裾をがしっと掴みました!
怖かった! 怖かったんです!
知った顔を見つけたら思わず!
「ど、どうしたのかな、冬瑠嬢?」
「う、う、う、嘘のおじさんがっ」
「え、嘘のおじさん?」
「よしよし。何か怖い思いをしたのだね?」
ヘイズ様と一緒にいたもう一人のおじ様が優しく頭を撫でてくれます。樹や草で汚れたのか、服などを払ってくれました。
そのお陰で幾分か落ち着いてきました。
服を握りしめていた手を離して、ヘイズ様から下がりました。
「その腕に持っている紙は何なのかな?」
「あ、これ、あの部屋で見つけました」
その紙切れをおじ様に渡すと、途端に眉間に皺を寄せて目を通されています。
おじ様は、私が知っている騎士様とは違った制服を着ています。指揮官クラスの騎士様でしょうか?
「団長、何か?」
「君も読んでみるといい」
「はい」
団長様? やっぱりそうみたいですね。
「――これは、まさか」
「ヘイズ様、嘘のおじさんが怖いことを言っていました」
「あ、ちょっと待っててね」
ヘイズ様が私の言葉を遮りました。どうしたのでしょうか?
「――団長、この事は内密にお願いします。長官の娘さんの事です」
「承知した。何か事情があるのだな」
「はい。ごく一部しか知らない事ですので」
「ああ」
「ごめんね。続きを聞かせてもらえるかい?」
「はい」
私が見聞きしてきたことを伝えると、お二人の表情が硬くなりました。
「――そのおじさんは、騎士服を着ていたんだね?」
「はい」
「腕章の数字を見たかい?」
「はい。ラインが三本の”六”でした」
「六師団長か――」
途端に、お二人が顔を見合わせています。
確かに六師団と刺繍された腕章をしていました。
熊師団長様と似たような腕章だったので目についたのです。
騎士様の腕章の大半が一本ラインなのですが、師団長と呼ばれる方の腕章はラインが三本みたいです。
あの日、熊師団長様と一緒にいた方はラインが二本。副師団長と呼ばれる方はそうなのかもしれません。
ですが、目の前のおじ様は腕章もしていないし、制服の色も形も違います。
気になるのは、袖部分に縫い付けられているワッペンです。
身長が高い方なので、傍で見上げても何て書いてあるのか見えません。
「では団長、俺は長官にこの事を知らせてきます。あ、そうだ。長官もすぐに向かうと言っていたっけ」
「来れなくなったのですね」
「残念だけどね」
「ならば、私はお嬢さんを送り届けてこよう」
「よろしいのですか? お仕事が……」
「問題ない。これは父君に任せておけば簡単に片が付くことだからの」
「では、俺は急ぎますので。冬瑠嬢、お手柄だよ」
そう言い残して、ヘイズ様は走って行かれました。
団長様もよく頑張ったと頭を撫でてくれます。
「さぁ、行こうか。そうだ、自己紹介がまだだったな。儂は、ヴァレット伯爵家が当主で近衛騎士団長を拝命している秀将・ヴァレットだ。お見知りおきを」
近衛騎士様に加えて、その団長様でしたか!
「お初にお目にかかります。アーレント侯爵が娘、冬瑠・アーレントと申します。お見知りおきくださいませ」
「偉いのぉ。まだ小さいのに、しっかりと挨拶できるのだな」
「えっと……六歳になりますので」
「お、おぉ、そうかそうか。四つぐらいかと思っておったの。これはすまない」
……えぇ、えぇ、どうせチビですから……。
私の頭をぽんぽんした後、団長様は伸ばしているお髭を撫でながら歩き出しました。
「孫は今年で十歳になるのであったな。月日は早いものだ」
「じゃあ、今日はお孫さんも」
「孫がどれくらい腕を上げたか見てみようと思ってな。後で紹介しよう」
「はい」
「思い出すのぉ。さっき一緒にいたヘイズの坊主も儂が鍛えていたころはびーびー泣いておったが、いっちょ前に育ったものだ」
「お弟子さんだったのですか?」
「ヘイズ子爵とは旧知の仲でな。姉たちに揶揄われていつも泣いていたらしく、嫡男なのに先行き不安な弱虫を鍛えてくれと頼まれたのだ」
へぇ~。あのヘイズ様も、そんな子ども時代があったのですね。
いろいろお話をしながら歩いていると、会場に着いたよと教えてくれました。
団長様についていくと、煌々と蛍光灯の光で照らされた通路から、ぱぁっと開けた場所に到着しました。
その広場の二か所で、二組の子どもたちの試合の真っ最中でした。
「お祖父様」
「おぅ。調子はどうだ」
「はい。しっかり勝ち残っています」
「そうか。おっと、これがうちの孫だ」
「初めまして。アーレント侯爵が娘、冬瑠・アーレントと申します。お見知りおきくださいませ」
「ヴァレット伯爵が嫡男、刀矢・ヴァレットと申す。お見知りおきを」
この国の貴族の挨拶は爵位を持つ方が先に名乗るのが礼儀で、その身内の場合は爵位が上の家族が先に名乗るらしいのです。
ややこしいです、貴族の礼儀って……。
ヴァレット様と自己紹介を交わし終わると、近くからあの声が飛んできました。
「おチビ」
「――ご機嫌よう、クロイツヴァルト様」
「冬、団長様とどうしたんだい?」
「迷子になっていたから送ってきたのだよ」
「お手数をおかけしました、団長様」
「見つかってよかったの」
「はい。ん? 冬……服が汚れてるじゃないか」
「……草に転げ落ちたのです、お兄様」
「ふ~ん。ほぉ~」
ムカつきます!
何でしょうか! この堕天使の勝ち誇った顔は!
「どうしてまた迷子になんか」
「お兄様にタオルを届けに来たのです。お母様が渡しそびれたと」
「ありがとう。だけど、私たちの試合は終わってしまったよ」
「え、間に合わなかったのですか……」
「これは残念だったの、お嬢さん」
「はい……お兄様が勝って、クロイツヴァルト様がこてんぱに負けるところを見たかったのに……」
「あぁ? 今、何か聞こえたが?」
「クロイツヴァルト殿なら、私が先ほど倒しましたよ」
「くっ! 来年は絶対勝ち上がってみせるっ」
「団長様のお孫さんに勝てるはずありませんわ」
「さっきから余計な口が多いな。ん?」
「まあまあ」
「ははは! 青春だのぅ」
団長様が豪快に笑いだすと、表情の少なかったヴァレット様の目元が優しくなりました。
「っ!」
「なにを草の汁なんかつけているんだ、お前は」
突然視界にふわふわの青いものが近づいてきたかと思えば、堕天使の指が私の耳横の髪を払って、顎をタオルでごしごしと拭き始めたのです。
「もぅ、力が強すぎて痛いですってっ」
「取れないからだ」
「自分で拭きますっ」
「場所が分からないだろうが」
「うぅ……」
「取れたぞ。まったく、どこで迷子になれば草で汚れるんだ」
+++
秀将は異様な視線に気づき、秘かに会場へと視線を走らせていた。
こちらへ向かってきている――いいや――目の前のまだ小さな女の子に集まっている視線が気になっていた。秀将はそっと夏翔に目配せをして耳打ちする。
『アーレント君、気をつけられよ。妹御によからぬ視線が来ているようだ』
夏翔は、団長の目をしっかりと見て静かに頷いた。
+++
「もうすぐ刀矢殿の試合があるよ。冬、母上のところへ送るよ」
「はい、お兄様。団長様、ありがとうございました」
「気をつけて帰りなさい」
「はい」
夏兄様に手を繋がれ、二階の観覧席の母のところへ送り届けてもらいました。
で、到着早々、私が迷子になったことを夏兄様が暴露してしまうし。
母も私が戻ってこないことを気にしていたようで。
……度々心配をお掛けしてすみません……。
「あ、そうです。お父様は、お仕事で来れなくなりました」
「そうだったんだね」
「来年は、みんなで応援できたらいいわね」
「はい」
そして、兄は何か母に耳打ちをしてから会場へ戻って行きました。
「怪我はないの?」
「はい、大丈夫です」
「ならよかったわ。服の汚れもそんなに目立たないから大丈夫よ」
「はい」
飛び降りた時、運よく背中から生垣に着地したので、ワンピが防具代わりになって怪我をすることなく逃げることができたのです。怖い思いをしましたが、ヘイズ様たちにお手柄だと言ってもらえたので万々歳ですね!
「ほら、今から試合をするのが我が国の王子様方よ」
噂の王子様たちです。
身長差があるので、きっと第一王子様が有利ですね。
もう一方では、ヴァレット様の試合が始まりました。
――こうやって防具を身に着けて木刀と金属の盾を持って戦っているのを見ていると、何というか不思議な感じがします。前世見ていた映画のワンシーンを現実で見ているのですから。地球にもこんな時代があったのですよね。
あ、王子様たちの勝負がついたようです。
えぇ……負けてしまった第二王子様が癇癪を起こしたように木刀と盾を投げ捨てています。本当に困ったちゃんみたいですね。
ヴァレット様のグループの試合も終了したようで、勝ったのはやっぱりヴァレット様でした。
団長様も拍手されています。
そしてお次はどうやら最後の試合のようで、第一王子様とヴァレット様の決勝戦が始まるようです。
おお!
一進一退の激闘が繰り広げられています。
ヴァレット様より第一王子様が一つ年上なのですが、ヴァレット様は歳の差なんて関係なく身長も高く、体格も全く引けを取りません。
あ、決着がつきました。ヴァレット様の勝利です。
やっぱり血筋だからでしょうか。鍛え方も違うのかもしれません。父君もきっと強いのでしょう。
表彰式が始まり、拍手喝采の中でヴァレット様がメダルを受け取っていらっしゃいます。
「夏翔と合流して帰りましょうね」
「はい、お母様」
他の観客の人たちはまだ動く気配がありませんが、お母様が何か急かすように籠を手にして立ち上がったので、私も母の後に続きました。
階段を下り切ったところで丁度夏兄様もこちらに向かって来ていたので、合流して馬車へと向かいました。
会場からはまだ賑やかな声が聞こえてきますが、我が家は一足先に王宮を後にしました。
来年こそは必ず、夏兄様の勇姿をこの目に収めたい思います。
耳学問の豆知識:隠形術(木の葉隠れ)。
草叢に身を隠して追っ手から逃れる術だそうです。