八
喫茶店の中、壁や棚の上には写真立てに入った写真が飾られている。
「飾られてる写真って、芹沢さんが撮ったんですか?」
アイスコーヒーを半分ほど飲んでから、カウンターの横の壁に掛けられている写真を見て聞いた。芹沢と同年代と思われる女性の写真だった。女性はカウンター席に座っていて、カメラに向けて少し照れたように笑っていた。
「そうだよ。この前見せたカメラで撮ったものだね」
「奥さんですか?」
一瞬だけ静かな間があった。
「独身ですよ」
これは、やってしまったのだろうか、と水上は思った。
「彼女さんですか?」
「違いますよ」
「娘さん?」
「いないし、年齢から見てありえないだろう」
「誰なんですか? この人」
「お客さんだよ。名前は知らない」
「常連さんでもないんですか?」
「うん。観光で来た人で、もう何回か来てくれているけどね」
それを聞いて、意外な気がした。仲がいいというわけではない人が、こんなふうに笑って写真に写っていることが意外だった。カメラを向けられたら、人は笑顔になるのだろうか。
いや、違うか。水上は、以前芹沢に写真を撮られたときのことを思いだした。カメラを向けながら、撮る人が嬉しそうに笑っていて、撮られる方もつられるようにして笑顔になった。
きっとこの写真を撮ったとき、芹沢も笑っていたのだろう。だから、この女性も笑っているのだろう。
「他の写真も、そういう人のものなんですか?」
「そうだよ。常連さんはなかなか飾っていいって言ってくれないからね。水上君みたいに」
「飾らないでくださいよ」
「わかってるよ」
水上の写真のことを今更蒸し返す気はないので、飾られている写真のことに話を戻した。
「店に来た人の全員を写真に撮ってるんですか?」
「いや、さすがに全員はムリだよ。そうだなあ、例えばこういうお客さんが少ないときに来た人とは色々話すから、そのときに写真を撮らせてくださいって言うね」
「断られることはありましたか?」
「うん。あったよ。でもこうして写真を飾ってもいいって人もいるからね」
芹沢は店内にいくつかある写真立てを見回した。
「この人なんかは、この写真を撮った一年後くらいにまた来て、そのときに写真を渡したし。約束したわけじゃなかったけど、嬉しかったな」
すぐ近くの壁に掛けてある写真を見ながら、女性のことを思い出しているようだった。
「人の写真を撮る時って、緊張しませんか?」
思い出に水を差すようでためらったが、水上が一番聞きたかったのはそのことだった。
「撮らせてくださいって言うとき緊張するかな。気分を害してしまったらどうしようかと思って」
写真に撮られることを嫌がる人もいるだろう。水上自身、撮られるのは苦手だ。それでも撮りたいと思うのは、そうさせるだけの何かがあるからだろう。
水上は鞄の中にあるカメラのことを思った。そして、以前芹沢のカメラで写真を撮り、プリントされたその写真を見たとき、特別な感じがしたことを思いだした。
「あの」
「なに、水上君?」
「写真を撮らせてもらってもいいですか? 喫茶店の中とそれから芹沢さんのを」
デジタルカメラを鞄から出して、芹沢に示して言った。
「いいよ、そのかわり」
写真を飾らせてくれ、と言われるのではないかと思い、身構えた。
「超かっこよく撮ってくれたまえ」
芹沢は注文も入っていないのに、コーヒーを淹れる準備を始めた。
数ヶ月後、バイトをはじめて懐に余裕ができた水上は、ネットで中古カメラを探していた。すると、大手のウェブサイトで、芹沢のカメラと同じシリーズで状態のいいカメラを見つけた。
迷わず、買った。説明書はメーカーのホームページからダウンロードできるらしい。
バイトの話はまた今度。