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流星群の夜に、終曲(フィナーレ)

 ──夏休みに流星群を見る約束をしたの、覚えてる?

 多田からの返信はすぐには来ない。わかるよ。困惑しているんだ。元カノからつきあっていたときの約束を持ち出されるなんて、困るよね。ひょっとして、警戒もしているかな?

 だけど、律儀な男の子は正直に答えを返す。

 ──覚えてる。

 ──見に行きたいな。一緒に。

 返事はなかなか来ない。多田が困っている顔が思い浮かび、私は、ふふっ、と笑う。

 やがて、多田は、

 ──ごめん。行けない。

 と、返してくる。

 ──私、待ってるよ。ペルセウス座流星群の夜、天体観測広場で。

 返信は、来ない。

 多田は困っているだろう。待っている、という私のメッセージがホントかウソかわからなくて、まず悩む。だけど、もしも本当に女の子がひとりで夜の公園に出かけたりしたら……と、考えると、心配になるだろう。多田は優しいから。

 ペルセウス座流星群は八月の十三日が観測に最適だと、ネットに書いてあった。

 私は、その夜、多田との思い出の公園へ出かける。

 多田は公園の入り口に立っている。目論んだ通り、万が一でも私が真夜中の公園にひとりで来てしまったら、と考えるとやっぱり心配で。

 やってきた私に、多田はふたつの表情を見せる。困った顔と、念のため来てよかったとほっとする顔。

 私に、ありがとう、と言われた多田は、困った表情だけになる。それでも、私に並んで、歩き出す。

 ──多田、中学のときは、私のことが好きだったんだよね。

 私がそんなことを言い出して、多田はますます困った顔になる。

 ──私のどこが好きだった?

 多田が好きになるようないいところが、私にもあったんじゃないかと思うのだ。顔がちょっと可愛いだけじゃなくて。明るくて元気なところとか、どうだった?

 たずねる私に、多田は真面目に考える顔になる。でも、答えをもらえないまま、私は多田天体観測広場へと歩いていく。私たちがカレカノだったときの、約束の場所へ──。



 ……なんて空想を、私は、した。

 いや、空想というより妄想だな、これは。

 最後のメッセージは、しばらく眺めて、削除した。返信は、しなかった。

 そのあと、あれこれ妄想したんだ。都合のいい妄想を、何パターンか。

 私との約束に応えてくれる多田。流星群の夜、私の前には姿を見せないけれど、天体観測広場で空を見上げる私を物陰からそっと見守ってくれる多田……。

 でも、私とやり直そうとする多田は、空想の中でも現れなかった。

 そして、ペルセウス座流星群の夜、私は日菜子の家にいた。結衣も一緒だ。

 部活のとき、ペルセウス座流星群のことを話題にしたら、みんなでお泊り会をして流れ星を観ようという話になったのだ。日菜子の家には屋上テラスがあり、星がよく見えるというのでお邪魔したのだ。

 さっきまで日菜子の部屋で女子トークをしていたけれど、そろそろ流星群の時間じゃないかと屋上に出たところだ。屋上に大きなシートを敷き、三人並んで寝転んで流星群を見る計画だ。

 日菜子がシートの周りに蚊取り線香を置いている。確かに夏の夜の屋外だから、虫よけは必要かもしれないけれど。

「……いくつ置くの?」

 結衣がたずねている。

「六つ」

 日菜子は、蚊取り線香を、シートを囲むように等間隔に円く並べていく。

「六芒星の形に置いてその中に寝たらさ、魔法の儀式の生贄になる美少女三人、って感じにならない?」

「蚊取り線香で?」

 うーん、と結衣は顔をしかめる。

「ただの蚊取り線香じゃないよ? 高級品だよ? ラベンダーの香りだよ?」

「蚊取り線香だよね……?」

 ふたりの会話に笑いながら、私は『六芒星』の中に一番乗りした。蚊取り線香から漂ってくる煙、ホントに多少ラベンダーの香りがする。……だいたいは蚊取り線香だけど。

 結衣を真ん中に三人で寝転ぶと、視界が夜空だけになった。

 星を浮かべた漆黒の空しか見えないって、不思議な気分だ。背中には屋上の床が確かに当たっているのだけれど、自分が頼りなくて、だけど、現実から切り離されて自由になれる感じもする。

「『流星群を観測するときは、できるだけ空の広い範囲に注意を向けましょう……』」

 結衣がスマホで見つけたどこかの天文台のサイトの文章を読みあげた。

 しばらく夜空を眺めていると目が慣れて、見える星が増えてきた。

「白鳥座」

 と、日菜子が指差した方に目をやった。しばらく視線をさ迷わせて、明るい星を見つける。あれがデネブで白鳥の尾だから……あった、十字の形に並んだ星々。日菜子がまだ持っていた小学校の懐かしい教材──星座盤で予習した通りの形だったけれど。

 予想より大きく翼を広げた白鳥の姿に、感動した。

 そこから、夏の大三角形──白鳥座のデネブとこと座のヴェガ、わし座のアルタイルを発見。さそり座の描くSの字にも、アンタレスがホントに赤いことにも、感動。

 ホンモノはすごいな。

 何でもそうなのかな。

 友だちも恋も。人の気持ちも。

 しばらく三人でぼんやり夜空を眺めていたけれど。

「……綾乃、来なかったね」

 ぽつり、と結衣が言った。

 日菜子の部屋でおしゃべりしていたときには、誰も出さなかった名前だ。

「来ないと思ってたけど」

 少し物憂く、日菜子が受ける。

 そう、私たちは綾乃にも、日菜子のウチで流星群観測会をやるよ、とメッセージは送ったのだ。一応、クラスも部活も同じ四人グループで動いていたから。でも……。

「綾乃、TOIECのスコアが返ってきてから、部活に来なくなっちゃったもんね。自分のスコアが私たちの中でいちばん低かったのが気に入らなかったんだろうね」

 私が心で思ったことを、日菜子がはっきりと言葉にした。きっと綾乃は、日菜子や結衣には勝てなくても、私には負けないと思っていたんだろう。でも、学校のテストに続いて、TOIECのスコアも綾乃は私より低かったのだ。

『まあ、こんなの、学校の成績には関係ないし、遊びみたいなものだしね』

 ふざけたように言っていたけど、それきり綾乃は部活に来ない。

「綾乃、夏休みの補習にも来なくなっちゃったんだよねえ」

 ため息と一緒に結衣が吐き出す。

「赤点を取ったから、綾乃、補習は強制参加なのに」

「兄貴の話なんだけどさ」

 と、言ったのは、日菜子。

 日菜子にはお兄さんがいる。旧帝大一年生。夏休みで帰省中なのでちらっと見かけたけど、さすが日菜子のお兄さんって感じのメガネの似合う美形で……なんてことはともかく、お兄さんは城東の卒業生で私たちの先輩なのだ。

「城東って、一応、進学校じゃない? 城東に入るコは、みんな、中学のときはそれなりに上位の成績を取ってるんだよね」

 うん、まあ、私は上位の底辺でギリギリ合格だったけれど。

「だけど、城東に入ると、半分の生徒は半分以下の成績になるわけじゃん? 中学のときは見たこともない悪い成績を取るコもいるわけじゃん? その現実を受け入れられなくて学校に来なくなっちゃうコが、毎年ひとりふたり出るらしいよ」

 なるほど。私は城東に入ったら下位の成績を取ることは覚悟していたからそんなにショックじゃなかったけれど、自分の成績に自信があった人はショックかもしれない……って、まさか──。

「綾乃がそうなっちゃう、ってこと?」

 それは予想していなくて、私は驚いた声で日菜子に聞いていた。

「赤点を取ったってことは、すでに授業についていけてないってことでしょ? 補習で取り返さなきゃないのに補習にも出て来ないんじゃ、これからの授業にますますついていけなくなるよね」

 私は日菜子を見たけれど、日菜子は夜空を見たままだ。

「部活とか友だちづきあいとか、勉強以外で楽しく高校生活を送れれば問題ないんだろうけどさ。でも、綾乃、部活も来なくなっちゃったよね。綾乃ってプライド高そうだからさ、プライドを保つために努力するならいいけど、プライドを守るために現実から目を背けたら、やばいよね」

 想像してみた。──綾乃が不登校になる。

 微妙だ。テストで勝ったときのように、ざまみろ、とは思えない。でも、助けてあげたい、という積極的な気持ちも湧かない。

「まあ、部活においでよ、って誘うとか、万が一綾乃がマジで学校に来なくなったら、どうしたの、くらいはメッセージを送ると思うけど。それをスルーされたら、私にできることはない気がする」

 そうだね。私もそれくらいはする。いろいろあったけれど、一応まだ四人グループだし。でも、家に訪ねていくまではしないだろう。

 あれ? と、思った。もしも、綾乃が不登校になったら、私は数回メッセージを送って、返事がなかったら二度と会わなくなってしまうんだろうか。先日、中学のときにわりと仲が良かったコと一緒に映画に行ったけれど、それも彼女がひさしぶりに連絡をくれたからで。

 人と人との関わりって、何もしないと簡単に終わっちゃうのかな。日菜子や結衣とはよく遊ぶけれど、それはクラスと部活が同じで特にアクションを起こさなくても会えるから?

 ふたりとはずっと友だちでいたいな、と思っているけれど、『思っている』だけじゃダメかもしれない。努力して行動しなきゃ続かないのかもしれない。友情も……恋も。

「──あっ」

 夜空を見ていた私たち三人、一斉に声を上げた。

「見た?」

「見た?」

「見た!」

 大きな流れ星が、白鳥座をすうっと横切ったのだ。

 願いごとを唱えるヒマは全然なかったが、流れ星なんて見たことがないから、それだけでラッキーな気がした。というか、こんなふうにゆっくり星を眺めること自体、なかった。

 たまには、いいね。

 友だちと一緒というのが、また良いね。

 結衣がスマホを手に取った。え、写真? 流れ星って、写真に撮れるの? ──と、思ったけれど、そうじゃなかった。

「ちょっとBGM」

 スマホから流れ出たのは、ショパンのノクターン。

 出だしの六度の上行が、私の胸をきゅんとする。

 まるでメロディーに合わせるように、流れ星がもうひとつ。

 バラのアーチの奥から聞こえたショパンのノクターンが胸に蘇る。それから、音楽室で白鳥楓の弾いたノクターン。空に飛び立つようだった最初の二音。

 胸をきゅんとさせる六度の音階──憧れ、恋、思い出……失恋も、六度の胸きゅんに入るかな。

 やっと納得できた。心の中で散らかっていたいろんな気持ちが、すとん、とまとまった。私は多田一葉という男の子に恋をして、失恋した。たったそれだけのことだったんだ。

 目に映るのは漆黒の空と星々。とても深いものをのぞき込んでいるみたいで、自分の上に広がる空に落ちていきそう。心が夜空にぽーんと放り出されて、不意に多田が遠くに行った気がした。私につきあっちゃう? と言った多田も、白鳥楓をそっと見つめる多田も、とても遠くに去ってしまった。

 知らなかった、恋って、終わるんだ。ふられるのは苦しくて辛かったけど、恋が終わるときはこんなふうにさみしいんだ。うれしかったことも悲しかったことも全部透き通って過ぎ去って、たださみしい。

 夜の空を一粒の涙のように星が流れる。

 恋をして、失恋をして、私の物語は、ひとつ、終わった。

「流れ星、速っ。願い事ができないっ」

 結衣がシートの上に伸ばした手足をバタバタさせている。

 日菜子がたずねた。

「結衣の願いごと、何?」

「カレシ! レンアイしたい!」

「恋はするんじゃなくて落ちるモノだ──って、この前見たアニメで言ってた」

 わかる──と、思った。多田から目を離せなくなったときの私だ。

「確かに。英語でもfall in loveだよね」

 と、うなずいた結衣に私はたずねてみる。

「結衣、日菜子のお兄さんはどう? カッコいいじゃん?」

「やだ。カッコいいけど、日菜子のお兄さんだよ? ロボットアニメオタクなんだって。私、ついていけないと思う」

 ──あ、そうなんだ。そこも、さすが日菜子のお兄さん、だったんだ。

 日菜子が、ふっふ、と笑った。

「ちなみに、兄は工学部で、ロボット工学専攻する予定です」

 うわあ。でも、私は理系が苦手なので、理系が強い人って憧れる。日菜子も数学や物理が得意で……。

「さらにちなみに、私もロボットつくりたい。人型ロボット、つくりたい」

 日菜子が夜空に拳を突き上げた。

 想像してしまった。人型ロボット研究に没頭する美形でマッドな兄妹サイエンティスト。深夜アニメの脇キャラみたいで、やばそうだけど、楽しそう。

「私はピアノがうまくなりたーい」

 結衣が両手を空に伸ばす。スマホから流れるショパンのノクターンに合わせて軽やかに指が動いて、

「憧れの六度?」

 と、私は聞いた。

「そう。恋愛経験がなくても弾ける、って先生は言ったけど、恋愛して、その気持ちを込めて弾くの」

「何? 憧れのろくどって?」

 日菜子にたずねられて、結衣が六度の上行を説明する。

「つまり、憧れの六度を弾くためにカレシがほしい、ってこと?」

「一石二鳥的な! カレシができて、憧れの六度もうまく弾けて!」

「それはお得だね。──で、真凛の願い事は?」

 当然といえば当然だけど、私にも質問が回ってきた。

 人型ロボットがつくりたい、ピアノがうまく弾きたい──私にはそんな自分の目標みたいな願い事はなかったけれど、すっと出てきたものはあった。

「日菜子や結衣とずっと友だちでいたい」

 しん、となった。

 夜空にショパンのノクターンが流れていく。

 しまった、と思った。空気、壊したかもしれない。ふたりにドン引きされたかも。ウソでもいいから、私○○になりたい、とか言えばよかった。……その○○が思い浮かばなかったわけだけれど。

 いつか私の○○が見つかる日があるかな。まるで突然恋に落ちるように。

 静かにショパンが流れる中で、私の手が握られた。日菜子が結衣のお腹越しに手を伸ばしてきたのだった。

「私もだよ。ていうか、一度ぐらい百合を経験してみたい気もする」

「百合?」

 そんなことは言ってない。

「日菜子×真凛って絵になりそうだけど、私のお腹の上ではやめて」

 結衣の言葉に三人で笑って、日菜子の手が離れる。

 ちょっと残念な気がした。できたら三人で手をつないで星を見たいような。高校生でそれはさすがに恥ずかしいから、やらないけど。

 一葉に恋した私の物語は終わった。だけど、日菜子や結衣との友情物語はこれからもずっと続くよね? ──あ、いや、続くように努力するんだった。ひさしぶりに『映画を観に行こう』と誘ってくれた元クラスメイトも、今度は私から誘ってみよう。

 辛いことがあっても、六度の上行が胸をきゅんとする、そんな気持ちを忘れないでいたいね。憧れも恋も、キズついた胸の痛みも忘れない。辛くて泣いてしまう日があっても、誰かと笑い合える夜もきっとあるから。


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