影を喰らう者〈ダークネス・イーター〉
魔眼なんて無いことくらい分かってる。でも、こんな狂ってる世界には、それくらいあってもいいんじゃないか。そんな夢も見られないような奴、こっちから願い下げ。なにが、『そんなことを言ってるからクラスで孤立する』だ。そんなこと、構うもんか。おおかなお世話だ。きっと、可哀想なやつに話しかけてる自分いい人だ、って言いたいに違いない。感謝なんて、するわけないだろ。
新学期が始まってしばらくして、クラスに友達が誰もいないことに気がついた。理由は簡単、らしい。『いつ魔眼が暴走するか分からない。だから俺の視界に入るな』とクラス最初の自己紹介のときにそう言った。格好いいと思ったんだ。魔眼だぜ。そのことわざわざクラスメイトに忠告してるんだぜ。
同じクラスにそんなすごい奴がいたら―嘘だろうが本当だろうが―絶対面白い。
俺だったら真っ先に知り合いなり友達なりになって、そいつの非日常的な物語に率先して巻き込まれにいく。
だが、このクラスに俺のようなスゴイやつはいなかった。日常パートのレギュラーすらも現れなかった。
期末試験で結構いい成績をとった。授業を普通に聞いてればこのくらいは、という点数だったが、相対的に見ればそうでもないらしい。『俺の魔眼はあらゆる欺き(トリック)を見抜く!』と言ったら先生に呼ばれた。カンニングなんてしてないのに、何故だ。…そんなことをしてる内に、前期が終わった。
魔眼の説明をしておこう。なに、そう難しいものではない。俺の魔眼の本質は、『喰う』こと。人の心とでも言うようなもの―感情、意思、記憶、思考力―を喰う。喰われた人物は『空っぽ』になる。そして、中に別の何かが入り込み、大体は破綻する。
夏休みの間は黙々と本を読んでた。どこへ出かける予定もなし、一緒に暇を潰す友人もなし。別に寂しくなんてない。俺のスゴさが分からないような奴と何かしても、楽しいはずがないからな。だが新学期の初めに、ちょっと、いや大分予想外の出来事が起きた。
その女は、なにか言いたげに俺の席の前に立った。多分クラスメイト、なのだろう。記憶にないため訝るように見てしまったが、非友好的なのはお互い様。そいつはこっちのことを、見下すような、値踏みするような目で見てきた。だからってわけじゃないが、俺はこう言ってやった。
「俺の視界に入るな。目に喰われるぞ」
「はあ?」
むこうは、俺の言ってることがさっぱり理解できなかったらしい。実に頭の悪そうな返事だ。人と会話をしようというのなら、投げられたボールはちゃんと返せ、取り落すな。
「日本語を話したつもりなんだが、理解できなかったか?」
「は? いやそーじゃないけど。言ってることキモすぎて、反応できなかっただけだし」
「キモい? 事実を述べたまでだ」
「そのしゃべり方からしてキモすぎ。ねー、どーにかなんない?」
「俺にとって普通の話し方だ。お前に合わせる義理はない」
「へー。いやべつにいーけど、協調せーないねー」
「…用がないなら俺の視界から消えてくれ」
「は? いやあたしがどこにいよーとあたしの勝手じゃん」
「不快だ…」
「は、意味わかんないわー」
とにかく人の神経を逆なですることだけは上手かった。だがそれを楽しんでる風もなく、なにが目的なのかさっぱりだ。
「まーいーや。ねーあんたさ、期末テストどーやってカンニングしたの。マガンってやつ? わーうらやましいわー」
「いちいち鬱陶しい話し方をする奴だ。教師にも説明したが、俺はカンニングなどしていない。そもそも試験とは自分の実力や理解度を測るためのもので、それを偽っても何の得にもならないぞ?」
「アーハイハイ、そーいうのはいいから。どーやっていー点数取ったか教えろって言ってんの」
定期試験程度、どうやってもなにもないだろうに。
「授業を聞いて、教科書を見て、余裕があればノートをとる。試験前はそれを読み返す。それだけだ」
「は? なにそれ」
「お前の言った、良い点数の取り方だが」
「そーいうこと聞いてんじゃねえよ。あとお前なんかにお前って言われたくねー」
ここまで会話が成立しないのも珍しいのではないか。それともこいつにとっては、これが普通なのだろうか。やはり、人は群れると思慮を欠くようになるのだろう。
「だからさー、マガンってやつ? それでイイ点とったんだろ。それどーやったのか教えろよ」
「ほう、魔眼に興味があるのか」
「そーそー、それ教えてよ」
「あまり人に話すようなことでもないんだけどな」
「まーいーじゃん。マガンすっげー、あたしも使いてー」
そのときの俺は、ちょっと浮かれていた。どんな目的であろうと、初めて魔眼に興味を持ってくれたことを喜びすぎたのだ。油断大敵。おかげで、ひそかに考えていた細かい設定や、魔眼を通しての世界の見え方などを思いつく限り話してしまった。そのとき、そいつがどんな態度で聞いていたか、話すことに夢中になってよく憶えていない。
ただ、それが最大の失敗であったことは、確かだ。
翌日、そのクラスメイトが実に興味深いことを言ってきた。なんと魔眼のことを知りたがっている人物が、彼女のほかにもいるというのだ。余り広めるようなことでもないのだが、その程度、その人物の知的探求を阻む理由にはならない。
土曜の昼に待ち合わせらしい。恥ずかしながら、少なからず楽しみにしていたことは隠しようがなかった。
まだ残暑が厳しく、木陰にいても汗をかいた。だが、そんなことは気にならなかった。もしかしたら俺と同じような人物に会えるかもしれない、そういった期待に胸を躍らせていた。
そして、約束の時間から2時間過ぎたところで、希望を捨て、騙されたのだと割り切った。
週明け、登校したときにはすでにクラスの雰囲気が変だった。見られているような、嘲笑われているような。筆頭は、明らかに先週話しかけてきたクラスメイト。友人と思われる2人の女子生徒と一緒に、ニヤニヤしながらこちらを見ていた。失敗したな。
気にしなければどうということはない。そのときは、そう思えた。…だが。
それを聞いたとき、膨大な羞恥とわずかな怒りにおそわれた。だが、逃げることはできなかった。聞かなかったことにすることもできないと、分かっていたからだろう。
「だからさー、あいつほんとアタマおかしいんだってー」
「それマジなん。えーヤバくね?」
「そーヤバイ、ヤバイ」
「アハ。良く日本語通じたよねー」
「まあねー。アユミヨリってやつ? ほら、わたしやさしーから」
「マジやさしーねー。うちだったらそんなん耐えられないわー」
「ハ、で結局なに。カンニングの仕方分からなかったの?」
「ソーなんよ。ホント使えなくてさー。マーあんなんで騙されるような奴だし、実はベンキョーしすぎてオカシクなっちゃってたりしてー」
「ワー、ありそー」
放課後の閑散とした校舎では、どんな音でも良く響く。だから、教室での話し声は廊下にいても全て聞こえた。そこにいたのはただの偶然、聞く気なんてなかった。図書館に行って、荷物を忘れたから戻ってきて、教室にクラスメイトがいただけ。ただそれだけ、それだけが、我慢ならなかった。自分のことを話していると、すぐに分かったから。自分が魔眼のことを話してしまったから。…なんで、こんなやつらに馬鹿にされなければならない。こんな取るに足らない奴らに、なんで俺が。ちょっと人と違うからか。違うことを言って、変わったことをしているからか。ふざけるな。俺の世界観を、俺を馬鹿にするな!
思考が怒りに塗りつぶされたとき、壁が透けて、教室のなかが見えた気がした。3人のクラスメイトの姿と、夕日に伸びる長い影。その影を喰う何かが、見えた気がしたんだ。
「もういいよ」
そう言って、その刑事はICレコーダーを止めた。何度聞いても無駄だろうに、ご苦労なことだ。こいつは俺の魔眼を信じない。だから、どうにかして、自分の手でやった、と言わせたいのだろう。
あの3人のクラスメイトは、あの日のうちに死んだ。3人の死に特に不自然なところはない。死に方も別々だった。余りにも確率の低い偶然が起こっただけ。そう考えれば楽になるのにな。…頑迷な刑事に俺は言ってやった。
「魔眼なんて無いことくらい分かってる。だから、もし本当にあったとしても、だれも気付かないし、信じない。つまりそういうことだ」
おわり
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