第3章
翌日。
前日と同様に校舎の屋上にあるテラスでくつろいでいた鈴香たちのもとへ、またしても周平が駆け込んできた。今日は額に汗がにじみ、興奮で顔が赤く上気している。
「神戸さん! 森永! 伊藤さんも! ちょうどよかった!」
周平は両膝に手をつき、必死に呼吸を整えて言葉を発する。
「大変なことが起きたんだ!」
「どうしたの? 田村くん」
鈴香は身を乗り出し、期待に満ちた瞳で彼を見た。
「美術室に……泥棒が入ったんだ! 飾られていた絵画や高価な画材がごっそり盗まれたって話だ!」
周平の声は、夕焼けに染まる屋上に鋭く響き渡った。
「それに、学園としては騒ぎを大きくしたくないらしくて、事件を隠そうとしてるみたいなんだ」
一瞬の沈黙。
だが次の瞬間、鈴香の胸の奥に再び熱が湧き上がった。抑えきれない高揚、そして高鳴る鼓動――。
「ふふ……面白いじゃない」
鈴香の口元が自然と綻んだ。
「ねえ、颯太。これは本当の事件だと思うの。今回もわたしに力を貸してくれるわよね?」
颯太は一瞬、躊躇したようだったが、肩をすくめて苦笑を浮かべた。
「仕方ないな……お前を一人で放っておいたら、また間違った方向に進んだり、余計なことをしでかしたりするだろうしな」
「やっぱり頼りになるわ!」
鈴香は満面の笑みを浮かべ、両手を胸の前で握りしめた。
「ありがとう、颯太! それじゃあ、早速聞き込みに行きましょう!」
鈴香は勢いよく歩き出すと、颯太、綾音、そして周平を伴い、美術室へと向かった。
新たな事件の幕が、静かに上がろうとしていた。
美術室に足を踏み入れた瞬間、鈴香は思わず息をのんだ。
以前にここを訪れたときは、道具のひとつひとつが几帳面に整えられ、静かな緊張感さえ漂っていた。
だが今、その秩序は完全に崩れ去っている。床に散らばる絵具のチューブ、踏み折られた筆、そして壁際にまで飛び散った色彩の残骸──どれもが、この部屋で起きた異変を無言で物語っていた。
「やっぱりこれは、本当の事件ね」
鈴香は静かに呟き、隣に立つ颯太へと視線を送った。
「これは……」
颯太は小さく呟き、しゃがみ込んだ。
他の生徒たちであれば、この光景をただ「片付けが大変だ」と笑って見過ごすだろう。しかし鈴香には、颯太の目は違って見えた。一本一本の絵筆を、まるで犯人の残した凶器でも扱うように、慎重に拾い上げ、柄の部分をじっと見つめている。
「……これ、あの画家の画材だ」
颯太の声はかすかに震えていた。握りしめた筆の柄に刻まれた見慣れたロゴが、颯太の記憶を呼び覚ましたようだ。
「どうしたの? 颯太、何か分かった?」
鈴香は、乱雑に散らかった美術室の真ん中でかがみ込む颯太の様子に、ただならぬ気配を感じ取った。
颯太は深呼吸を一つすると、静香に視線を向ける。
「この画材は……」
颯太は筆を握ったまま、感情を抑えて言葉をつむいだ。
「お前も知ってるだろ。オレの父さんが運送・倉庫の会社を経営してたのを。……最近、色々と調べているんだ」
颯太の声は、遠い記憶をたどるように途切れ、鈴香には、どこか懐かしさと痛みを含んでいるように感じられた。まるで、父の倉庫に眠っていたはずの画材が、いま目の前に現れたかのように。
「御影周蔵って知ってるかな。父さんの会社が画材の管理を請け負っていた高名な画家なんだけど――これは、その御影と弟子たちが使っていたブランドだ……」
「え……?」
鈴香は目の前の光景を見据え、事件の奥に潜む深い影を感じ取った。
「もしかして、美術の……片桐先生は……その画家の弟子……?」
直感的に口をついた言葉に、颯太は一瞬目を伏せ、やがてうなずいた。
「可能性は高い。この画材は、その画家の工房専用の特別品だ。もし先生が持っていたのなら、弟子筋という線が濃厚だ。そして――盗んだ奴は、その繋がりを狙った可能性もある」
「じゃあ、この事件は……!」
鈴香は、胸の前で手を強く握りしめた。
(今回こそ、自分たちで証拠を集めて推理して、真実にたどり着きたいのに……でも、それができるかしら……)
単なる盗難ではなく、学園の美術教師とその過去に繋がる可能性がある事件。画材一つとっても、すでに自分たちでは調査できない広がりを見せ始めている。
胸の奥に小さな苛立ちと悔しさが渦巻いたが、それ以上に込み上げてきたのは――解き明かしたい――という強い探究心だった。
「……仕方ないわね」
鈴香は深く息を吐き、一瞬、視線を颯太に向ける。そして意を固めたように振り返り、綾音に声を飛ばした。
「綾音! このブランドの会員名簿を入手できないかしら? そこから片桐先生と関わりのある人物を洗い出せば……」
「承知いたしました、お嬢様」
綾音がどこからともなくタブレットを取り出すと、指先を画面に滑らせる。その手際は迷いがなく、機械的ですらあった。
颯太はそんな鈴香と綾音を見つめると、わずかに口元を緩める。
「いい判断だ。……金を使うかどうかはお前が決めることだ。オレたちはその選択を支える」
横で聞いていた周平は目を丸くし、椅子から身を乗り出す。
「す、すげぇ……! 神戸さんが自分からそう言うなんて! でも、そうだよな。俺たちもできること全部やって、神戸さんの力でも届かないとこを補えばいいんだ!」
その声には驚きと同時に、仲間としての信頼感が込められていた。
――もう迷わない。今回は、わたしができることをすべて尽くして、この事件を必ず解決する。
鈴香は仲間の反応を受けて大きくうなずいた。




