第3灯
Y県 月光館 2016年10月22日 午後2時30分~
玄関ホールから正面左側の階段を上った廊下の突き当りが彼女の部屋だった。
部屋の中は予想していたメルヘンなお嬢様の部屋とは違って、一般的なベッドとクローゼット、簡単な鏡台があるくらいの部屋だ。まぁ、別荘なんだし当然だったか。
「ごめんね。榎本くんだけ呼び出しちゃって」
「いや、いいんだ。でも、どうしたの」
ベッドに腰掛けた彼女を、入り口の前に背を向けて立ったままの俺が見下ろす形になっている。なんだか気まずい距離感。
「一応、今のうちに本物を見てもらっておこうと思って」
「へ?」
期待しちゃだめだぞ、本物って?!
「例の脅迫状を」
(あ)
「そ、そうだよね」
馬鹿だ、死にたい。
「榎本くんに相談した時に見てもらったのは本物じゃなくてコピーでしょ。原本を見たら何かわかることもあるかと思って」
そう言うと彼女は机の中から一枚の封筒を取り出して俺に手渡す。
通常の大きさの白い洋封筒。宛名は彼女の母親である多賀城明。裏面に差出人の名前はなし。事前に聞いていた話では、自宅のポストに直接投函されていたとのことだった。
「じゃあ、ちょっと失礼して」
若干、糊の感じが残る封筒を開けると便箋が一枚入っているのみだった。丁寧に折りたたまれたそれを開く。
多賀城 明 サマ
今年モアノ館デ開カレル集イ
遊戯ダッタノハ昨年マデ
招カレザル客ハ招カヌコトニ限ル
虚構ハ現実ニ
現実ハ虚構ニ
我ハ正義ノ執行人
月ガ満ル晩
オ前ハ自ラノ罪ニヨッテ
裁カレルダロウ
集イハ然ルベク実施サレタシ
「やっぱり、定規文字だし、筆跡を割り出すのは難しそうだね。それと、やっぱりお母さんには見せてないの」
「うん。お母さん、毎年この会をすっごく楽しみにしているの。だから、中止にはしたくなくて。だから、何も起こらないように榎本くんたちに犯人を見つけ出してほしいの。もちろん、こんなのただの悪戯だとは思うんだけどさ。でも、万が一のことがあったら――」
「大丈夫。満希ならきっと謎を解いてくれる。俺も、できるだけのことはするから多賀城さんは安心してよ」
「うん、ありがとう。あと、灯でいいよ。実はね、多賀城って呼ばれるの嫌いなんだ。お母さんが―――ほら、有名だから。それで近寄ってくる子も多いの。でも、私は私のことを好いてくれる人と一緒にいたいからさ。だから、信頼の証も込めて榎本くんには名前で呼んでもらえると嬉しいな」
「う、うん」
思わぬ告白に、俺は首を縦に振る以外の反応が上手にできなかった。
封筒は俺が預からせてもらったから、あとから満希とも一緒に見ておかないといけないな。「ひらめき屋」なら何かがわかるかもしれない。
「じゃあ、そろそろみんなのところに戻ろっか。お母さんも帰ってくるだろうし、あの二人に変な噂されちゃ困るしね」
なんだ、ちゃんと聞こえていたのか。
談話室に戻ると烏丸が姿を消していた代わりに恰幅の良い六十代ぐらいの男性が満希とてまりと共にテーブルを囲んでいた。
「あ、お二人さんおかえりなさーい」
椅子に座ったままのてまりが手を振って俺と灯の帰りに気づいててくれた。
満希は、その、なんだろう。居心地が悪いのかいつも以上に小さく見える。
「どうもどうも、明ちゃんの娘さん、ええと、灯ちゃんだったね。いやぁ、大きくなって」
そう言って頭に乗っている帽子をちょこんと上げる。
「あ、はい。もしかして、小説家の」
「えぇえぇ。こんな老いぼれを覚えていてくれただけで嬉しいよ。ほんとに小さい頃に数回会ったきりだったからね」
「母からは何度もお話で伺っていました。権田先生のおかげで私は有名になれたんだって」
「ほうほう、それは光栄だ。私も明ちゃんのおかげで今の悠々自適な生活があるといっても過言ではないからね。感謝はお互い様ですな」
そういって権田は立派な白髪の顎鬚をさする。
「えっと、この方は―――」
完全に乗り遅れた俺が、誰にともつかない形で空中に質問を投げると、灯が代表して答えてくれた。
「あのね、権田先生は小説家なの。ほら、あの「灰色の手袋シリーズ」。榎本くん呼んだことない?」
『灰色の手袋』シリーズならよく知っている。その名の通り、灰色の手袋をはめた女性検死官が遺体に残された痕跡から真犯人を割り出す、ドラマ・映画化までした科学捜査ものの推理小説だ。確か作家は元医者だったような。
「ああ、もちろん知ってるよ。大人気作家だもん!確か、ドラマ版の主人公ってーーー」
「そう、お母さん。あれで、一気に人気が出たの」
「でも、確か作者の名前って…そう、京田 元ノ助じゃなかったっけ」
そこまで俺が言ったところで満希が不意に口を開いた。
「アナグラムだよ、灯哉」
すごーい、と隣でてまりがはしゃいでいる。また仲良くなったのかこの二人は。
「ほほう、よくわかったな満希くん。そう、わしのペンネームが京田 元ノ助。そして、本名は権田恭之助。まぁ、簡単なアナグラムか。そんなわけで、改めて小説家の権田だ。よろしく頼むよ、ええと」
「ああ、榎本灯哉といいます」
「うむ、灯哉くんだな。よろしく」
一通り、全員の自己紹介が終わったところでタイミング良く扉が開き烏丸が顔を出す。
「皆様、ご歓談のところ失礼いたします。奥様がお戻りになられまして、皆様にご挨拶をなされたいとのことでしたのでグレート・ホールへお集まりください」
「なぁなぁ、グレート・ホールってなに?」
いつの間にか俺の横まで来ていた満希が少し背伸びして俺の耳元で小声で聞く。こういうかわいいところを他ではあんまり見せないからなぁと思いつつ答える。
「グレート・ホールっていわゆる食堂だよ。ほら、あの貴族とかがめっちゃ長いテーブルでご飯食べてるでしょ。あの部屋のこと」
「ふぅん。なるほどな」
そう言うと満希はまた、てまりと権田の輪に戻る。お礼ぐらい言えっての。
「それじゃ、行こっか、灯哉くん」
不意にポンと灯の手が俺の肩に乗る。
「う、うん」
満希からの粗暴な扱いすらどうでもよくなる。灯に下の名前で呼ばれた上に、ボディタッチまで!期待していいのだろうか。これは。無駄に早鐘を打つ心臓を何とか抑えて、烏丸に続いてグレート・ホールを目指す。ホールは談話室とちょうど対になる場所に位置していた。
中に入るとまだ晩餐の時間ではないためテーブルの上は燭台が乗っているだけだった。
「それでは、みなさんのそれぞれお席をご用意してございますので、お名前を確認の上ご着席ください」
俺と満希は向かい合う形で席になっていた。右側にてまり、左側には名前は書いてあるもののまだ来ていない客人のようだ。満希の右側は権田、左側には灯が座った。よくお誕生日席と呼ばれる上座は本日の主催者である多賀城明氏の席だろう。
「あ、降ってきたね」
不意にてまりが声を出す。窓の外を見ると、雨が降り出していた。
「そういえば、夜にかけて強くなるって予報で言ってたっけ」
灯が相槌を打った時だった。勢いよくホールの扉が開けられる。
「遅れてしまって申し訳ない!渋滞にはまりましてな」
ずぶ濡れで全員の視線を一身に集めながらぜーぜーと息をする男性。
「ああ、要様ですね。よかった、お待ちしておりました。まだ大丈夫ですよ。いま、タオルをお持ちします」
すっと駆け寄る烏丸。プロの動きだ。
「ああ、すまないね。これ、荷物も頼んだよ」
「かしこまりました」
ひとしきり体をタオルで拭った後で、彼は俺の隣に着席する。
「遅れてしまってすまない。私は要 隆次郎だ。東京で芸能事務所のマネージャーをしている。ああ、穂積ちゃんご無沙汰だね。きみも呼ばれていたのか」
「ええ、お久しぶりです。多賀城さんはとは仲良くさせて頂いていたので」
てまりは要とは知り合いなのだろうけど、やけに他人行儀な話し方をする気がする。
「そうかそうか、にしても今年は参加者が若いねぇ。骨のあるゲーム大会になるといいんだけどね」
なんだって?ゲーム大会?そんなことは、灯から一言も聞いてないぞ。
「ゲーム大会ってどういうことですか?毎年この館では何が開かれていたんですか?」
たまらず俺は要に尋ねる。要は嬉しそうに口角を上げる。
「なんだ、何も聞かせてもらえてなかったのか。キミら見たところ中学生かな。ああ、かわいそうに、引き返すなら今のうちだよ。とはいえ、この雨だとしばらくこの館から出るのは難しそうだけどね。せいぜい心してかからないと。なんたって、これから僕らが参加するのは命を懸けた殺し合いなんだからね」




