15 黒猫、堕天使の襲来にイラっ!
さすが異世界というか、散歩の途中で面白いものを見つけたので、最近ハマっているものがあります。
庭師の樹輔おじちゃんの指導を受けながら、庭の一角に菜園を作りました。
ある植物を育てるためだけなので、小さなマイ菜園です。
その植物というのは、うねうねうと蔓を伸ばし、猫の肉球の形に近い珍しい葉っぱが生えてきます。そして、紫檀色の花が咲くと、ぶりぶりとサヤをつけ始めるのです。
これはサルオモテバナという植物で、名前の由来はその名の通り花が猿の顔に見えるからだとか。
で、この実がまた吃驚。
地球の植物に例えると、枝豆のような実が取れるのです。
サヤごと収穫して水洗いし、すぐさま塩を振ってレンチンすれば調理完了。
そのサヤからぷるっと出てくる白っぽい実が、塩気と豆のほのかな甘みとがいい具合に調和して美味しいです。
両親がお酒を嗜む時のおつまみに好んで食べるので、収穫したらプレゼントしよう計画を立てています。
開花してから一か月後が収穫時期なのですが、実が徐々に膨らんできたので、後一週間もすれば収穫祭りです!
「お嬢様、お昼寝の時間ではないですかい?」
「ぅん」
「あっしがお連れしましょうかね」
「ガゼボぅで、ねるぅ……」
「樹に引っ掛けて転ばないように気を付けなされ」
「は…ぃ」
日焼け防止に被っている帽子のつばが蔓をカサカサと鳴らしたので、舟を漕ぎ始めていたことに気づかれてしまったようです。
子どもの身体は本当に睡眠を欲します。サルオモテバナに水やりをして、近くの雑草を引き抜いていたら眠気が襲ってきました。
大あくびをしながら近くのガゼボのベンチで横になり、五分もしないうちに眠りに落ちていきました――。
ぅん~~。頬がくすぐったい。何でしょうか――?
まだ眠いのに……。
無理やり何度か瞬きをして目をこじ開けてみました。
微睡のおぼろげな視界に映ったのは、誰かの足。
水筒とタオルを詰めた黒猫リュックを枕にして、横向きに眠ってる体を動かそうとしても金縛りにあったかのように自分の意思に反して動かないので、視線だけを動かしました。
大人の足にしては小さかったので、夏兄様なのかと思ったのですが――。
おぼろげな視界に見え隠れする、まるで神話の中の天使が舞い降りてきたかのような物体が目の前にありました。
輝く小町鼠色の髪に、水色系の今春色の瞳をした性別不明の物体が――。
「目が覚めたか?」
天使。はい。天使君がいます。
「天使? どうかな。悪魔かもしれないぞ?」
悪魔?
ん?
あぁ、これは夢ですね。
昨日、母から絵本を……読んで、もらぁ……――。
※ ※ ※
丹精込めて育てたサルオモテバナがたわわに実をつけてくれたので、プレゼント計画は無事に完遂しました。両親が喜んでくれたので万々歳です。
夏兄様も美味しいと喜んで食べてくれるので、また来年も是非挑戦したいと思います。
今日は土曜日ですが、父はお仕事仲間と王都近郊にあるゴルフ場へ出掛け、母はお茶会に出掛けたので、私たち兄妹はお留守番です。収穫が終わったサルオモテバナの蔓を樹輔おじちゃんと一緒に片付けようと思い、居間を出ようとしたら。
夏兄様が居間の扉を開けて入って来たのはいいのです。
いつの日か見たその物体は、夢だと思っていたのですが――。
それが何故か普通に、居間の入り口に立っているのです。
それはそれは胡散臭い”嘘臭スマイル”を張り付けた、この世のものとは思えない天使のような造形をした物体がっ、ひらひらと片手を振りながらこっちを見ているのです!
「冬?」
な、な、なぁ!
「悪魔を覚えてるか?」
「え! 夢⁈ 白昼夢っ⁈」
思わずほっぺを、ぎゅっ!
「痛っ!」
「冬……」「あはははは!」
あれは夢じゃなかったのですか!
「悪魔って何の事だい?」
「うっ……」
「寝ぼけていたようだったしな。人を天使だの悪魔だのと言っていたぞ」
く、黒歴史です……。
夏兄様が超苦笑いで私の頭を撫でてくれています。
外見は天使。でもなんだか……天使悪魔――面倒なので『堕天使』がニヤニヤと小馬鹿にするような顔をしています。
間違えたのは私ですけど、この人――ちょっとムカつくのですが――。
「冬、彼はね」
「自己紹介なら自分で」
「なら、そうしてくれ」
「私はクロイツヴァルト公爵が嫡男、蒼真・クロイツヴァルトだ。よろしく」
へ? 公爵家の御曹司様……。
なんだかとっても不本意ですが、きちんと挨拶は必要ですよね。
ぺこりと挨拶をして。
「冬瑠です。よろしくお願いします」
「妹はまだ、家庭教師がついていないんだ」
「気にしない」
「助かるよ」
嘘臭スマイルが常備の堕天使が、何やら私を観察するような目を向けてきます。
非常に釈然としないので口元がへの字になりそうですが我慢です。
――公爵家のぼんぼんだろうと、不快なものは不快ですから!
「ところで蒼真殿」
「蒼真でいい。同じ歳だし、それに友達だからな」
「今日はまた、突然の訪問だな」
「驚かそうと思ってな」
「――やっぱり揶揄うつもりだったのか」
「面白かったろ?」
「――出禁にするぞ」
「冗談だ」
なんだかこの堕天使――性格悪そうなのですが――。
「冬、折角だから邸を案内してくれ」
はい?
今、私を愛称で呼びましたよね?
初対面なのに、やけに馴れ馴れしい人ですよね……。
「案内してやってくれないか?」
「お兄様は?」
「遠慮してくれるよな、夏翔」
えぇ?
「お兄様……」
「……口が悪いだけで心配ないよ。案内が終わったら居間に戻っておいで。お茶を準備しておくから」
「……はぁい」
不満たらたらですが、夏兄様のお友達なら仕方ありません。
さっさと終わらせて、お菓子を食べましょう。
「じゃあ、こっちです、クロイツヴァルト様」
「蒼真でいい」
「クロイツヴァルト様」
「――」
ふふん。
一本取りました!
苦笑いの夏兄様を居間に残して、早速案内を始めます。
「一階が応接室と食堂です。ここは私室なので、あっちの図書室に」
「君の部屋が見たいな」
客室へ連れて行こうと思ったら、堕天使が突然そんなことを言い始めました。
「……普通、初めての人に私室を見せますか?」
友達でもあるまいし。女の子の部屋を見たがるこの人って、どんな神経をしているのでしょうか?
「寂しいこと言うなぁ。初対面じゃないだろう?」
「ひ、人の寝顔をずっと見たのですか!」
「あんなところで眠っていたからだ。無防備な君が悪い」
あの時、ほっぺがムズムズしましたよね!
「まさか、何かしたんですか!」
「するわけないだろう。こんなチビに何をするんだ?」
チビですって! 人が気にしていることを!
ちっとも伸びない身長を気にしていますが!
夏兄様のお友達なので抗議の言葉をぐっと堪えていると、今度はすたすたとどこかへ歩き出しました。
何なのですか、このマイペース堕天使は!
「ここが君の部屋?」
「っぁあ、勝手に開けないでください!」
「いいから、いいから」
「よくありません!」
私の静止の声も完全にスルーした堕天使は、勝手に私の部屋の扉を開けてずかずかと入ってしまいました。
といいますか、絶対私の部屋の場所知ってましたよね!
一直線に向かいましたよね!
まさか、夏兄様に聞いてたんじゃないでしょうね!
「黒猫?」
そう呟いたかと思うと、堕天使がチェストの上に飾っている黒猫のぬいぐるみと私へ交互に視線を送り始めました。
今度は私が今履いている黒猫ブーツを見ては、きょろきょろと部屋中に視線を走らせています。
そんな様子を注視していると、徐に私へと向き直りました。
「ふ~ん」
ふ~んって何ですか。
「黒仔猫。いいや、違うな。チビ猫」
「チビって何ですか!」
我慢できずに口をへの字にして睨んでいると、今度は突然笑い出しました。
本当にマイペースでよく分からない人です。
眉根を寄せて無駄に綺麗な顔を見上げていると、またひとりで噴き出して笑っています……。
「もういいですよね。次の部屋へ」
「それよりお茶にしよう」
「――邸を案内してくれって言いませんでした?」
「もう十分だから」
引き攣りそうになった頬を抑え、気を取り直して居間へ戻りました。
こういうのは、いちいち気にしていたら疲れるだけですから。
居間に戻って夏兄様と三人でお茶をした後、堕天使は帰宅しました。
よく分からない言動を繰り返した堕天使の襲来に振り回されましたよ……。
「お兄様……本当にあの人、お友達ですか?」
「根はいいやつなんだよ。あいつはね、いろいろ事情があるんだ」
「どんな?」
「あの外見だけでも苦労しているみたいでね。公爵家の交流会で一緒になった令嬢たちと色々あって、しつこく手紙を送ってくるとか大変らしいよ」
「見た目だけで、話をしたらボロが出るのに――」
「はは……それになぁ。この前の交流会で王子がねぇ」
「よくない事ですか?」
「自分より容姿がいいあいつを気に入らないと言い出してね。顔を合わせてから始終機嫌が悪くて」
「……その王子様、将来大丈夫ですか?」
夏兄様が無言で頭を撫でてきます。
瞳が大丈夫じゃないんだよと物語っていますが、大丈夫でしょうか……?
「僕の友達だから仲良くしてやってくれないか?」
「――また来るのですか?」
「はは……頼むよ」
「はぁい」
※ ※ ※
――神出鬼没――。
……そうなのです。あの堕天使、神出鬼没を繰り返すようになったのです。
一度現れてから次に襲来するまで時間が空くので忘れるのです。
とある日は、ガゼボでお昼寝をしていて目を覚ましたら――。
「おはよう」
「きゃぁぁ‼」
なぜか堕天使の膝枕で眠っていたのです。
目を覚まして最初に見たものが堕天使で、ここは天国かと錯覚しましたよ!
「冬! どうし――」
「お兄様!」
近くで剣術の稽古をしていたのか、木刀を片手に夏兄様が駆けつけて来てくれました。
「――庭園を散歩してたんじゃなかったのか」
うぐぅ! 肩を押し付けられて身動きが!
「――蒼真、帰れ――」
「酷いな。寝心地良くしてやっただけだが」
「その手は何だ」
「落ちないように支えていただけだ」
「嘘だ!」
「……兄妹で私を悪者扱いするのか」
誰がそのあからさまな嘘泣きに騙されますか!
またある時は、人のお菓子を――。
お散歩から帰って、今日のおやつはなんだろなと、うきうきで居間へ行ったら、あの堕天使が……。
「ああ! 私のサブレ!」
「人聞きが悪いな。私に出されたものだよ」
「嘘だ! そのお皿とマグカップ私の!」
黒猫シリーズの食器を見間違えますか!
食べ物の恨みは怖いんですよ!
それに人のマグカップを勝手に!
後で煮沸して消毒しないと!
「……妹を揶揄うのも程々にしてやってくれ」
「玩具「誰が玩具だ。出禁にされたいか」
「冗談だ」
「ほら、冬。蒼真がこっちに隠しているから」
「ふーー!」
「チビ猫が毛を逆立ててるな。本当に黒猫みたいだ」
この堕天使、どうにかなりませんか‼
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『ところで冬はどこへ行ってるんだ?』
『散歩だよ』
『敷地内か?』
『そうだよ。一度散歩に出ると、冬の方から顔を出すまで誰も見つけることができないんだ。だから、どこにいるのか分からない』
『何だそれは』
『言葉通りだよ。この邸の人間総出で探しても無理だった』
『へぇ。面白い』
『……本当にやめておけ。無駄だから』
『やってみないと分からないだろう。ものは試しだ』
三十分後――。
『な。無駄だったろう?』
『――逃げた気配もない。一体どうなってる』
また別の日には、散歩に出た冬瑠を懲りずに探しに行く蒼真を玄関先で見送る夏翔の姿があった。
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