L'épisode
~閑話、それぞれの意志~
~テオの場合~
アクセサリーショップ、マギアとセシリアが帰った後一人の老人が椅子に座り休んでいた。3月のまだ涼しい気温の中それでも彼は額いっぱいの汗を掻き冷えた水を一気に飲み干した。
「ご苦労様ですテオ会長」
「今はただの店主でしかないよミシェル君」
紳士服を纏った二十後半くらいの眼鏡の男、ミシェルと呼ばれた男はピッチャーから水のお代わりを注ぎテーブルの上に置く。
「お戯れを……」
「しかし初心に戻る事は大切だミシェル君。久しぶりにハンマーを握ったが腕は訛っていない、どうも迫る年にはかなわんと思っていたがまだまだ現役だぞ私は。それに面白い人物に会えた、今回わざわざはるか遠くこのイーランド王国まで来た甲斐があったさ」
「あのマギア・ドゥミナスとセシリア・フェアフィールドとか言う小娘ですか?」
「こらこら、お客様だぞお二人は。呼び捨ては感心せんな」
ふぉっふぉっふぉと笑うテオの目は決して笑ってはいない。それは年長の威厳とはまた違う長年人の上に立つ者のカリスマの様なものだった。しかしその言葉に眼鏡をクイッと上げてミシェルも反論、
「例えばテオ様の様に才能がある者には最善の敬意を払い着いても行きましょう。しかしあの二人、調べましたよ、フェアフィールドは学校の魔法では圧倒的な実力で主席。名声こそ今はありませんが才能と実力は一流、将来的にこのまま順調に成長すれば我が国最強の魔法使いララ殿をも超えかつての四英雄の一人、ナターシャ・ステイプルソンと同格までは問題なく強くなりましょう。もしかしたらデルタビール連合国の今は亡き伝説の魔導士、ラファエル・リュック・オゾンに匹敵するかもしれません。しかしマギア・ドゥミナスはどうでしょう?」
「彼女は女神の生まれ変わり、現人神とも呼ばれているぞ?」
「噂には尾ひれが付くものです、民衆は噂が大の好物ですから。しかし蓋を開けてみたら果たしてどうでしょう?私の入手した情報だとクエストに赴く際も大量の薬草とポーションを持参したとか?回復魔法を使えるのなら必要ないでしょうに」
「その考えは安易だミシェル。魔法が使えても備えを準備するのは優秀だとは思わないか?それに実際ドゥミナス様は魔法が使えた。私の前でリングに癒しの魔法を込めたからな。そこから推測するに彼女は魔法が使えないのではなく使えない理由があったのだろう」
「フム……テオ様が仰るのなら間違いないでしょう。私の愚申、申し訳ありません」
「構わんさ。ある程度疑り深い方が人は成功する。それに私の考えも絶対ではない、この地位まで登ると誰も意見をせん……悲しい事だ、元は身内もいない孤児院育ちのクソガキだというのに」
ため息一つ、しかしその口元は少し緩む。
「ところでミシェル、頼んでいた仕事はどうだい?」
「はい、勿論全て終わらせています。そうぞこちらを」
渡されたスクロールを広げ物思いに耽る。そして全てに目を通したのかスクロールを机に置き眉間を指で解しながらゆっくりと立ち上がる。
「やはりエリゴール四世は戦争を再び始める気か、それで十年前にあのような悲劇が起きたと言うに……ミシェル」
「なんなりとご命令を」
「今すぐここイーランド王国、首都アルローズ店の店じまい。そして故郷、アコン帝国に帰る準備を。ここにいては所詮私はかつての敵国アコン帝国の出身、このままここに留まれば戦が始まれば徴収は免れない。未来への投資なら兎も角エリゴール四世のような戦争狂に払う金は持ち合わせてないわっ」
「イーランド王国からの撤退は現在順次、行っています」
「仕事が早い……本当に君は優秀だ、私には勿体ないな」
「テオ様に、比べればまだまだです、それにテオ様には私が幼少気を過ごした孤児院に多大な寄付を頂いた。今の私がいるのはテオ様のおかげですから」
「私も孤児院出身だからね……辛さは痛いほど知っている。それに打算が無かったわけでは無い、君のような優秀な者が少しでも恩を感じて仕事を手伝ってくれればと、ね」
「孤児院への寄付、更に仕事も頂けるなんて私は幸せ者です」
静寂の中に響く二人の笑い声、その中に含みは無く大人のものとしてはとても珍しい純粋なものだった。
「それでは私は仕事に戻らせて頂きますテオ様、いえ……テオ・ブランカ辺境伯。失礼」
「ああ宜しく頼んだ」
一人になった部屋の中でテオは一呼吸、汗をタオルで拭いてから立ち上がり汗で乱れた髪を整え治す。
「我が祖国の為にはるかイーランド王国の偵察に来たがいやはや……最大の収穫はあの二人に会えた事だったな。二人とも聡明で賢い、祖国への愛ゆえに戦争に加担するような方ではないだろう。それに孤児院育ちの二人だ、人が亡くなる事、武器を持つ事の意味をきっと分かっているはずだ」
髪を整え終えマキ暖房の火で葉に煙を焚き一服。上を見上げた後大きく息を吐く。
「体に悪いと分かっていてもこれはやめられんな。これまで必死に働いて来たんだ、これくらいの娯楽は許されるだろう……さて、私も片づけをしようかな」
テオは部屋を出て再びその場には静寂が戻った。
~リッカリオの昼下がり~
時間が経ち今は昼過ぎ。一日がかりのクエストを受注した冒険者や学生がギルドを出て行き学校の中に設立されたギルドの喧騒も一端の落ち着きを取り戻していた。中に残っているのは数人の受付嬢とちらほら見受けられる冒険者。皆が一息つく中で従業員専用の二階から一人の男が下りて来る。
白髪の混じる茶髪のオールバックに青いギルドスーツを着込んだ男性にしてこのギルドの長、ギルドマスター、リッカリオだった。昼食を取る為に上階から下りて来たが彼は多忙の身、残った仕事を振り分ける為にいくつかのロールを受付嬢の前に置いた。
「皆ご苦労、順次昼休憩に入ってくれ。ところで幻日君の姿が見えないが……ヤーシャ君、彼女は今日当番だったと記憶しているが?」
「知りませんよ、ギルドマスターの命で明日からリリール村でのクエストの為に準備すると言って帰りましたよ。リッカリオ様の命ではないのですか?」
ヤーシャ、彼女はベテランのギルド役員で受付嬢のリーダー。実質ギルドのナンバー2だった。
「ん?そんな事は聞いていないし話していない。また勝手な事を……だが彼女が勝手行動しても悪い方向には転びはしないだろうな、彼女は優秀だ」
「そうやって甘やかすから勝手をするんです。まあ明日は彼女非番ですから構いませんが……リッカリオ様からも叱って貰わないと困ります。第一、彼女の実績とは?優秀ですが特別実績を残してはいませんよね」
「ん?そう言えば……無いのか?はて……だが記憶の隅に残っているこれは何だろう、優秀な受付嬢がいなかっただろうか?ここにはかつて。その彼女が幻日君と混ざっているのか?」
「皆、優秀な受付嬢です。しかし貴方が褒めるのなら頭一つ抜けているのでしょうね、しかしリッカリオ様、残念な事に私にはその記録がありません。失礼ですが寝ぼけておいでですか?歳でしょうか」
その棘のような言葉にリッカリオは困った様に笑った。
「ははは、君からしたら歳かもしれんがボケたとは思いたくは無いな。それに私は都苦労したから白髪も増えたがまだ四十だ。それにしても相変わらず君はきついね」
「貴方にだけですよ。忙しい中一息やっとつけたのにアホな事言いだすからです。なんなら連れて来てください、その優秀な女性を」
「私は寝ぼけていないしボケてもいない。じゃああの娘は……本当に覚えていないか?冒険者としても特別強く受付嬢としても……いやいい。とにかく順次休憩を取りたまえ。私は昼食ついでに幻日君の家に寄ってくる。流石に勝手が過ぎるからな」
「分かりました。しかし幻日ちゃんは自由人ですがあれで可愛いし受付嬢としてもギルド員としても優秀です、それにギリギリですが違反は犯していない。はっきり言いますがそれが原因で幻日ちゃんにギルド辞められたら痛いですから。昔は彼女がいたから……彼女?」
自分の言葉に戸惑ったヤーシャは眼鏡を外して目元をもみ疲れをほぐす。
「はぁ……、私もリッカリオ様に毒されてしまったようです。先に休憩頂きます」
「私のせいにするな。ゆっくり」
王国の首都、それに王城の近くに設立された学校の昼下がり。人で溢れかえった中央通りの中を器用に避けながら正門を出て学校前の長い下り道をゆっくりと下る。
3月も中旬、もうすぐ学校最初の学生が卒業して新たな生徒が入ってくる。そのサイクルの中でギルドにも新しい風が入ってくる。
「この歳にもなり今なお気が高揚するなこの仕事は」
暖かい風の中リッカリオにしては柄にも年甲斐も無く鼻歌交じりで街を下って行った。
~幻日の憂鬱~
イーランド王国、首都アルローズの外れ。そこに小さいながら綺麗な一軒家が建っている。それはこの町で主流のレンガ造りでは無く木造造りの所謂バンガローと言われる建物だった。その家の中、オリエンタルなハンモックに揺られて数枚の紙から出来た資料を眺めている少女。その綺麗な紙はこの国で作られた……いや、この世界で作られるどの紙よりも精巧で白く光を反射して輝いていた。
「グリフォン討伐かー、Cランクの冒険者四人でマギアさんとセシリアさんは実質Aランク相応。それに私が同行、か。亜種や強化種でもないのにたかがグリフォン一匹に五人……普通に考えたら過剰戦力だよねー、普通に考えたら」
ハンモックから下りて資料を机に置きタオルを巻いて乾かしていた髪を下ろして棒アイスを食べ始めた幻日。
「お風呂の後のアイスはやっぱいいねー、本当はコーヒー牛乳が良いけどここには持って来れなかったしがまんがまん」
再び書類に目を通し穴が空くほど凝視するが説明になんら不振な点は見当たらなかった。
「……当然の事だけどマスターの作成した資料に間違いなんて絶対にありえないし……でもこの資料は情報が少ない。ならそれ以上を汲み取れって事だよね普通に考えて」
幻日はガラスのテーブルに資料を広げて今以上に必死に舐める様に目を通していく。
「探せ、探せっ。グリフォンの討伐の意味っ。場所はイーランド王国西の外れ、デルタビール連合国との国境付近のリリール村。近くには悠久の洞窟……」
そこまで言葉に出して詰まる、若い脳細胞を必死に働かせすべての可能性をしらみつぶしに。
「あの時悠久の洞窟の先は汎用型戦闘兵器、『色彩』型の一体、紺瑠璃によって異世界の迷宮へと繋がっていたはず。そもそも大前提としてグリフォンは悠久の洞窟を住処にしているけど地上の環境は適していないからまず出てくることは無いのに……なら可能性としては」
テーブルの上に広げられた資料のうち一枚、そこに書かれていたのは、
『今回のクエストのグリフォンは悠久の洞窟を住処としていると思われる』
「悠久の洞窟産……グリフォンは人の住まない秘境や未開の地には比較的生息している……だけどそれは単体で生息している事が多く地上はグリフォンの生息に適していないから比較的弱い。悠久の洞窟のグリフォンなら強化種種で尚且つグリフォンは一体と決めつけられるだろうか?あり得ない、ギルドの情報を鵜呑みにしすぎだったなー。いや待って……事態はそんなに簡単じゃない。グリフォンが住処の洞窟を出て来ているんだ、何かが起きている可能性が高いよ、異変が起きた理由が分からないと根本的な解決にならないし。グリフォン住処から逃げるような異変……グリフォンが住処を追われているのだから洞窟に何かが起きている……いや、グリフォンが逃げる強敵がいる可能……あの時あの洞窟にいた可能性があるのは……異世界の迷宮で戦い敗れ逃げたのは……」
あくまで一つの過程の話、それでもその可能性に幻日は青ざめていく。
「悠久の洞窟にいるのは……死神っ!」
意味も無く部屋の中をうろうろと歩きその綺麗な髪をぐしゃぐしゃかき乱し、それでもじっとしていられない。幻日の緊張と焦りは頂点に上り詰めていく。
「どうしようっ!グリフォン複数なら強化種でも勝てるかもしれないし最悪逃げる事も出来るかもしれない、でも万が一にも死神に遭遇したら……全滅は免れない。ならリリール村には申し訳ないけどクエスト自体の白紙化……でもそれじゃマスターの意に背くことになる、それだけは絶対に駄目ッ!落ち着いて私、どうすれば……」
椅子に座り込んで頭を抱える幻日、その額には一筋の汗が流れる。
~???~
「はてさて……久しぶりの地上ですがここは何処でしょうか?」
お洒落な貴族の服、しかしそれは全体的にボロボロで左腕部分はそこだけ丸ごと破られた様に無い。それを除いても全体的に汚れていた。綺麗な白い髪を靡かせた二十代後半と見られる若い男は服に付いた埃を払う。頭に被っていた羽根帽子は元の色が分からないくらいに白く汚れている。
「あーあ、洞窟で降ってきた埃で真っ白ですよコレ……それ以前に筋肉馬鹿のせいでこの有様。お気に入りでしたが捨てるとしましょう」
空高く投げられた羽根帽子は風に乗り遠くへと消えて行く。それを見てから男は少し笑い、
「どうせならこの服も着替えましょう、どうも動きにくいですからねぇ……はい、着替えますよー集合ー」
首をおかしい角度に傾け狂気染みた笑顔。そのまま手をパンパンと数回叩くと白い光の玉のようなものが出現、次の瞬間その光の玉は数体の二頭身ほどの可愛らしい妖精になったかと思えばキイラキラ光る魔法で彼の服をみるみる別の物に変えていく。そして全てが終わったかと思えば再び白い光の玉に戻り儚く消えて行った。
「ククク、やはりこれがしっくりきますねー、こんな中世みたいな低文明な場所に合わせて着替えるのは私らしくないじゃないですかホントホント。やだやだ」
…………、
「…………」
周りには誰もいない、その場所での独り言に傾けた顔で作った狂気の笑顔で冷静になり黙り込む。
「私も随分と独り言が増えたものですねぇ……寂しい事ですククク。このままでは寂しくて死んでしまうので適当に有象無象の集まる場所でも目指しましょう。そもそも此処が何処か分からないと動きようがない」
漆黒とも呼べるレザーグローブの紐を反対の手と口でしっかりと締めなおした。
「この世界にも殺し甲斐のある奴等がいる事を祈りましょう、かつては人類最凶と言われたこの私を楽しませてくれる相手を。せめて筋肉馬鹿程度の者がいると良いのですが、クククク……」
黒いスーツに着替えたオーウェンと名乗った壮年の男は険しい山岳部をゆっくりと下って行く、その背中には黒と紫を基調とされ刃と柄の間には魔力の籠った深紅の宝玉が埋め込まれた鎌、それはオーウェン以上に禍々しいオーラを放つ。
この物語のカギを握る男、オーウェン・ディヴァインウインドが動き出した瞬間だった。