第10灯
Y県 月光館 2016年10月23日 午前9時~
「おはようございます」
着替えを済ませてグレート・ホールに向かうと、すでに権田と多賀城親子、要がすでに朝食をとっていた。
「あれ、満希は来てないですか?」
朝起きると、ソファに満希の姿なくてっきり先に来ているものだと思っていたのだが。
「ああ、満希くんならご飯もう食べて館の中を見て回りたいって館内散策してるよ」
灯が教えてくれる。そういうことか。
席に着くと、烏丸が朝食を運んでくれる。パンに卵焼きにソーセジとスープ。一般的なホテルで出る朝食のようだったが、それのどれもがこだわったものを使っているのだろう。非常においしかった。
「ごちそうさまでした」
「今日は、推理会が3回もありますわ。ぜひ、他の皆さんの推理も聞かせてもらいたいので頑張ってくださいね」
明は昨日と変わらず快活な様子だ。
しばらくして、灯がてまりの不在に気が付く。
「そういえば、もう9時過ぎだけどてまりさんどうしたんだろう。あたし、見てくるね」
そこから、灯の悲鳴が上がるまで数分となかった。
全員がグレート・ホールから駆け出し、玄関ホールから向かって右側の階段を駆け上がる。上がり切った正面がてまりの部屋だったはずだ。彼女の部屋と思しき部屋のドアは開け放たれていた。
「どうしたの、灯」
明が部屋の前に座り込む灯に声をかける。
「あ、あれ、てまりさんが…」
部屋から目を背けたまま中を力なく指をさす灯。
覗き込むと、そこにはてまりが仰向けで寝ていた。純白だったベッド自身の血液で真っ赤に染めて。胸には誇らしいまでにも堂々とナイフを突き立てられてた状態で。
「うっ」
思わず、食べたばかりの物がこみあげてくる気がして俺も一歩下がる。
「ちょっと、君たちどいてくれ」
権田がてまりに近づく。
「ちょっと、権田さん触っちゃだめだ」
後方で不意に声がして振り向くと、満希がいた。息が上がっているところを見ると、悲鳴を聞いて飛んできたんだろう。
「現場保存だ。推理小説家のあんたなら聞いたことくらいあるでしょ」
「ああ、分かっている。でも、私は小説家である前に元監察医なんだよ。だから、大丈夫だ」
胸ポケットからゴム手袋を取り出すと、それを身に付けてまりの様子を確認していく。
部屋の入り口から入ることが許されないおれたちは、権田の声を待つしかなかった。
権田がこちらを向いて、力なく首を振る。
「そんな、てまりちゃんが…くそ!事務所に電話してくる」
要が携帯電話を取り出しながら階下に下っていく。
「ん、なんだこれは」
権田がてまりの半開きの口を開けて、口から紙切れのようなものを取り出す。
そして、広げて読み上げる。
「なになに、『宴ははじまった。犠牲をいとわず、続行せよ。さもなくば、皆死ぬことになる。我は正義の執行人なり』なんだこれは」
「つまり、人が死んでもこの会を続けないと、また人が死ぬぞってことかよ」
満希がつぶやく。
「そんなのどうかしてる。人が死んでいるのよ。早く、警察に連絡しないと」
灯が悲鳴にも近い声を上げる。
「いや、できないよ」
要だ。
「携帯は圏外でつながらないし、昨日から降り続けているこの雨だ。ここは完全に陸の孤島だよ」
「じゃあ、どうしたら…」
灯がしぼんでいく。
「固定電話があるわ」
「残念ながら奥様、そちらも完全に使えなくなっておりました」
烏丸が確認に行っていたのだろう。申し訳なさそうに答えた。
「そんな・・・何か外部と連絡を取る方法はないの」
「この状況ですと、現状では何も…。少なくとも雨が上がらないと」
烏丸の答えは十分に絶望的だった。そして、満希が空気を読めずとどめを刺した。
「続けるしかねぇってことかよ、この集いを」
沈黙が一同を包み込んだ。
てまりの遺体をシーツで包んだのち、明が気分がすぐれないと言って自室に引き上げた他は、談話室でまとまって過ごしていた。話題はもっぱらてまりがなぜ殺されたのかということだった。
「推理ゲームは解決に終わったし、ゲーム的にはてまりさんは生きているはずだったのに」
灯が不安そうに声を上げる。第一発見者であるにもかかわらず、思考がしっかりしている。さすがはあの母親の娘といったとこなのかもしれない。
「うーん、ゲームの結果は関係ないのかもな。犯人は殺したいやつを殺す。それだけの可能性もある」
要がいつになく理性的に分析をしている。事務所の稼ぎ頭である彼女が殺害されたというのに、驚くほどの落ち着きぶりだ。
「あのー」
満希がそんななか不意に手を上げる。
「どうしたの満希」
「んっとさ、犯人ってこの中にいるんですかね? 権田先生とかどう思います? 推理小説家として」
何を言い出すかと思えば、まったく彼は空気を凍りつかせる天才か。
「核心をついてくるんだね、君は。私はね、犯人はきっと外部にいるのではないかと思っている。昨晩のあの停電に乗じて屋敷に忍び込んだ時の姿が、私が目撃した人影ってことであれば説明がつく」
「ってことは、権田先生は犯人が今もこの館の中にいると思っているんだ」
満希はやけに挑戦的だ。
「ああ、だからこそ我々がここに固まっていれば殺される心配もない。皆もそう思ったから集まったんじゃないのか?」
「んま、そんなところだな」
要が顎をさすりながら答える。烏丸は部屋の隅に立ったまま動かない。
「なるほど・・・そうしたら、この館に俺たち以外の誰か、第三者がいるかどうかの検証から始めないといけないな」
満希がぶつぶつと独り言を始めている。「ひらめき屋さん」が動き出しいている証拠だ。
「あの、烏丸さん」
俺はふいに質問を投げ掛ける。これも満希の代わりなんだ。
「はい?」
「変な質問なんですけど、この館に俺たち以外に人間はいますか?」
「いいえ、私が把握している限りではこの場にいらっしゃる皆様と奥様以外にどなたかがいらっしゃるということは存じ上げておりません」
「そうですか…」
「そんじゃあ、人間以外ならいるんですか?」
「え」満希がした、そのぶしつけな質問に烏丸は呆気にとられている。
「いや。冗談ですよ」
力なく笑う烏丸を見て、灯は不安げな表情をしている。
「よっこらしょっと」
要が腰を上げる。
「要さん、どこか行くんですか?」
「一服だよ、一服、ガキンチョがいるとこでタバコを吸うのもなんだか気が引けるからよ。せいぜい、戻ってくるまでに謎を解いておいてくれよ、名探偵さん」
そう言って、ニヤッと笑うと要は談話室を出ていった。
「要さん大丈夫かなぁ」
灯が心配そうな声を上げる。
「あのおっさんはたぶん大丈夫だよ」
「え、留木くん、なんでわかるの」
「ん、まぁ、なんとなく。勘、かな」
それなら安心か、満希の勘は当たるんだ。
「おっし、灯哉、館の中調べるからついてきて」
「おいおい、君らだけでは危険じゃないか。いくら名探偵といっても所詮は中学生だ。そんな華奢な体して、犯人にでも出くわしたら」
「それでしたら、私がお供を致しましょう」
烏丸が申し出てくれたおかげで、館内の細かい見取り図も手に入れることができて、捜査は結果的に捗ったのだった。
とはいえ、地下の食糧庫から二階の客室まで調べ上げたところで、不審な影はどこにも見あたらず、犯人は煙のように消えてしまったようだった。
「3階にはどうやって行くの?」
ざっと見まわしても客室階から3階につながる階段は見当たらない。しかし、外から見たときは確実に3階があったんだ。それは、俺も確認している。
「3階は月光劇場となっております。いわゆる、舞台ですね。毎回のこの月光の集いで2日目の晩に奥様が一夜限りの一人芝居を上演なさるのです。照明装置はなく、明かりは月の光のみ。それはもう幻想的な舞台なのです」
うっとりとした表情を見せる烏丸は目の前に明を見ているかのようだった。
「ふーん、んで、どうやって行くの? 中、見せてもらってもいいっすか」
満希のお願いに烏丸が我に返る。
「ええ、もちろんでございます。すみません、今、階段を下ろしますね。足元にお気をつけになって階段をお上がりください」
天井に専用の金属の棒をひっかけて折りたたみ式の階段を引き出す。隠れるにはもってこいの場所ではありそうだ。
劇場は思った以上に広く、そして明るかった。理由は明白で、天井がガラス張りなのだ。曇り空ではあるものの、外の光が直で入ってくるので非常に明るい。
「これが月光劇場…」
「ええ、ここは客席と舞台の上手下手それぞれにちょっとした控えスペースがある以外は特に隠れることができるような場所はありません」
烏丸が先ほどよりいくらか冷静な様子で説明をしてくれる。
「おっけ、誰も隠れてなさそうだな、ありがと、烏丸さん」
「とんでもございません。他にもご覧になりたい場所があれば何なりとお申しつけ下さい」
満希の実地検分が終わり、一階の談話室に戻る際、俺は二階の廊下で小さな影を見たような気がした。
「子供・・・?」
「どうした、灯哉?」
ま、気のせいか。意識しすぎると見たいものを見てしまうこともあるしな。
「あ、いいや、なんでもない」
そうか、というとさっさと談話室に向けて足を速める満希。「ひらめき屋さん」は何を思っているのだろうか。
そして、ボーン、ボーンとホールの置き時計が鳴る。時刻は、十二時。
本日一回目の推理会まで、あと三時間と迫っていた。




