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Our bloody longing  作者: 餅角ケイ
His innocent idea
2/4

#2

 無言でミネラルウォーターを受け取ると男が体ごと後ろを向いてくれたので、配慮してくれているのだと分かった。がぶがぶと口に流しこんでは吐き出す。流して出す。数回行うとだいぶ楽になった。


「ありがとうございます」

 大間が律儀に感謝を述べると、男が「終わった?」と尋ねて正面に向き直った。はい、と返答し真顔のまま礼を加える。

「助かりました」

「いえいえ」


 その平和びた笑顔に、どこまでも包みこまれてしまいそうな温かさを感じる。一度は地獄を見た自分の心まで洗い流してくれる、お日様のような安心感。


 ーーこの人になら。

 お日様の前で全て語り尽くしたい衝動に駆られ、矢を射る勢いで大間は強く切り出した。

「あの!」

 風が二人の間を優に通り過ぎて、不自然な距離感を演出させる。

「俺の悩み……っつうか話、聞いてくれませんか」


「悩み?」

 途端に男の顔つきが空っぽになったので、案外子どもなのかもしれない。見栄を張ることもせず、分からないことは分からないと態度で表せられる素直さ。純粋な疑問で溢れたその表情に他の意味は一切含まれていなかった。かと思えば突拍子もなく唇を緩ませて、おちゃらけた彼に逆戻りする。


「いいよ。でもその前に一つ言っていい?」

 何でしょうと口を動かす隙も与えず、男が大間の近くまで軽やかに詰め寄るのだった。意図があるのかないのか不明瞭な笑顔を向けられ、たじろいでしまう。それでも食い下がらずに大間の視線は相手の口元を捕らえ続けた。一体何が来るというのだーー。


 大間の眼前。男の前面から笑顔の(はな)が散って、代わりに頬が膨れていた。心なしか眉が傾斜をつけ、瞳は線香花火程度に燃えているように見える。


 怒ってる? ……何故に?

 みぞおちに変化球を食らった気分だ。腑に落ちない。

 訳が分からず言葉を失っていると、男が遂に口を開いた。しかし怒っているというより、困惑の色合いのほうが強かった。

「敬語禁止。タメ口でいいよ」

「は?」

 これまた想像がつかなくて、しまりのない顔になる。

 急に場が一転したものだから、もっと重大な言葉が飛んでくるものだとばかり思っていた。


「だって(きみ)、どう見たって俺と同い年くらいでしょ。先輩でもないのに敬語使われても何か困っちゃうし」

 やや面倒くさそうな口調で男は言う。

 確かに背丈はさほど変わらないし、どこか子どもらしさが残る容貌も自分と同じ高校生くらいに見えた。単なる男でなく少年と呼んだほうがいいかもしれない。地元の高校では見慣れない金髪だけが、唯一異質なものとして映るのだがーー。


 顔だけ更に近づけられるのは、返答を待ちわびているしるしだろうか。大間はとりあえず「分かった」とだけ答えたのだが、一言喋っただけなのに、まるで宝くじが当たったかのような勢いで少年がはしゃいでいるのだった。

 何故はしゃぐ?

 さっぱり分からない。


「よーしっ! (きみ)の悩みとやら聞いてあげる。外で立ち話もなんだから、俺の部屋にいこう!」

 強引に右手を引かれ一緒に走らざるを得なかった。突飛な不安が頭をよぎるが、逃げ出すほどのものじゃない。

 眩しい笑顔の光を放つ太陽は、さっさと背を向け駆け出してしまう。

 笑っていると思えば急に怒ってみたり、困ってみたりはしゃいでみたり、全く読めない奴だけど、その太陽みたいな輝きだけは本物だ。だからこそ心が落ち着いたし、信用できた。


 純真無垢な太陽の手に掴まれながら、前で揺れる爽やかな金の髪を見やる。そのとき大間は根拠のない安堵に心をくすぐられていた。

 彼の性的指向が判明するまでは。



 *




 少年に連れられて足を踏み入れたのは、煉瓦造りの小奇麗な建物だった。コンクリートの門をくぐり抜けたあたりだろうか。同じブレザーを着用した男たちの姿が目につくようになった。その制服に見覚えこそないが確信はできる。

「もしかして、学生寮?」

「そーそー」

 少年が背中を見せたまま言った。今歩いている廊下、この廊下から分岐しているドアのうちのどれかに案内されたのだとしたら、間違いなくこの少年もーー上下グレーのスウェットという、学生らしからぬ恰好をしているがーー大間と同じ学生ということになるだろう。


 ところどころで馬鹿をやっている感じの騒がしい声が響くなか、通路は桜色の上半身で溢れかえっていた。


(制服ハデすぎだろ……)

 目に眩しいイチゴミルクのようなブレザーに深緑のネクタイ、濃紺ズボンの集団。会話を止めてこちらに視線をやる者もちらほら。自分が着ている何の変哲もないはずの学ランが、この場ではかえって浮いていて恥ずかしい。


「さあ着いたよ! こっこでーす」

 一〇七号室と書かれたドアの前で半回転しだす少年のはしゃぎ具合ときたら、あたかも寝起きドッキリを仕掛けに待機しているリポーターのようだった。相部屋なのか? という疑問が一瞬にして浮かぶが、勢いよく開かれた扉の先に人はいなかった。

「座って座って。お客様なんだから」


 何がそんなに楽しいのか未だに知らないが、大概この少年は語尾に星マークを付けたような話し方をする。返事もさせずに背中を押され、大間は白い座卓の前で胡坐をかいた。オレンジジュース大丈夫? あ、うん。よかったー。はいどうぞ。……ロビーにお菓子置いてなかったっけ。ちょっと見てくるから待ってて!

 あっという間に歓迎ムードが出来上がり、少年が犬よろしく飛び出していった。


「や、別にそこまでしてくれなくても大丈夫だから……」

 引き止めの言葉として使うはずだったのに、彼が去った後の部屋で呟いても意味がない。どうにもならないので客らしく待っていることにした。

 お世辞にも広いとは言い難いが、きわめて現代的なワンルームだ。ベッドにテーブルはまだ普通かもしれないが、キッチンが付いているし、開きかかった別の戸からはトイレやバスも見える。生活感が滲み出ているわりにそこまで汚いとは感じなかった。並に片付いているほうだと思う。


「あっ」

 奥側にある窓の近くに、先ほど廊下で見たものと同じ制服が掛かっていた。やはり彼も、普段はあの派手なイチゴミルクのブレザーを着用している学生なのか。



「おまたせー! お菓子パクってきた。少しだけど」

 座卓の上で広げた少年の両手から、馴染みのある菓子がパラパラと着地した。

「ありがとう。初対面なのにこんなに気ィ遣ってくれて」

「いいのいいの」

 本当に穢れがない。だから今抱えている重大な悩みを、ついこの少年に話したくなってしまうのだ。


 感心しつつジュースの入ったグラスを口元に近づけたとき、

「あああーーーーーーーーーっ!」

 向かいに座る少年が、この世の終わりみたいな顔をして大間を見るのだった。

「え、何?」

「歳はおんなじくらいだねーとか言っといて、俺、まだ(きみ)の名前聞いてなかった! ねえねえ、名前何ていうの」

「何だそんなことか。……大間(おおま)

 大して重大な宣告でないことに安心したものの、相手側はいまいち呑みこめていないようだった。


「おー、ま? それって名字?」

「うん」

「下の名前はっ?」

 息継ぎするように身を乗り出され、急に痛いところを突かれた気分になった。どうしても自分の名を口にしたくないからだ。

 場が悪いのでオレンジジュースのグラスの底に視線を落とし続けていると、少年の目の輝きが憂えに変わっていった。

「名前、教えたくないとか? 信用されてないから……」

「えっ違う違う! 確かに言いたくはないんだけど、そうじゃなくて」

 そのしょぼくれた姿がしぼんでしまった朝顔のようで、何としてでも枯らしてはいけないと大間は焦燥した。


「自分の名前、あんま好きじゃなくてさ。DQNネームっていうの? 口にするのも恥ずかしいレベルだから、覚えてほしくないんだ。正義(せいぎ)だけど」

 くそっ。言うつもりなんてなかったのに。


 熱烈な凝視に負けて、つい口走ってしまったのだった。

「なーんだ普通じゃん。それ使ってDQNネーム名乗るなら、正義(ジャスティス)とかじゃないの?」

「そんなに驚かないんだな」

 えええええとか、うそー! とか、もっと彼らしい反応を予想していただけに意外だ。しかしそんな思いはつゆ知らず。他人(ひと)の氏名を何度も噛み砕きながら、少年は納得できなさそうな顔で唸っている。

「うーん。大間正義、おお、ませいぎ。おー、ぎ……」

「あのさ。そろそろ俺の悩み相談しても」


 いいかな、と申し訳なく言いかけたところで再び目が合った。

 彼にしかできない、光り輝く宝石のような頬のほころび。にこにこともまた違う、キラキラとした光そのもの。


「オーセ、っていうのは?」

「えっ」


 人差し指を立て、少年は得意げに続ける。

「大間の(オー)と、正義のセでオーセ。名前で呼ばれるのが嫌ならニックネームで呼ぶのがいいかなって思ってさ。どう?」

「わ、分かった」

 勢いに負けて絞り出された答えだった。わーーい! とすかさずクラッカー並の声が響き渡り、思わず縮こまる。


「じゃあオーセで決まりね。あーっと、俺は雲井沙倉(くもいさぐら)。サグラって呼んで。十七歳、華の高校生。それも三年生だから」

「マジで? 俺も高三、歳も一緒」

 共通点を伝えると、もともと浮かれていたサグラの喜びは更に跳ね上がった。

「うそ!? 俺たちほんとに同い年だったんだね!」

 イケメンに微笑まれた女子のような輝き具合だというのに、きつく掴まれた手はごつくて暑苦しい。


「これから悩みを話す聞くの関係になるんだから、もう友達! よろしくね、オーセ」

「ああ、よろしく……」

 テーブルという垣根を超えてまで手を握ってくるサグラに、大間改めオーセは引きつった笑みを返すことしかできなかった。



 一点の曇りさえない笑顔は無敵だ。その光は全てを遮断し、まるで何事もなかったかのように隠してしまう。

 何も見たくないと必死に光り続ける彼の思惑どうり、オーセは彼の眩しさに呑みこまれていくのだ。

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