第3章
その日の放課後の教室で、鈴香と颯太、それに綾音を加えた検討会が始まった。
颯太は鈴香の方に向き直り、一瞬だけ目を合わせてから切り出した。
「まずは、現状を整理しよう。お前が集めた情報を、全部教えてくれ」
鈴香が慌てて鞄からノートパソコンを取り出そうとしたが、隣ではすでに綾音がタブレットを用意していた。画面には、昨日記録した情報がびっしりと並んでいる。
「放課後、いつもより早く帰った生徒がいる……美術室から変な物音がした……被害者の女子生徒は、プリンを机の上に置いていた……プリンは大人気ですぐに売り切れてしまった……」
綾音が画面を読み上げながら、細い指で一つひとつの項目をなぞる。
(わたしは探偵なのよ。ただ聞いているだけじゃダメだわ……)
鈴香は途中から読み上げを引き継いだ。
「それから、美術教師は体調不良で休んでて、美術部も休部中。だから、美術室は誰も使っていないはず……」
颯太は、黙ってその画面を覗き込み、じっと目を走らせた。
無言の時間が流れる中、画面を見つめる颯太の瞳は鋭く光っている。脳裏で無数の可能性を組み立てているのが分かった。
その沈黙に耐えられず、鈴香は少し前のめりになる。颯太と同じ画面を注視し、彼が何に気づいたのかを必死に探った。
鈴香は自分でも、肩が刻みに揺れ、焦燥が全身に現れていることがわかった。
「うん、情報は綺麗に整理できている。でも、肝心な部分――消えたプリンがどうなったか、まずはそこをはっきりさせる必要がある」
颯太の冷静な指摘に、鈴香は一瞬言葉を失った。
「……じゃあ、どうすればいいのよ……」
その声は震え、わずかに涙を含んだような響きさえある。颯太の意見は建設的なもののはずだが、鈴香にとっては自身の存在が否定されたように感じられた。
(自分の力で退屈から抜け出そうとしているのに、もしかして、わたしにはそんな力はないというの……)
そんな緊張感の中、ふいに柔らかな声音が割り込んだ。
「あら、お二人はいつの間にか仲良くなられたのですね。とても微笑ましいです」
綾音は慈母のように二人を見守っている。まっすぐな黒髪を耳にかけ、軽く会釈する姿は、屋敷仕込みの優雅さそのものだった。
「か、からかわないで、綾音も真面目に手伝ってよ!」
鈴香は慌てて注意した。耳まで紅潮しているのが自分でもわかる。
颯太は二人のやり取りを一瞥し、すぐに目をそらした。まるで「くだらない」とでも言いたげに。
その態度に、鈴香は余計にむっとしてしまう。だが颯太は無視を決め込み、それ以上何も言わなかった。
綾音はそんな鈴香を見て、そっと口を閉ざす。お嬢様の照れ隠しを、これ以上からかうつもりはないようだった。
ようやく、颯太が顔を上げる。
「プリンは鍵のかかった場所ではなく、机の上に置かれていた。つまり、誰でも簡単にプリンを盗むことができた」
明確な言葉に、鈴香の表情が引き締まる。
「そして、お前が集めた情報……美術室から変な物音がしたという証言。これはつまり――犯人はプリンを盗んだ後、美術室に逃げ込んだんじゃないか?」
颯太は指で机の上を軽く叩きながら、次々と仮説を紡いでいく。
「美術室で盗んだプリンを食べ、空になった容器を処分した。だから、中から物音が聞こえた。そう考えると筋はとおるだろ」
「なるほど……!」
鈴香は思わず身を乗り出した。
颯太の推理は確かに論理的で、入手した情報とも整合性がある。胸の奥が悔しさで締め付けられると同時に、同じくらい強い尊敬が湧き上がる。
だがすぐに、鈴香は首を振った。
「でも、それだけじゃ事件は解決しないわ。プリンを美術室に持って食べたのは誰なのか、誰が犯人なのか、プリンは本当に美術室に持って行かれたのか、それを示す証拠が必要よ」
「……ああ、それはわかってる」
颯太は軽くうなずき、ちょうどそのとき廊下を通りかかった周平へと声をかけた。
「田村! 昨日、美術室から変な物音がしたって、誰かから聞いたことあるか?」
「え? うーん、俺は音については聞いてないけど……」
周平は首をひねりながら教室に入り、鈴香たちの机の横で立ち止まって少し考え込んだ。
「でもな、放課後、美術室のほうから変な匂いがしたって話なら聞いたぞ」
「匂い?」
颯太の瞳がわずかに鋭さを増す。
「どんな匂いだったんだ?」
「なんかこう……甘い匂い、だったらしい。昨日のデートのときに、みなみちゃんから聞いたんだ」
自信なさげに答える周平に、颯太は軽く笑って反応した。
「誰なんだよ、みなみちゃんって!」
周平は少し照れ笑いを浮かべながら肩をすくめる。
「いやまあ、友達だよ」
だがその瞬間、鈴香の心臓が跳ねた。
「プリンの匂い……!」
鈴香は思わず声を上げ、颯太と顔を見合わせる。
その瞬間、二人の間には、言葉を交わさなくても互いの考えが伝わるような、不思議な一体感が生まれていた。
「やっぱり美術室でプリンが食べられたんだわ!」
鈴香は胸を高鳴らせながら叫んだ。
「でも、犯人は誰なの? 美術部員かしら、それとも……?」
「それは、これから調べるんだ」
颯太が冷静に答え、鈴香は力強くうなずいた。
颯太の意見に従い、鈴香と颯太、そして協力を申し出た周平の四人は足早に美術室へ向かった。廊下を歩くたび、鈴香の胸は高鳴る。昨日の出来事の謎が、今まさに解き明かされるかもしれないのだ。
美術室の前でしばらく待つと、別経路で美術室の鍵を借りに行っていた綾音が到着した。
鈴香は美術室の扉に手をかけると、自分の手が僅かに震えていることに気づいた。気持ちを落ち着かせるために顔を上げると、隣で綾音がうなずきながら大丈夫というように目配せしているのが見え、思わず苦笑した。
扉を開け、中に入ると、ひっそりとした空間の中に机と椅子が整然と並んでおり、そこはいつもの美術室となんら変わりのないように見える。四人は自然と視線を分け合いながら、部屋の隅々まで注意深く観察した。
「もうプリンの匂いは残っていないわね……」
美術室特有の油絵具と溶剤の匂いの中、鈴香が机の上や周囲を確認しながらつぶやいた。
颯太は一瞬顔をしかめてから、壁に貼られた作品群をざっと見渡した。
「この部屋の空気、どうにも好きになれない……」
「絵具の匂いが苦手なの?」
鈴香の問いに対し、颯太は美術品を見つめる目に冷ややかな光を宿し、
「いや、もっと別の話だ」
とだけつぶやいて部屋の中に進んだ。
「この教室、掃除が行き届いていないようですので、服が汚れないようにお気をつけください」
綾音が落ち着いた声でそっと注意を促す。
「ここもチェックしたほうがいいかも」
周平は机の下や棚の奥をのぞき込んでいる。
そのとき、静寂な空間に、教室の奥を調べていた颯太のわずかに上擦った声が響いた。
「ゴミ箱にプリンのカップと蓋とスプーンが残っている!」
その声に三人は一斉に颯太のそばに駆け寄った。
鈴香は緊張で息を整えながら、ポケットからそっと手袋を取り出した。
綾音はス即座にマートフォンを構え、鈴香が慎重に作業する様子の記録を始めた。
颯太はゴミ箱を持ち上げて鈴香を手伝い、周平は「ゆっくりでいいから落とさないように」と声をかけながら見守ってる。
「これで何か分かるかも……」
鈴香は慎重にカップを手に取った。だが、そこにあるのは空の容器と蓋にスプーンだけで、これを元に推理を組み込む役立ていくイメージは湧かなかった。四人はさらに部屋の隅々を調査したが、他に手がかりになりそうなものは何も見当たらない。机の上は整然と片づけられ、床や棚にも異常は見あたらなかった。
綾音がふうっとため息をつき、鈴香も小さくうなずく。
「結局、手がかりはこれだけね……」
その声には少しの落胆が混じっていた。
「いや、机の上にあったプリンを誰かが無断で持ち出して、ここで食べたということがわかった。これは重要な発見だ」
(もしかして、颯太はわたしを励ましてくれているのかしら……)
「そうです。颯太様の仰るとおり、事件解決に向かって確実に前進しています」
綾音もうなずきながら、颯太に同意する。
周平も「これで何がわかるか考えよう」と前向きな声を添えた。
(やっぱり……みんなわたしのことを……)
四人は収集した証拠を慎重にまとめ、美術室を後にする。美術室からの帰り道、鈴香は決意を新たにしていた――自分のためにも、皆の期待に応えるためにも、絶対に事件を解決するのだと。




