第3章
その夜、神戸邸の書斎――大理石の床と壁一面の本棚が並ぶ広間――は、嵐の前の静けさに包まれていた。大型モニターには、海外のオークション会場の映像がライブ配信されており、会場の熱気、参加者の緊張した視線、競売人の声が画面越しに伝わってくる。
綾音は冷静に入札システムを操作し、颯太は入札状況を注視している。周平は落ち着きなく、その視線は会場の様子と入札の金額を交互に見比べている。
競売の最終局面、他の入札者が提示した金額を確認した鈴香は、微かに笑みを浮かべた。
「綾音、一気に最高額を提示して」
綾音が打ち込んだ数字は、会場をざわつかせるほどの破格だった。競売人のハンマーが振り下ろされ、目的の美術品は神戸家の落札となった。
数日後、落札した三点の作品が厳重に梱包された状態で神戸邸に届けられた。鈴香はそのうち一点を選び、慎重に包みを解く。
鈴香は、綾音がタブレットに表示させた写真と見比べ、深く考え込んだ。
「……色合いや筆の流れが、どこか違う気がするわ。学園にあるものは、やはり本物じゃないのかも……」
手元にある絵画には、写真では伝わりきらない筆致と色の深みが、確かに息づいていた。
綾音は両手で丁寧にその絵を抱え、隣で待つ鑑定士に差し出す。
「まずはこちらの絵の鑑定をお願いいたします」
白衣の男は作品を受け取り慎重に机に置くと、ルーペを手に取った。
絵具の盛り上がりや筆の運びを確かめ、キャンバスの裏や額縁に目を走らせる。ひとつひとつを確かめるその所作に、鈴香は固唾をのんだ。
やがて鑑定士はうなずき、低く告げる。
「これは間違いなく本物です。技法も素材も年代も、すべて符合しています」
鈴香は息を吐き、絵をそっと抱き直した。
「やっぱり……これで推理の裏付けが取れたわ」
残る二点にも同様の結果が示されると、すぐに綾音が立ち上がる。
「お嬢様。颯太様と田村様に結果をご報告し、明日の放課後にご相談したいと申し添えておきます」
「ええ、お願いするわ」
綾音がタブレットを操作する横で、鈴香は静かに次の計画へと考えを巡らせた。
――そして翌日。
放課後のカフェテリア、人気のないいつものテーブルで四人は顔を揃えた。
静かな空間に微かな食材の匂いが漂い、窓からは沈みゆく夕陽が差し込んでいる。
「贋作と本物が入れ替えられている以上、学園内部の誰かが関与しているはずだわ」
鈴香が切り出すと、周平が身を乗り出した。
「なら、犯人をつきとめるしかないな! どうやるのがいいんだ?」
「今回のオークションへの出品は匿名で、裏のルートが使われたようです。残念ながら、そこから手がかりは得られませんでしたので、犯人の特定には別の糸口を見つける必要があります」
綾音の説明に颯太も静かにうなずき、さらに言葉を継ぐ。
「本物がここにあって、学園にあるものは偽物だ。美術品が盗まれ、すり替えられた――動かぬ証拠がここにある」
鈴香は机に手を置き、真っ直ぐに三人を見据えた。
「そうね、わたしたちが本物を手に入れたことを犯人は知らないはずよ」
周平は腕を組み、笑みを漏らした。
「学園にあるものが贋作だとバレてることも、わかってないんだろうな!」
颯太は顎に手を当て、冷静な口調で続けた。
「とすると、その情報格差を利用して、犯人を誘き出す罠を仕掛けるという案があるな」
綾音はタブレットを操作する手を止めて、静かに言葉を添えた。
「犯人とオークションを繋げている人物がいることも利用できるかもしれません」
四人は、今後の計画とそれぞれの役割について話し合う。計画が具体化するにつれ緊張感がほぐれ、それが彼らを次の行動へと駆り立てていった。
四人での協議を終えた後、夕暮れの光が伸びる廊下を歩きながら、鈴香の頭の中には一つの人物の顔が浮かんでいた。
その夜、神戸家のリビングルームで鈴香は母の前に腰を下ろし、昼間の出来事をかいつまんで説明した。母は最後まで口を挟まず、細い指でティーカップを持ったまま、静かに娘の言葉を聞いていた。
鈴香の手元には、側面に小さく「Detective」と刻まれている赤いマグカップがあった。そこに注がれた温かな紅茶から湯気が静かに立ちのぼっている。
カップに唇を寄せるたびに、仲間から託された信頼の証が心の奥に明かりを灯すようで、鈴香は胸の内にわずかな勇気を感じた。
「……つまり、学園の中で誰かが美術品をすり替えて、不正に売却した可能性が高いのね」
母の声は穏やかだが、鈴香への心配がにじんでいる。
「はい。わたしたちだけでは限界があるので……お母様の力を借りたいのです」
鈴香は迷いなく母を見据えた。
沈黙がしばし続く。
やがて母はそっとティーカップを置き、静かにうなずいた。
「神戸家からの寄贈品も多いはずで、寄付も行っているから、私が動ける余地はあるわ」
「ありがとうございます、お母様」
鈴香の頬がわずかに緩む。手にした赤いマグカップを軽く傾け、紅茶をひと口含んだ。
そのとき、鈴香はふと横に目をやった。そこには綾音が、黄色いマグカップを手にしている姿があった。
鈴香は眉をひそめ、思わず口を開いた。
「綾音、それ……黄色いマグカップ? 私のと同じじゃない?」
綾音は微笑み、マグカップの紅茶をひと口含んだあと、側面に刻まれている「Detective」の文字を見せつけるようにしながら、淡々と答える。
「ええ。これは前回の弦楽部事件を解決したことに対して、ごほうび兼クリスマスプレゼントとして奥様からいただきました。田村様も緑のマグカップをお持ちです」
綾音は含み笑いを浮かべ、鈴香の疑問に続ける。
「『Detective』ですので、四人全員がマグカップを持つのが当然だと思いますが……もしかして、お嬢様は颯太様とのペアがよろしかったのでしょうか?」
その瞬間、鈴香は思わず手で口元を押さえた。言葉に詰まり、視線を逸らすが、慌てた息遣いが小さく漏れる。
「そ、そんなわけないじゃない……わ、わたしたち四人で解決したから……当然だわ……!」
鈴香の声は動揺で微かに震えていたが、納得感も含まれていた。
母はそんな二人を見て、柔らかく微笑んだ。だがその瞳の奥には、神戸家としてどのように影響力を行使するのが良いかを思案しているようだった。
こうして計画の準備は静かに整えられていった。




