第十三話 世界を滅ぼしたもの
霧に包まれた広場に、異形の影がゆっくりと進み出た。その姿は一見すれば鳥に似ていたが、単なる鳥ではなかった。
三つあるはずの眼はすでに潰され、白布で覆われている。布の下からは深い傷痕がのぞき、見る者に痛ましさと畏怖を同時に抱かせた。嘴は鈍く金属めいた光を帯び、羽毛は灰色と黒のまだらで、ところどころ煤に焼け焦げたような跡がある。長い腕――翼の骨格は逞しく、羽毛の間には棘のような突起が並び、威圧と悲哀を同時に漂わせていた。
だが、その歩みには迷いがなかった。視覚を失いながらも、風と大地の震えを読み取るように確かな足取りで三人の前に立つ。その口から低く、金属の擦れるような響きを含んだ声が流れ出した。
「……『汝ら、サクラより流れ着きし者か』」
藤兵衛が通訳する。
「さくらから来たのか、と問うておる」
「そう……です。たぶん」
楽助が答える。曖昧さに自分でも苦笑した。
盲目の学者は小さく首を傾け、次の言葉を紡いだ。
「……『この地は滅びの縁より逃れし者の避け所。だが、元の世界へ戻る道は一つ――バラ・クーヴァ』」
「バラ・クーヴァって、何なんですか?」
楽助が反射的に問い返す。藤兵衛が通訳すると、相手はかすかに嘴を鳴らした。
「……『それは魂と記憶を焼き付ける試練。幻視を越えれば道が開かれる。だが、失敗すればエレギア――滅びの牢獄へ堕ちる』」
広場に重い沈黙が落ちた。
リオンが胸に手を当てて尋ねる。
「エレギアって……?」
「魂の囹圄…滅びの記憶が凝り固まった場所……魂が囚われ、帰ること叶わぬ地だと」
藤兵衛が低く答える。
シギは小さく息を吐くように嘴を鳴らした。
「……『私の名はシギ。“勝利”を意味する。皮肉な名だ。私は“アスラグン”を造った――神の矛と呼ばれる兵器を。勝利をもたらすはずが、その果てに待っていたのは、我らケァリの滅びだった』」
「神の矛……?」
リオンがつぶやき、貴彦が眉をひそめる。
「あなたが……自分の世界を滅ぼしたのか……?」
「……『ケァリの民は“神”に従っていた。戦士の教え――アスラグンにより敵を滅ぼせば、戦士は死後、“安息の世界”へ至る。そこは神と蛮魔の、永遠の戦場にして祝福の園。――滅びは栄光、戦いは救済。そう信じられていた』」
藤兵衛の通訳を聞きながら、三人は凍りつく。
「……『私は知識を司る者だった。ケァリの言葉では“編む者”と呼ばれる。戦士たちの望みに応え、力を尽くして世界を救済に導く矛を造った。それがアスラグンだ。……勝利は訪れた――だが、全てが滅びたのだ』」
自嘲の響きを帯びた声が霧のなかに消えていく。
楽助は頭を抱える。
「……核兵器みたいなもんか……そんなものを」
「それでも……」
リオンが静かに言った。
「……あなたは、ここで私たちを導こうとしている。それは贖いなの?」
その声には非難ではなく、痛みを分かち合おうとする柔らかさがあった。
シギはその気配にわずかに顔を向ける。
「……『なぜ私が汝らを導くのかと問うたな。答えは簡単だ。ここは安息の世界ではない。戦士たる私の罪は、まだ終わっていないからだ。汝らの歩みが、私の罪を超える一歩となるかもしれぬ』」
その言葉にリオンは小さく微笑んだ。
やがてシギは再び、バラ・クーヴァについて語り始めた。
「……『私の知る限り、バラ・クーヴァは無数の世界の滅びを映し取る器だ。そこに触れた者は幻視を受け、自らの記憶と世界の記憶を重ね合わせねばならぬ。私はこの知を……他の種族から聞き及んだ。深き海に住む賢者らが語っていた。だが、彼らはバラ・クーヴァを“帰還の門”と呼んでいた』」
「帰還の門……とな」
藤兵衛が繰り返すと、貴彦は身を正した。
「なら……俺たちが帰る道は、そこしかないってことか」
「……『ただし覚えておけ。バラ・クーヴァは慈悲ではなく試練。幻視を乗り越えられねば、魂は砕け、エレギアに堕ちる。それが“ウァラ・ドゥアグ”――神に挑む最終試練だ』」
「……そんな博打みたいなものかよ」
楽助が顔をしかめる。
「乗り越えるしかない」
貴彦の声は硬い。
「俺たちは帰らなければならないんだ」
その頑なさに、楽助は口をつぐみ、リオンは彼を気遣う視線を向けた。
シギは彼らの沈黙を受け止めながら、ふと静かに付け加えた。
「……『この村の者のなかには、ここ――オラゾ――を“ウァラ・ヴェオン”、すなわち安息の終焉と信じる者も多い。戦いを終えた戦士の魂はここに集い、永遠の平穏を得ると。……だが私は違う。知を編む者として、神の約束を疑い始めている。ここは祝福ではなく……ただの滅びの果てに過ぎぬと』」
藤兵衛が言葉を訳すと、楽助は思わず息を呑んだ。
「……あんた、神様なんて信じてないのか?」
「……『私は見た。アスラの名のもとに振るわれた矛が、数多の誇り高き戦士を滅ぼしたのを。神が安息の終焉に導いたというのなら、彼らの魂はどこへ行ったのだ? 少なくとも私の矛は救済ではなかった……だから私は思う――ここに汝らがいるのは、アスラの御業ではない。おそらく、さらに上位の何者か……私たちすら想像できぬ存在の仕業だ』」
「上の存在……?」
リオンがつぶやく。
「……『もし真であれば、汝らは私よりも深い宿命を負う者。バラ・クーヴァが汝らを呼んだのは、偶然ではない』」
広場を照らす朝の光の下で、三人は互いの顔を見た。
楽助が気弱に笑って肩をすくめる。
「はは……でけえ話になっちまったな。俺ら、ただの高校生なんだけどな」
「ただの、じゃない」
貴彦がきっぱりと言った。
「ここにいる。それが答えだ」
リオンは二人を見て、柔らかく微笑んだ。
「だからこそ、三人一緒なら大丈夫。ね?」
藤兵衛はしばらく彼らを眺め、静かに頷いた。
「共に行こう。さくらの若者がいかに試練を歩むか……見届けてみたくなった」
「『バラ・クーヴァへの道は、まだ遠い。旅の準備を進めよう』」
霧が晴れ、青白い灯のともる村に朝日が差し込むなか、彼らの新たな旅が始まろうとしていた。




