17 黒猫、隠密スキル『七化(6歳児)』発動
一か月に一・二度は我が家に襲来する堕天使が今日も突撃してきました。
講義が終わって、お楽しみのおやつを食べようと居間に移動したら、外から木刀を打ち合う音が聞こえてきたので覗いてみると、夏兄様と堕天使の二人が打ち合いの練習をしていたのです。
夏兄様たちがいる庭が一望できる南向きの居間の窓から覗いたばっかりに、堕天使に見つかりました。
目敏い男です……。
来いとばかりに手招きしていますが、スルーを決め込んでおやつにしようと思ったら夏兄様も呼ぶので仕方なく。
居間の窓を開けて言い訳を伝えます。
「おやつを食べてから行きます」
「冬、私の分も持ってきてくれないか。庭で一緒に食べよう」
うぅむ……最近、自分のことを”私”と言うようになった夏兄様の所為で逃げ場を失いました。
更に追い打ちが。
「冬ちゃん、蒼真様の分もお願いね」
「はぁ~い」
「あらあら、そんなに邪険にしなくてもいいでしょう?」
「だってお母様、意地悪ばっかりするんですよ。私のことをチビチビ言うし」
「うふふ。冬ちゃんは背が高くなりたいの?」
「はい。お母様みたいな綺麗なスタイルに憧れます」
「まあ。もう色気づいちゃったの。誰のお陰かしらね?」
はい? 誰かのために色気づいたということですか?
「そんなんじゃありません」
「あらあら」
ふぅむ。信じてませんね。
一体誰のためと思っているのやらです。
用意されていた三人分のお茶菓子を持って、渋々向かうことになりました。
両手が塞がっている私のために、メイドの結美さんが扉を開けてくれました。お運びいたしますよと言ってくれたので、お茶のセットを運んでもらっています。
――お菓子だけ持っていくと、喉が渇いたのなんだのとケチをつけるに決まっていますからね。あの堕天使が。
いいえ、違いますね。
夏兄様は運動していたので、きっと喉が渇いているでしょう。
決して堕天使のために持っていくのではありません。
あくまでも夏兄様のためです。はい。
「ご機嫌よう、クロイツヴァルト様」
「――蒼真でいいと言っているだろう」
「そんなわけには参りませんわ。淑女たるもの、婚約者でもない殿方のお名前をお呼びするのは礼儀に反しますもの。呼んだらまた淑女失格娘って言うんじゃありませんの? お見通しですわ」
「あははは! 蒼真、一本取られたな!」
ふふん。そんな手に引っ掛かりませんよ。
剣術の先生も結美さんもこっそり笑っています。
へっへ~ん。いつもいつもやられっぱなしじゃ悔しいですからね!
「さぁ、休憩しよう」
「はい、お兄様」
「おチビも口だけは一人前になったようだな」
「――相変わらず、口の悪さは治りませんわね」
「本当のことを言ったまでだが」
「いつか必ず、絶対、何が何でもお母様みたいに綺麗になって、素敵な殿方と結婚してみせますわ! お父様やお兄様みたいに優しい殿方を見つけますもの!」
「はいはい。いつの話だろうな」
「蒼真、冬の言う通りだと思うけど? 素な「夏翔、黙れ」
「やれやれ」
みんなでガゼボへ移り、結美さんが給仕をしている間にお茶菓子を配り、剣術の先生には結美さんが別に準備してくれたお煎餅を。
先生は、甘いものは苦手なのだとか。
「夏翔様、剣術大会は明後日でしたね」
「あ、そうだった」
「私たちも今年から参加だったな」
「剣術大会って何ですか?」
「九歳から十三歳までの子息が集まってね、王宮で手合わせの大会があるんだよ。王子殿下方も参加するんだ」
「へ~。勝敗をつけるのですか?」
「そうらしいですよ。トーナメント形式で試合が行われ、優勝者には毎年メダルの授与があるそうです」
「年上の人が有利じゃないのですか?」
「そうですね。やはり筋肉のつき方も違いますし、身長差もありますからね」
「それに、騎士を目指している者たちとでは、また差が出てくるだろうね」
「ですが、蒼真様も夏翔様もかなりの線をいっています。騎士にも劣らない腕前になる可能性を秘めていますよ。努力次第ではですね」
「お兄様、凄いですね! 文武両道なんて素敵です!」
「おい。私もだろう」
「クロイツヴァルト様の学業のことは存じ上げません」
「まあまあ」
「でも、王子様がいるなら手を抜く人がいたりしませんか?」
「……まぁ、無きにしも非ずでしょうか」
「だろうな。あれではな」
「え、そんなに我が儘な方なのですか?」
あれ?
いつもの事ですが、王子様の話になると決まってみんなが渋面になるのです。
「王子様ってお二人いましたよね。どちらの方もそんなですか?」
「いいや。片方だけだよ」
「とても言い辛いことですが、昨年から大会の雰囲気が変わったとか。その前までは本当に腕の試し合いだったそうですよ」
ということは、私より四つ上の第二王子様が参加するようになった昨年から問題が起きてきたと、そういう事ですね。
その第二王子様が困ったちゃんというわけですか。
「そうだ、冬。明後日、母上と一緒に来てみるかい? 大会は見学できるらしいからね」
「はい。行ってみたいです」
「なら、私の実力を見せつけてやる」
「――私はお兄様を応援しますもの。誰かにお願いしてはいかがですの?」
「ふ、冬っ……く……」
「何を笑っている、夏翔」
「何でもない……く……」
「――」
王宮は、父と約束していた迷路庭園へ連れて行ってもらった以来です。
一緒に入った父はにこにこしながら後をついてくるだけで教えてくれなかったので、最後まで自力で挑みました。
本当に大きな迷路で脱出するのに時間が掛かってしまいましたが、とっても面白かったのです!
剣術大会のことを伝えれば母も応援に行くつもりだったようで、当日はみんなで王宮へレッツゴーとなりました。
父は会場で合流するので、家族で夏兄様をしっかりと応援したいと思います。
※ ※ ※
初夏の涼しい風が吹く快晴。本日は大会日和となりました。
私たちが会場に到着した頃には、既に沢山の観客が詰めかけていました。
ここは騎士様たちの合同鍛錬場らしく、屋根はありませんが、観客が座れる二階席が北側と南側に完備された施設でした。会場と二階の境には二メートルくらいの壁があります。広さでいえば、世界的な大会が行われるスケートリンク場くらいでしょうか。
途中で夏兄様と別れた私と母は二階席の空いている場所を探して、早速夏兄様の居場所を探してみます。
――何でしょう、この負けた気分は。
堕天使の輝く小町鼠色の髪は、よく目立ちますねぇ。
悔しいですが、あの容姿端麗さは抜きんでていますよ。きょろきょろと探さなくても、すぐに夏兄様の居所が判明しました。超目立つ堕天使の所為で――。
いいえ、違いますね。
夏兄様の黒髪で分かりました。堕天使が目立つからじゃありません。はい。
「あら、どうしましょう」
「どうかしましたか、お母様」
「タオルを渡しそびれてしまったわ」
母が取り出したのは、我が家の家紋が刺繍されたタオルでした。
「私がお兄様に届けてきます」
「でも」
「大丈夫です。任せてください」
「じゃあ、お願いね。あの階段を下りたら真っすぐ行くだけでしてよ」
「はい、お母様」
これくらいお安い御用です。
夏兄様は会場の出入り口近くにいるのですぐに渡せますから。
このタオルを渡したらしっかりと応援しましょう!