第1章
新学期を迎えた学園の空は、穏やかな初秋の陽射しに包まれ、夏の名残をかすかに残しながらも、どこか新しい幕開けを予感させていた。
学園の屋上にあるテラスは、その光を浴びて柔らかな輝きを放っている。花壇にはマリーゴールドやコスモスが並び、彩り豊かな花弁が風に揺れていた。その周りに配置されている白いベンチは午後の日差しを反射し、まるで舞台のように整然と輝き、そこに腰かける者の存在を際立たせている。
今日もまた神戸鈴香は、長髪を秋風にそよがせながら、そのベンチに腰を下ろしている。複数の事件を解決したことから来る自信と、胸の奥で渦巻く焦りのような影を天秤にかけ、探偵とは何かという根源的な問いに向き合っていた。
神戸家の寄付によって設置されたこの場所は、鈴香にとってお気に入りの場所だった。最近はいつ来ても他の生徒の姿はほとんど見かけない。その一方で、風の音と花の香りは、いつも変わらず彼女を包んでくれる。
(探偵として……自分の力で事件を解決し、みんなを幸せにする。それが、わたしの存在意義)
あの日、颯太に告げた決意の余韻は、いまも胸に熱を帯びている。けれど同時に、自分の力とは何なのかという疑問も、ふとしたときに心の底に湧き上がってくるのだ。
やがて鈴香は、ふと視線を上げ、テラスの向こうに広がる青空を見やりながら口を開いた。
「……でもね、やっぱり引っかかるのよ」
鈴香は膝の上で両手を組むと、唇を噛み締める。
「事件は解決した。でも……どこか違うの。これじゃ、わたしが目指している『探偵』とは言えない気がするの」
結局は、神戸家の令嬢という立場でなければ推理の行き詰まりを突破できなかった――その事実を払拭できる『何か』が、どうしても欲しかった。
向かいの席に腰を下ろしている森永颯太が、紙コップのコーヒーを手に無言で鈴香を見つめている。その眼差しには、以前とは異なる信頼が見て取れた。
颯太は肩をすくめると、あからさまに面倒くさそうにため息をつく。
「何だよ。犯人は特定。事件は解決、みんなに感謝してもらった。それで十分じゃないのか?」
「十分じゃないわ!」
鈴香は強い声で言い返した。
「わたしは――お金を使うことは否定しないわ。それもわたしができることだもの。でも、お金がなくても、推理だけで事件を解決してみんなを幸せにできる探偵でありたいのよ」
少し離れた場所には、メイド服姿の伊藤綾音が立ち、静かに二人を見守っている。長い黒髪を後ろでまとめた綾音は、表情こそ変えないが、主人の内面を理解するように穏やかな目を向けている。
綾音が控えめに口を挟んだ。
「お嬢様。財力や人脈を使うことが、必ずしも間違っているわけではありません」
「……わかってるの」
鈴香は小さく首を振った。
「わたしが神戸家に生まれたのはたまたまだけど、その結果として他の人とは違うお金の使い方ができるわ。でも、それに甘えてしまったら、きっとわたしはいつまで経っても『神戸財閥の娘』から抜け出せない。『探偵』神戸鈴香としての証明にはならないのよ」
彼らとともに解決した事件。推理を重ね、真相を暴き出せたことは、自分の探偵としての立場と自信を確かなものにした。だが同時に、最後の切り札として使ったのは、やはり神戸家の「金の力」だった。
颯太は頭をかき、ふっと笑った。
「やれやれ。理想が高いな。まあ、オレとしては……事件が解決すれば、それでいいけど……」
「颯太!」
鈴香が睨みつけると、颯太は慌てて視線を逸らした。
綾音は二人のやり取りを静かに見つめ、やがて柔らかく鈴香に視線を向けた。
「お嬢様がどのような道を選ばれても、私はおそばでお支えします。ただ……お嬢様ご自身が納得される形でなければ、きっと次の事件でも心が晴れないでしょうね」
「そうよ。だから、次は――」
鈴香は唇を結び、風に舞う髪を振り払う。
「わたしが納得する形で解決してみせるわ!」
颯太は、ほんの一瞬だけ目を細め、口元に薄い笑みを浮かべた。
「……いいんじゃないか。まあ、お手並拝見ってところだな」
その声色は冗談っぽいが、どこか励ます雰囲気も感じられる。
一方で、鈴香の背後に控えていた綾音は、凛とした立ち姿を崩さず一歩進み出た。
「私はお嬢様をお支えします」
その声音には一片の揺らぎもなく、まるで忠誠の誓いを新たに捧げるかのように響く。
午後の空に響いた誓いは、二人の反応を受けてさらに確かな重みを増し、鈴香の胸に刻み込まれていった。
自信に満ちた宣言が屋上に響いたそのとき――。
「なあ、聞いたか?」
クラスメイトの田村周平がテラスに駆け込んできた。
「どうしたの?」
鈴香は眉をひそめ、周平の方に向き直る。
「学園の玄関に飾ってあった絵画が、なくなったって!」
「え……本当に?」
鈴香はその瞬間、胸が高鳴るのを感じた。息が詰まりそうになり、手のひらがじんわりと熱を持つ。
周平が言葉を重ねた。
「俺も玄関に行って見てきた。確かに絵が無くなってたんだ」
――また新しい謎が、自分の前に立ちはだかったのだ。




