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昼休み、対舞曲(コントルダンス)

 ゴールデンウィークが終わった。教室に入った私の腕を、まるで待ち構えていたかのように綾乃がつかんだ。

「聞いたよ。多田が浮気したって」

 綾乃の口から出たささやきに驚いたのは一瞬だった。情報源はひとつしかない。千鶴。

「私たち、ランチのあとカラオケに行ったじゃない? そこに千鶴からメッセージがきて、みんな、びっくりだよ。私、真凛とも多田とも高校が同じで、クラスも一緒じゃん? 何か知らないの、って千鶴やみんなに聞かれたけど、何も知らなくて、いちばんびっくりだよ」

 みんなびっくり……つまり、千鶴が私と多田のことを詳しく知ろうとして、私と同じ高校の綾乃に連絡を入れた、ってことだ。そして、綾乃はカラオケにいた女子全員に千鶴からのメッセージを披露しちゃったんだろう。一葉が私じゃない女の子と歩いていたことも、千鶴のカレが受け取ったその女の子が好きだという一葉の返事も、全部みんなに知られてしまった?

 足下に暗い穴が開いたようだった。一葉に浮気され、フラれたことが元クラスメイトたちに知られてしまった。もう彼女たちには会えない。恥ずかしくて。

「真凛、多田がかまってくれないって、こぼしていたもんね。部活が忙しいんじゃなくて、そういうことだったんだね」

 綾乃の声に力がこもる。

「大丈夫だよ。私たちは、みんな、真凛の味方だから!」

 みんな──カラオケに行った元クラスメイトの女の子たちのこと? 味方、という言葉が、私の足元の穴を何とか塞いでくれる。私は笑われてない? 大丈夫?

 私を見る綾乃の目は燃えているようだった。カノジョがいるのに他の女の子のことを好きになった一葉に対する怒りの炎だと思った。──ほかの女の子たちも一葉に腹をたてているんだね? みんな、私の味方なんだね? そうだよ、悪いのは一葉だもん。

「私、一葉と話そうと思ってる」

 思い切って打ち明けると、

「協力する。結衣も味方してくれるって」

 綾乃は、席に着いている結衣に目配せを送った。結衣は真面目な顔でうなずくと、立ち上がって私たちのそばに来た。

「とにかく、一度はちゃんと話し合った方が、お互いにいいと思う。男の子とつきあったことのない私が言うのもなんだけど」

 男の子とつきあったこと──と、聞いて、私の視線は日菜子の席へと動いた。

 席はまだ空だった。だけど、日菜子は男の子とつきあった経験があるのだ。経験のない綾乃や結衣より頼りになるかもしれない。

 日菜子が登校するまで、私たちは教室の隅で語り合った。途中で一葉が教室に入ってきたときはきつくにらんでやったけれど、一葉は私たちに目を向けることなく教室を突っ切って窓際の席に着き、近くの男子と雑談を始めていた。

 何事も起こっていないようないつも通りの様子に腹が立つ。私はこんなに傷ついているのに。

「浮気の相手は誰なのかな」

 一緒に一葉をにらみながらそう言ったのは綾乃だ。犯人捜しをするような目つきで教室を見回した。

「手がかりは、髪が長い、だけか。このクラスだと……」

「え、待って、綾乃。クラスが同じかどうかなんてわからないし、違う学校のコって可能性もあるし……」

 たしなめるように結衣が綾乃をさえぎった。そして、ちょっと笑ってつけたす。

「髪が長いなら、日菜子だってそうだよね」

 確かに日菜子の髪の長さは『肩と肘の中間』だ。千鶴が目撃した女の子と同じ長さ。学校ではそれを首の後ろで緩く束ねているけれど、解けば千鶴の目撃情報と一致する。

 結衣は笑っていたから、場を和ませる冗談のつもりだったのかもしれない。でも、私は笑う気分にはなれなかった。綾乃もじろっと結衣を見た。結衣は笑顔を消し、気まずそうに目を逸らせる。

 日菜子が登校してきたのは始業のチャイムぎりぎりだった。あとで話がある、とだけ伝えた。昼休みにみんなで作戦を立てるのだ。一葉とどう話すか。だけど。

「私、パス」

 一葉が浮気して真凛に別れようと言い出した、きちんと話そうと思う、みんなで協力しよう──という説明を聞いたあと、日菜子は片手を上げてそう言った。

 私たち四人がいる場所は、裏庭にある文化部の部室棟の陰だった。部活タイムにならなければ誰もやって来ない、ひっそりと木立に囲まれた場所だ。

 日菜子の反応に、私も『えっ』となったけれど、私以上に気色ばんだのは綾乃だった。

「ちょっと、日菜子、冷たくない? 友だちでしょ?」

 詰め寄ったけれど、日菜子の表情は平静なままで。

「じゃあ、聞くけど──真凛は多田と話して、どうしたいの?」

「どうって……」

 とっさに言いよどんだ私に、綾乃がかぶせてきた。

「理不尽なことされて、泣き寝入りするなんて悔しいじゃない」

 言葉にされて、私も、そうだよ、と思った。このままじゃ、悔しい。

「リフジン」

 日菜子は、ぽつり、と呟いた。

「人を好きになる気持ちって、理不尽なものじゃないかなあ」

「は? 日菜子、多田の味方をするわけ?」

 カチンときた私の気持ちを、綾乃がすぐさま言葉にしてくれる。が、日菜子は綾乃をちょっとも見ないで、私にまっすぐ視線を当てる。

「真凛は、多田と話し合ったあと、どうなりたいの? 多田に、自分のところに戻ってきてほしいの?」

 話し合ったあと──それは考えていなかった。一葉に戻ってきてほしい? ──考える前に答えていた。

「戻ってこなくていい、あんな浮気男」

「じゃ、放っておけばいいじゃん」

 日菜子の口調はふうわりと軽い。私は両手を拳に握り締める。

「でも、つきあおう、って言ったのは、一葉なんだよ。向こうが、つきあおう、って言ったからつきあったのに、今度は、別れよう、なんて勝手すぎない? ひどくない?」

 言葉にしたら、胸の奥からせり上がるものがあって、目頭が熱くなった。そうだよ、勝手だよ。自分からつきあおうって言ったくせに。

 なのに、日菜子の声の調子は少しも変わらなかった。

「つきあおう、って言われたから、つきあったの? 好きだからつきあったんじゃなくて?」

「──それは」

 とっさに詰まった。どちらの答えを選ぶのか、迷って。でも、答えは両方だ。つきあおう、って言われて、好きだからつきあったのだ。

 そう言おうとしたけれど、綾乃が日菜子に向かって一歩踏み出す方が早かった。

「ねえ、日菜子、さっきからどっちの味方なの? ちょっとは真凛の気持ちを考えてあげなよ。真凛、泣いてるじゃん。傷ついているんだよ、わかんないの?」

「考えたつもりなんだけどな」

 日菜子は目を閉じ、かたちの良い眉を微かにしかめた。

「ごめん。私は、協力できない。でも、私も真凛の味方だよ」

 きっぱりと言って、日菜子は私たちに背を向けた。首の後ろで緩く束ねた長い髪が、体の向きを変える動作にわずかに遅れて従って、くるりと翻った。

 去ってく日菜子の姿が木立の中に見えなくなる前に、綾乃が吐き捨てた。

「長い髪の女……まさか、日菜子じゃないよね、多田の新しいカノジョ」

 それは、今朝、結衣が冗談で口にしたことだ。結衣はずっと黙って私たちと日菜子のやりとりをはらはらと見ていたのだが、綾乃のセリフにあわてて口を開く。

「それはないよ。多田が女の子と歩いているのが目撃された日って、ほら、私たち、四人で映画を観てたじゃん? アリバイ、あるよ?」

 確かにそうだった。

 綾乃は舌打ちでもしたそうな顔をして、結衣はそのまま少し早口に言葉を続ける。

「日菜子、中学校のとき、男の子とつきあって別れた──って話、前にしたでしょ? 相手の男子が女子に人気のあるコで、別れたあとファンの女子からいろいろ言われたりしたんだよね。だから、つきあうとか別れるとかの揉め事に関わりたくないんじゃないかなあ」

「たとえそうだとしても、友だちとしてどうよ?」

 綾乃は不満そうだ。でも、

「いいよ、もう、日菜子のことは」

 私は言った。目からこぼれた涙を拭って。

「私には綾乃と結衣がついてるからさ」

 ふたりとも、笑った。綾乃は得たりとばかりに、結衣は遠慮がちに控えめに。

 そこからは三人で作戦を考えた。──まずは、いつ、どこに、一葉を呼び出すか。

「やっぱり、昼休みかなあ」

「放課後は『部活がある』で逃げられちゃいそうだもんね」

「昼休みでいいんじゃない? 昼休みに、ここに多田を連れてくるの。人がいなくて、ちょうどいいじゃん」

 明日の昼休み、綾乃と結衣で一葉をこの場所に連れてくる──そう決まった。私は、一葉が連れてこられるのを、ここで待つのだ。

 その日の夜は、明日一葉と対決するんだ、と思うとなかなか寝つかれなかった。

 こんなに眠れないのは、一葉に頭を撫でられたあの日以来だ。──そう思いついたら、胸がきゅっと痛くなった。空気がオレンジ色に染まった公園の広場。そのオレンジ色を不意にさえぎって近づいた一葉の顔。髪に触れた一葉の大きな手。高校生になったら流星群を一緒に見る約束。……思い出すたびにときめきが胸いっぱいになって、眠れなかったんだ。

 一葉に、つきあっちゃう? と言われた日も、眠れなかった。うれしくて眠れなかった。初めてのデートは夏休みのお祭りで……。

 いろんなことを思い出していたら、閉じたまぶたに涙が滲んだ。

 私は一葉に何も悪いことはしていない。傷つくような言葉を言ったこともない。一緒の高校に行けるように勉強もがんばった。高校に入ってから連絡が少ないのだって、部活が忙しいんだろうと思って、文句もワガママも言わないで我慢していた。

 なのに、別の女の子が好きだと言われるなんて。一葉が他の女の子と過ごしている時間も、一葉からの連絡をじっと待っていたなんて。

 私、なんで、こんな惨めな想いをしなきゃならないんだろう……。



 お弁当を済ませると、私はひとりで部室棟へと向かった。食欲はあまりなかったけれど、綾乃に、

『腹が減っては戦はできないよ』

 と、励まされて、残さずに食べた。

 空は初夏らしく明るく晴れて、汗ばむくらいの陽気だった。けれど、部室棟を囲む木立に入ると、肌に触れる空気の温度がすっと下がった。

 昨日四人で──途中からは三人で──立ち話をした同じ場所で、私は待つ。綾乃と結衣が一葉を連れてくるのを。

 昨夜はいろんなことを考えて眠れなかった。泣いてしまったこともあって、まぶたが重い。ここに来る前にトイレに寄ったのだけれど、手洗い場の鏡に映った自分はポニーテールの似合う可愛い女の子じゃなかった。髪とか制服とか、みっともなくないように整えるつもりだったのに、鏡の中の自分が不細工で、そんな気は失せてしまった。目や頬が腫れぼったくて、口角が年寄りみたいに下がっていた。

 全部一葉のせいだ。知らないうちに新しい女の子とつきあっていた一葉が全部悪い。こうなったら、思い切りブスな顔でにらんでやろう。そうして、文句を言ってやる。あんたなんか最低だって。

 ……鏡の前で考えたことを思い返しているうちに、一葉と綾乃たちの姿が繁った緑の間に現れた。

 先頭は一葉で、まっすぐに私を見て歩いてくる。

 私と数歩の距離をあけて、立ち止まった。

 見上げた目に一葉の視線が落ちてきて、足が震える。唇も震えてすぐには言葉が出ない。

 少しの間見つめ合って、先に口を開いたのは、一葉だった。でも、私にではなくて、綾乃と結衣を振り向いて、言ったのだった。

「真凛とふたりで話せる?」

 言葉につられるように、結衣はうなずいていた。が、綾乃は憤然と腕を組んだ。

「私たち、真凛のサポーターだから。──真凛、私たちがついてるから、安心して言いたいこと言って」

 綾乃の勢いに気圧されるように一葉の視線が揺れる。唇がぴくりと動く。

 けれど、一葉は綾乃に言い返すことはしなかった。いったん綾乃たちに向けた視線を私に戻した。言いたいことを言って、と綾乃に言われた私の言葉を待つように、黙って私を見つめた。

「ひどくない?」

 私は気持ちをふるって口を切る。

「私、何か、一葉に嫌われること、した?」

 昨夜眠らないで考えたセリフは、唇に乗せるととても陳腐に聞こえた。安っぽい恋愛ドラマみたい。自分が言った言葉に自分で追い込まれるような気分になった。

 一葉の応えは、とても静かだった。声の調子も表情も。

「何もしてない」

 返ってきたのはそれだけで、私は声を荒げる。

「じゃ、なんで、私と別れるの」

 息を吸いこむような一拍の沈黙のあと、

「──ほかに好きな人がいる」

 一葉の唇を出た言葉は、やっぱりとても静かだった。

 私を見る一葉のまなざしがとても澄んでいることが信じられない。こんなひどいことを言う男の子の目が澄んでいるなんて。──そう思いながら、私の心は、ふと、そのまなざしに吸い込まれそうになったけれど。

「ちょっと待ってよ。じゃ、真凛のことは? 真凛のことは好きじゃなかったの? 好きじゃないのに、つきあおう、って言ったの?」

 横から綾乃の声が割って入って、我に返る。もう少しで吸い込まれそうだった一葉の目を、私は改めて力を込めてにらみつけた。

 一葉に食ってかかる綾乃の肩を、結衣が困ったような顔で押さえていた。が、綾乃の口は止まらない。

「真凛とは遊びだったわけ? 真凛の方は真剣だったのに」

 ありがとう、という気持ちが私の胸で熱いかたまりになった。言いたいことをはっきりと言ってくれてうれしい。自分じゃ、そんなこと、声が震えて言葉にできなかっただろう。

 一葉は私を見つめていたけれど、綾乃にののしられて、すっとその目を閉じた。

 そのとき、木漏れ日が一葉の頬にまつ毛の影をつくった。

 あれ、と思った。一葉って、こんなにまつ毛が長かったっけ。

 閉じた目はゆっくりと開いて、静かなまなざしがもう一度私を見る。

「真凛が好きだった。だけど、今は、ほかに好きな人がいる」

 静かな、けれども、きっぱりとしたまなざし。その目でいつも優しく私を見てくれていたのに──そう思ったら、声が出た。

「誰。その人、誰」

 一葉は驚いた顔をした。予想外の質問をされたみたいに。が、すぐに元の静かな表情に戻って、

「言わない」

「私の知ってる人?」

 言わないのは、そういうことかと思った。

「言っても、意味ないと思う」

「真凛には知る権利があるんじゃないかな。だまされたんだから」

 援護射撃は綾乃からだ。だが、一葉は綾乃を見ない。私だけを向いて、言葉を続ける。

「何度でも謝る。俺のことは何て言ってもいい。──だけど、彼女のことは、何も言わせない」

 かあっと体が熱くなった。何、今のセリフ。彼女を守るナイト気取り? それじゃ、まるで私が悪者みたいだ……。

「悪いのは、一葉でしょ」

「うん」

 私が投げつけた言葉を、一葉は短く肯定する。

「ごめん。謝る。でも、その子が好きなんだ」

 それから、ふと何か思いついたように、ほんの微かに首をかしげた。

「真凛は、俺のこと、好きだった?」

 何を聞かれたのか、わからなかった。問いかけが胸に落ちて、波紋が広がるように意味を理解して──私は大きく口を開いた。

「当たり前じゃない」

 だから、こんなに傷ついている。裏切られて。

「でも、もう、あんたなんか大っ嫌い」

 目を閉じて、両手を握りしめて、声を振り絞った。俺のことは何て言ってもいい──お望み通りにしてあげる。

「大っ嫌い。サイテー。嘘つき。二度と顔も見たくない」

 もっと悪口を言いたかったけれど、そこで言葉が途切れて、私は肩で息をした。その数呼吸の間、一葉は沈黙していたけれど。

「わかった」

 一葉の声がして、私は閉じていた目を開いた。顔を上げて一葉を見た。

「同じクラスだから、二度と俺を見ないのは無理だけど、近くに行かないように気をつける。どうしても必要なとき以外は話しかけない。──それでいい?」

 近くに来ない。話しかけない。一葉が、私に。

 ──それで、いい? 

 とっさにたずねていた、自分の心に。

 もちろん、いいのだ。一葉なんか、大嫌いになったのだから。

「それでいい」

「真凛、って呼ぶのもやめる。守谷、でいい?」

 胸が衝かれた。自分と一葉を繋いでいたものが、本当に切れた気がした。

 だけど、言った。

「……いい。私も、多田って呼ぶ」

 その辺のただのクラスメイトの男子と同じように、名字で呼ぶ。

「わかった」

 一葉はうなずいて目を伏せた。なぜだろう、私は、そのとき、一葉のまつ毛が本当に繊細な影をつくるほど長かったのを確かめたくなった。淡い木漏れ日がつくった影は、黒というよりも青に見えた。

 でも、確かめることはできなかった。一葉がすぐに背中を向けたから。

 ためらいのない動作だった。肩を落とすわけでもうなだれるわけでもなく、歩き出す。私から離れていく。……ううん、もう一葉じゃない。多田、だ。カレでもない。カノジョでもない。ただのクラスメイト。同じ教室に存在するだけの男子。

「……うっ……」

 押さえた唇から、嗚咽が洩れてしまった。私は両手で顔をおおう。

 肩が抱かれた。両側から。

 綾乃と結衣だ。

 友だちがいてくれて良かった、と心から思った。


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