五
芹沢と知り合ってから、毎回カウンター席に座るようになった。大学のことや喫茶店のことなど、たわいない話をして、お互いのことなどはあまり話さない。
古本屋では奮発して単行本を買った。今日は黒白の猫が入り口の近くで出迎えてくれた。
閉じた傘を片手に、雨上がりの道を歩いた。家々の屋根の瓦が日を反射して光っていた。青空を見るのは久しぶりのような気がした。
「こんにちは」
「こんにちは。いらっしゃい、水上君」
水上が喫茶店に入ったとき、芹沢は入り口の近くにあるガイドブックが並んだ本棚の所にいた。本棚の上には黒い二眼レフカメラが乗っている。前来たときはなかったものだ。
「カメラ、ですよね」
写真では見たことがあるが、二眼レフカメラを実際に目にするのは初めてだった。
「うん。ジャンク品だから置物だけどね」
二眼レフカメラというだけでクラシックな雰囲気がある。そんな気がする。
「飾ってある写真は自分で撮った物なんですか?」
「うん、そうだよ。ここに来た人に許可をもらって飾っているんだ」
芹沢はカウンターの方に歩いて行った。水上もそれについていって、カウンター席に座った。注文をしようとしたとき、
「水上君、写真を撮らせてもらってもいいかい?」
と芹沢が聞いた。
「はい?」
はっきりと聞こえていたが、聞き返してしまった。
「写真を撮らせてほしいんだ」
「飾られるんですか?」
水上は喫茶店の壁に飾られている写真のことを脳裏に浮かべて言った。
「そうしていいのなら飾ろうと思ってるよ」
「こうやって飾らないのなら、いいですよ」
写真を撮るのはいいが、写されることには少し抵抗がある。自分の写った写真を見るのも、知らない人に見られるのも抵抗がある。
「わかった。飾らない」
芹沢は黒いコンパクトカメラをどこからか取りだして、カウンターを挟んで座る水上に向けた。水上の持っているデジタルカメラと同じくらいの大きさで、ファインダーがついていた。
「なんかしたほうがいいですかね?」
「そのままでいいよ」
カメラを向けられると、意識してしまう。意識すると自然な表情なんてできない。何か別のことを考えようとしても、カメラを意識してしまう。だから、あえて道化てしまおうと思った。
テーブルに肘をおいて、手を顎にもっていった。こうでもしなければ開き直れない。
「はい、チーズ」
その言葉を聞いたのは何年ぶりだろうか、水上は思い出せなかった。シャッター音はよくわからなかったが、フィルムを巻き上げる音がした。
「念のため、もう一枚撮るよ」
「どうぞ」
もう一度、「ジー」とフィルムを巻き上げる音がした。
「そのカメラ、見せてもらっていいですか?」
と水上が言った。
「いいよ」
芹沢が差し出したカメラを受けとった。ファインダーを覗くと、白い線で枠が描かれていた。
「お返しに、一枚撮ってもいいですか?」
「かっこよく撮ってくれたまえ」
「技術がないので期待しないでください」
「オートフォーカスだから、シャッターを半押しして緑のランプがついたら、シャッターを押せばいいよ」
言われたとおりにした。腕を組んで斜め上を向いている芹沢の写真が撮れた。格好つけていらっしゃる。