第5章
「ねえ、この間の限定プリンはすぐに売り切れちゃったって本当?」
「うん、廊下で見たけど、あっという間だったらしいよ」
「私、手に入れられなかったんだ……今度は絶対食べたい!」
「今日の試食会は楽しみだね。アンケートもあるって聞いたよ」
「もう大勢いるみたいだよ。すぐに並ばなきゃ!」
生徒たちは楽しそうに声を弾ませながら、多目的室へ向かっている。廊下の列は静かに、しかし確実に伸びていた。
「順番、ちゃんと守ってね。先に取ろうとしてもダメだよ」
「わかってるって。焦ることないし、ゆっくり味わいたいし」
話し声の中に期待と好奇心が混ざり合う中、生徒たちは試食会の開始を今か今かと待ちわびていた。
鈴香は颯太、綾音、周平とともに、多目的室の端の壁際に目立たないように立ち、会場の様子を見渡している。
周平は列に目を走らせながら、興奮気味に小声でつぶやいた。
「みんなちゃんと順番を守るんだな、行儀がいいぜ」
大きなテーブルの上には透明なガラスのカップに入った試作プリンが整然と並んでおり、手袋をはめた担当者が一つずつ参加者の生徒に手渡していた。プリンを受け取った生徒は、手渡されたプリンを口に運ぶと、味を確かめた後、空になったガラスカップを担当者に返却する。順序よく、静かだが緊張感のある流れが保たれていた。
鈴香は小さく息を吐く。
「予定どおりに進んでるわね……」
綾音はそっとうなずいた。
「ええ、このまま何事もなく順調に進んでもらいたいです」
試食している生徒は皆、手にしたプリンをひと口ごとにじっくりと味わっている。小さなガラスカップ越しに見える滑らかな表面や、控えめな飾り付けに、何人かの生徒が思わず顔をほころばせた。
「甘さ控えめでおいしい……」
小さくつぶやきながら、生徒は配られたアンケート用紙に感想を書き込んでいく。
「クリーミーで、前のより食べやすいかも」
別の生徒も同様に、手元のペンを動かして文字をしたためる。
順番に渡されるプリンと返却されるガラスカップ。会場の空気は穏やかで明るいが、その裏では、静かに事件解決への糸が手繰られていく――そんな緊張感に包まれていた。
颯太はただじっと、何も見逃すまいとするように、会場の様子を注視している。
(大丈夫、みんなで知恵を出し合って考えた計画だもの。きっとうまくいくはずよ……)
鈴香は、胸の奥に自然と湧き上がる不安を、自分に言い聞かせるように抑え込んだ。
翌日の昼休み、食事を終えた鈴香は、椅子に座って目を瞑っている颯太に近づいた。
「……ねえ、颯太。あなたはどうしてそう平然としていられるの?」
不安を隠せずに問いかける声は、いつもより小さく震えていた。
颯太はゆっくりと目を見開いて鈴香を一瞥すると、無言で立ち上がり、鈴香に目配せしてから足早に教室を出た。鈴香は慌てて後を追いながら、胸の鼓動が早まるのを感じていた。彼の沈黙に、さらに不安が煽られていく。
颯太の後をついてたどり着いた先は、校舎屋上のテラスだった。生徒の姿はなく、フェンス越しには青空が広がっている。昼休みの喧騒から隔絶されたその場所は、時間が止まったように静かだった。
ベンチに座った颯太の隣に、やや迷ったものの間に一人分の空間を空けて、鈴香も腰を下ろした。ベンチの硬さが制服越しに伝わり、ますます居心地が悪く感じられる。鈴香は、何も喋らない颯太に痺れを切らした。
「どうしたのよ? もうすぐ授業が始まっちゃうわよ!」
だが、鈴香の方に向き直った颯太の顔には、緊張感は見当たらなかった。
「どうせ集中できないだろ。休んだところで、綾音さんが完璧なノートを見せてくれるさ」
鈴香はハッとした。
「そんな……授業をサボるなんて……」
もちろん、鈴香は今まで一度も授業をサボったことはなかったし、サボるという選択肢を思い浮かべたことすらなかった。
「調査結果が送られてくるまで、ゆっくりとここで待っていよう」
颯太は意に介した風もなく、背もたれに腕を回し、上空に広がっている青空を仰ぎ見る。
その横顔を見つめながら、鈴香は何と言っていいか分からず、下を向いて口篭ってしまう。指先が自然と膝の上で握りしめられ、手に汗がにじんだ。
「悪かったな、無理やり付き合わせてしまって。でも、たまにはこんなのもいいんじゃないか」
颯太は少し気まずそうに笑い、鈴香の反応をうかがっている。
「『たまに』だからいい、なんてことにはならないわ。わたしたちは高校生なのよ」
鈴香の声は、風に乗って硬く響いた。
「その真面さがお前のいいところだ。でも、真面目すぎるように感じるときがあるんだよ……」
「真面目が悪いっていうの!」
思わず声が大きくなり、自分でも驚いた。屋上の静けさに反響して、なおさら胸が苦しくなる。
「言い方が悪かった、真面目はお前のいいところだ。それは間違いない。なので、真面目じゃなくて責任感というべきだったかな……。どうも、お前は責任感を感じすぎているように見える。その責任感が、自分で自分を追い込んでいるんじゃないのか」
颯太が体を鈴香の方に向け、正面から見つめた。瞳には真剣さが宿っている。
「そもそも、今回の事件でも、お前が解決しないといけない理由なんて何もないぞ」
「解決しないといけないわけじゃないけど……わたしは解決したいのよ……」
鈴香は俯き、膝の上で指を絡めた。白い指先がうっすら震えている。
「それに、綾音さんも、田村もいるんだぞ。もっと、周りを頼れよ!」
「……颯太は? 颯太はどうなの? これからも頼りにしていいの?」
鈴香は祈るように問いかけた。自分でも意外なほど必死な声になっていた。
「今回は……手伝うと約束したからな……」
「今回だけなの? わたしはやっと自分のやりたいことを見つけたように思えるの……でも、今回だけなんて……これからも颯太が手伝ってくれないと……」
胸の奥から込み上げてきた不安と恐れが、次々に言葉となって口を突いて出る。鈴香は視線を落とし、長いまつげを震わせた。
「お願い……怖いのよ。あと少しのところまで来ているように思えるけど……でも、それが一気に崩れるんじゃないかって……。何もわかりませんでしたって、結果が届くんじゃないかって……」
言葉を重ねながら、鈴香は両手を膝の上で固く握りしめる。胸の奥がじくじくと痛んだ。
「颯太じゃないとダメなのよ……颯太じゃないと……お願い……」
鈴香は声を絞り出し、縋るように彼を見上げる。その声は、屋上の風にかき消されそうにかすれた。
颯太は目を見開き、息をのんだ。鈴香の揺れる肩にそっと手を伸ばしかけ、そして、その手が届く寸前、不意に背後から涼やかな声が響いた。
「お嬢様。随分と、急なプロポーズのようにお見受けします」
振り向いた鈴香は、思わず声を上げそうになった。いつの間にか屋上の出入口に立っていた綾音が、口元に穏やかな笑みを浮かべていたのである。
「ち、違うわ!」
鈴香は慌てて両手を振った。言い訳を探そうとするほど、言葉が空回りしていく。
隣の颯太は、一瞬驚いた表情を浮かべたが、すぐに口の端を上げた。
「……それは残念だな。じゃあ返事はしなくていいな?」
「なっ……颯太!」
声が裏返り、鈴香は頬に血がのぼるのがわかった。
綾音は小さく会釈すると、からかうような調子を少しやわらげた。
「冗談でございます、お嬢様。ただ……お二人の仲が深まっているのは、見ていてよく分かります」
その指摘に、鈴香は思わず言葉を失った。照れと安堵とが入り混じり、胸の鼓動が速まるのを自覚する。
颯太もまた、気持ちの揺れを隠すように視線を逸らし、青空の彼方を見上げていた。




