10 黒猫、隠密スキル『水遁』発動
子どもたちのはしゃぐ声を頼りに通りを進んでみると、開けた場所に大きな噴水を見つけました。
ここはどうやら憩いの場となっているみたいです。
噴水を中心とした公園になっていて、ベンチや花壇が整っています。
そのベンチには、お年寄りの方々が腰掛けて寛いでいました。
楽しげな声は、その噴水に集まっている子どもたちのものでした。
何かを手に持っていて、水遊びをしているみたいです。
それが何なのか気になったので、ちょっと近づいてみました。
あ~、あれは竹製の水鉄砲みたいです。
「ねぇ」
子どもたちを見学していると、亜麻色の髪を二つに分けて、途中までを三つ編みにしたおさげの女の子が声をかけてきました。身長から察するに、私よりも三つか四つ年上ですね。
「一緒に遊ぼう?」
「うん!」
楽しいお誘いを断る理由はありません。差し出された手を繋ぐと、みんなの輪の中に連れて行ってくれました。
他の子たちは私よりも身長が高く、みんな年上のようです。
「これ、やってみる?」
私を誘ってくれた女の子が、噴水の水を入れた水鉄砲を貸してくれました。
使い方まで親切に教えてくれたので、早速。
ニタリ。
私に水を掛けてきた、わんぱく坊主にお返しです!
「ああ! 何しやがる!」
「おかえち」
「あんたが頭に掛けるからよ。あははは!」
「ぶははは! おもらししたのかよ!」
「うるせー!」
噴水の水を汲んでいる無防備な背後に忍び寄り、おもいっきりお尻辺りに掛けてやりました。ぷぷ。
今度は標的が変わり、男の子同士の合戦が始まりました。噴水の水まで手が届かない私のために、女の子が水鉄砲に水を籠めてくれます。なんて優しい子でしょうか。
「あなた、どこの子?」
「旅行にきちゃの」
「そうなんだ。もしかして王都?」
「うん」
「だろうと思ったわ。可愛い服着てるもの。え、でも、お父さんとお母さんは? はぐれちゃったの?」
……そういえばそうでした……。
三歳児が一人で散歩なんてしませんよね!
迂闊でした‼
「ううん、大丈夫。近くにいるから」
「ならよかったわ」
凄く……物凄く重要な事に気づいたのですが、女の子の会話で気が逸れました。
さっきまで楽しそうな表情だったのに、その顔が曇ったのです。
「私も王都に行きたいなぁ。ここの領主様、嫌いだもん」
「どうちて?」
「お父さんとお母さんが言ってるの。生活が前より苦しくなったのは領主様の所為だって」
「なんで?」
「よく分かんない。でも、みんな言ってるの。”ごうよく”だとかなんとか」
強欲(?)でしょうか。強欲がどう関係するのでしょうか?
私ではまだ、この国の制度が分からないですね。
父に言えば何か分かるでしょうか。
だけど、他所の領地ですからねぇ。困り事を解決できたらいいのですが。
うぅむ。
「あ、ごめん。あなたに言っても分かんないよね。あなた――」
「おい、もう帰ろうぜ。遅くなったら母ちゃんからまた怒られるぜ」
「あ、そうね」
二人で話しているところへ男の子たちが割って入ってきました。
そうですね、そろそろ陽が傾いてきています。子どもたちがそれぞれの場所へ帰り始めました。
おっと、これを。
「お姉ちゃん、これ!」
「いいよ、それあげる。また作るから」
「ありがとう!」
噴水の向こうからひらひらと手を振ってくれます。
「じゃあね。気を付けてね」
「は~い」
へぇ。これって、あの子の手作りですか。器用ですね。
竹に布を巻いて作ったピストン棒で竹筒から水を押し出す水鉄砲です。
筒に残っている水を噴水に向けて打ち出してみれば、勢いよく飛んで行きました。
さて、私も帰りましょう。
――で……物凄く重要なことに再び気づきました。
散策に気を取られてホテルからここまでの道順を……うろ覚えです……。
迂闊に加えて、おバカです‼
マズいです! えっと、こっちから来たはずです、よねぇ……。
あぁあ……人に尋ねようにも、ホテルの名前が分からないし。
あ、このお店見たことがある。きっとこの通りを帰ればホテルに着くはず。
――あれ?
記憶を辿りながら帰っていたはずなのに⁉
こ、ここはどこですか⁉
どうして私はこんなに迂闊なのですか!
こんな茂みの場所なんて歩いた覚えはないのに、どうしてこうなった!
いつの間にか人も見えなくなったし……。
ホテルは大通り沿いにあったはずなので、とにかく人がいる大きな通りを目指そうと焦っていたのが悪かったのでしょうか。
余計に建物が見えなくなりました!
どうしよう……だぁ、誰か助けてくださぁい‼
精神年齢大人な私ですが、情けなくて心細くて半べそで歩いていたら。
「――首尾はいかがかと」
「問題ない」
お? 誰かの声が聞こえました!
大通りまでの行き方を――と、思ったのに。
……え、この会話……。
この国の知識が少ない私でも、このおじさんたちの会話の内容がさすがにマズい事くらい分かります。
幸運にも樹々が目隠しとなり、相手は私の存在に気づいていないようなので、それ幸いとここから早く立ち去らなければ。
見つかってしまっては……私みたいな子どもは、すぐにでも始末――。
ぷるぷるぷるっ。
怖いことは考えない!
今は逃げることが最優先!
そっと、そっと、抜き足、差し足、忍びあぁあぁ‼
よく思いついたと自分を褒めてあげたいです!
咄嗟の判断で竹製ピストンを竹筒から取り出し、間髪入れずに竹筒をがぶり‼
+++
『もっと可能かと仰っておりますが』
『ギリギリのところで捻出している。さっきも言ったが、それで調べてもらっても構わないと伝えてくれ』
ガサっ。
『――今、足音がしたようですが』
『気のせいであろう。抜かりはない』
ぱしゃん。
『水音?』
男の一人が、さくさくと草叢をかき分けて池のほとり近くから見渡した。
とその時、バサバサっと羽音を立てて、鳥が水面から飛び立っていった。
『なんだ、水鳥ではないか。とにかく、そう伝えてくれ』
『承知しました』
+++
バレませんように! バレませんように!
早く、早くっ! どっかへ行ってください! 後生ですから‼
この池っ、視界悪っ。
藻が! 藻が!
いやぁぁ‼
もういいかい! まあだだよ!
もう、もういいですよね!
よしっ!
”池の中から”顔をそっと出し、傾斜がついた岸に生える水草を手繰り寄せて、池から這い出して脱出しました。
耳を澄ましても話し声は聞こえません。
そっと体を起こして草の陰から覗いてみれば、おじさんたちはどこかへ向かっていました。
ひぃぃ~~! 間一髪! 命拾いしました!
水音を立ててしまったから見つかるかと肝を冷やしましたが、ウキクサがびっちり蔓延っていたので私の姿は見えなかったのかもしれません。
おぉおぉ、体がぶるっと震えちゃいました。
お姉ちゃん、ありがとう! 貴女の水鉄砲のお陰で九死に一生を得ました!
竹筒をシュノーケル代わりにして難を逃れましたよ‼
「うぇぇ。気持ち悪っ」
足や腕や服にへばりついたウキクサを取り去り、ずぶ濡れになってしまった服をとりあえず絞りました。
うん、臭い!
こうしてはいられません。日が暮れ始めて徐々に薄暗くなってきています。真っ暗な茂みを歩くなんて怖いですよ……。
兎にも角にも早く帰らないと。
おじさんたちが去っていった方を目指して行けば、きっと人がいる通りが見つかるはずですよね。
遠くなってしまった姿を見失わないよう、後をつけたいと思います。
……なのに……ああっ、なんでこんなにおバカなんでしょうか‼
尾行どころか、姿を見失ってまた迷子です!
他に逃げ道がないかと探しながら歩いていたので、いつの間にか見失ってしまいました。余計な事をしたばかりに……。
仕方ないので、自力で探すしかありません。
お?
門を発見しました!
誰もいない大きな門に向かって走り出し、そこを通り抜ければ。
建物が見えました!
草木が綺麗に整えられた場所に建っている大きな建物の脇を抜けてひた走っていると、前方に塀が連なっているのが見えますが、門などは無く、広い道の幅分だけぽっかりと途切れています。その先に見える光景は!
やったぁ! ここは大通りみたいです!
きっとこの道を帰れば、ホテルに着けるはずです!
私は意気揚々と走りだし、馬や馬車に轢かれないよう注意を払いながらひたすら直進していると。
「お父しゃま!」
「冬!」
感動のフィナーレ!
奇跡って、こんなに何度も起こるものでしょうか?
いいえ、起きていいんです!
ホテルの脇に停めていた我が家の馬車の傍に、父と馭者の和馬おじちゃんが佇んでいたのです。
父に飛びつくと、急いで抱え上げて抱きしめてくれました。
和馬おじちゃんも吃驚眼です。
「ずぶ濡れじゃないか。どこへ行っていた」
「そうですよ、お嬢様っ。一体何があったのでございますかっ」
あ、感動の再会ですっかり忘れていました……。
「えっと、池ぽちゃしまちた」
「なんだと。池に落ちたのか?」
「よくぞご無事でっ」
「お母しゃまが心配ちましゅ」
「そうだな。すぐに風呂へ」
「心配かけてごめんなしゃい……」
「無事ならそれでいい」
私を抱えた父が急ぎ足でホテルへと戻っていきます。
ホテルの従業員さんも吃驚眼で、何があったのかと気遣ってくれました。
お騒がせいたします……。
母が私の今の姿を見れば卒倒するからと、ありがたくも従業員さんが使うシャワーを借りて、父が泡ぶくにして身体を洗い流してくれました。
「ほら。これに顔を入れて、おめめをパチパチしなさい」
「はい」
衛生的に問題ありそうな池の中で目を開けちゃいましたからね。洗面器に顔を沈めてパチパチ。うがいも何度か繰り返し、お風呂完了です。
……お父様。夏兄様の頭を、こんな強い力で拭いているのですね。背中まで伸びてきた髪が鳥の巣状態ですが……。
見兼ねた従業員さんが、若干苦笑いで髪を整えてくれました。
お風呂で身体を流している間、池臭漂う身に着けていた服や靴はすぐに洗濯してくださいました。濡れてしまった父のシャツは、綺麗に仕上がっていたのです。
私の服はまだ湿っているので、ふわふわのバスタオルでくるんで、父が抱っこしてくれました。
快く手配してくださった従業員さんたちにお礼を言って、父が部屋まで抱えて運んでくれます。
そうでした。重要なことを伝えないと。
「お父しゃま」
「何だい?」
「よくないお話を聞きまちた」
「そうか。部屋に戻ったら聞かせてくれるかい?」
「はい」
そうですね。誰が聞いているか分からない通路で話す内容じゃありませんね。
部屋に到着すると。
「まあ、冬ちゃんっ」「よかった……」
「あら、その恰好はどうしたの?」
「泥んこになっていたから、シャワーを借りてきたのだよ」
「……どんな所で遊んできたんだい?」
母と夏兄様が呆れ顔で、それでいて心配していた感がありありと分かる疲れたお顔で私を撫でてくれます。
……度々申し訳ありません……。
「心配かけてごめんなしゃい……」
「いいのよ。楽しかったのね」
「はい。これ、もらいまちた」
「あら、なあに、これは」
「みじゅてっぽうでしゅ」
「へぇ。竹で作っているのか。ここに水を入れるんだね」
「はい。よく飛ぶの」
私の洋服類を運んでくれた和馬おじちゃんが部屋を出ると、父が話を聞かせてくれと、私を抱っこしたままソファに腰掛けました。
「それで、良くない事って何だい?」
「一緒に遊んだ子、みんな領主しゃまが嫌いって言ってまちた。しぇいかつが苦ちくなったって」
街の子の話や、悪いおじさんたちの会話など、見聞きしてきた事を伝えました。
一緒に話を聞いていた母と夏兄様も表情が硬いですね。
「……そのおじさんたちのお話は、どこで聞いてきたのかしら?」
この質問に答えるのが一番難しいのです。どこなのかさっぱりですから。
池ぽちゃの事は、父と和馬おじちゃんと三人の秘密なので明かさないで。
「えっと。木やくしゃがいっぱいでちた」
「いやまさかそんな……う~ん……」
夏兄様が何やら唸っていますが、どうしたのでしょうか?
「そこからどうやって帰ってきたんだい?」
「おじしゃんたちの後を追ったの。でも、また迷子。門をみちゅけて、道に出たのでしゅ」
「え、門に人がいなかったかい?」
「ううん。いなかったでしゅ」
あれ?
夏兄様が、いいえ、父も母も一時停止して、ちらちらとお互いを見ています。
どうしたのでしょうか?
「話は分かったよ。そろそろ夕食だ。それまでに着替えないとな」
「はい」
「冬ちゃん。ほら、着替えましょうね」
母が父の腕から抱え上げてくれ、トランケースがある寝室に連れて行ってくれました。
歩き回って足も疲れたし、お腹も空きました。
今日の夕食は何でしょう。
※ ※ ※
翌日はホテルを出発して、予定通り夕方頃に私邸へ到着できました。
初めて会った祖母は、夏兄様が言っていた通りおっとりした人で、優しいお祖母ちゃんでした。
久しぶりに会う孫たちのためにと、祖母は贈り物を用意してくれていました。
夏兄様には、カッコいい万年筆を。
私には、お祖母ちゃんお手製、黒猫モチーフの手編みマフラーと手の甲側に猫耳の飾りが付いた手編み手袋でした。
これからの季節に重宝します。どちらも可愛いです。
――でもです。私ってそんなに黒猫のイメージなのでしょうか?
それはともかく、ありがとう、お祖母ちゃん!
で、ここもかなりの敷地を有していて、私邸は王都のお邸と違って歴史を感じる石造りかと思いきや、外装が石造りなだけの鉄筋コンクリート建築なのです。内装は石造り感が無かったので聞いたら、父がそう教えてくれました。
歴史ある建物なので電化製品はどうなんだろうと思っていたら、改修工事をして現代的な設備が完備されていました。こちらは歴史的建造物を保存するために建て替えないそうなのです。
そして、私邸の正面広場の正門に隣接する建物は領主館というらしいのですが、内政に従事している沢山の人たちが働いているそうです。
私邸の裏庭は正面広場よりももっと広く、王都の邸とは趣の違った庭園もあるらしいので、お散歩好奇心がむくむくと。
ですが、昨日心配を掛けたばかりなので、ここにいる間は自粛しました。
祖母が話してくれる父の幼少期の事など聞いていると、時間はあっという間に過ぎていきましたし。
領地滞在は僅か二日間でしたが、楽しい時間を過ごしました。
耳学問の豆知識:水遁の術。
遁とは、逃げるという意味があり、水遁の術は竹筒を使って水の中に身を隠して追っ手から逃れる術だそうです。