第8話:古い防空壕の下
「ヒロさん、ちょっと来てもらえますか」
再開発現場の現場監督から届いた一本の電話。
ヒロさんが駆けつけると、重機が止まったまま、作業員たちが地面を囲んでいた。
「地下に、コンクリートの壁と空洞がありました。どうやら、古い防空壕のようです」
土砂の下から現れたのは、コの字型に掘られた地下構造物。
錆びた鉄材と木製の梁が、長い眠りから目覚めたように現れていた。
「こんなものが、残ってたのか……」
ヒロさんは、現場の空気を肌で感じながら呟いた。
この土地は戦後すぐに整地され、住宅が建てられた区域。
古い地図には、確かに“防空壕跡”と記されていたが、すでに忘れられた存在だった。
「これ、開発に支障が出ますね」
橘が顔をしかめながら言う。
「問題は構造物として残すべきか、それとも埋め戻すか。
行政や保存会とも協議が必要になりそうです」
ヒロさんは首を振った。
「いや……一度“発見”された以上は、ただ埋めるだけじゃ済まされない。
これは“歴史”だ。街の中に眠ってた“もう一つの時間”だよ」
翌週。ヒロさんは地域の古老たちに話を聞いて回った。
「ああ、あったよ、あそこに防空壕。うちのばあさんが逃げ込んだって言ってた」
「戦争が終わって、何もかも忘れようって風潮だったから、埋めたままにしたんだよ」
想像以上に多くの記憶が、“その地下”とつながっていた。
再開発の一部を変更し、防空壕の一部保存と展示スペースの設置が決定されたのは、その月の終わりだった。
「ヒロさん、よくまとめましたね」
設計チームの担当が苦笑しながら言った。
「街を変えるってのは、“なかったことにする”ことじゃない。
ちゃんと、積み重ねた時間と一緒に、未来に進むってことだ」
ヒロさんは防空壕跡に手を合わせ、帽子を深くかぶり直した。
***
新しい広場の片隅に、地下へ続くガラス張りの小さな展示室が設けられた。
そこには「昭和二十年 防空壕跡」と刻まれたプレートが立っている。
誰もが忘れていたはずの“穴”は、
今、街の記憶として生き続けている。
再開発を進めていると、ごくまれに「地中から歴史が出てくる」ことがあります。
古井戸、地蔵、瓦、そして――防空壕。
どれも、かつての暮らしや苦しみを物語る“痕跡”です。
開発とは、未来のために過去を整理する作業でもあります。
でも、“なかったことにする”のと、“受け止めて進む”のとでは、大きな違いがある。
今回ヒロさんが守ったのは、ただの空洞ではありません。
それは、語られなかった声の残響であり、街の“沈黙の記憶”でした。
土地の下にも、物語は眠っている――
そんな視点で街を歩いてみると、きっと見え方が変わってきますよ。
――作者(地上げ屋ではありませんが、不動産の現場から見えた“街と人のドラマ”を物語にしました)
次回予告:第9話「地面師の罠(前編)」
ある土地の買収を進めていたヒロさんのもとに、一本の電話。
「その土地は、もう別の買主に売ったはずですが?」
登記簿上の所有者は確かに一致している――
だが、そこに隠されていたのは、**精密に作られた“偽物”**だった。
次回、『地上げ屋ヒロさん』ついに長編エピソード始動!
第9話「地面師の罠(前編)」
過去最大の危機に、ヒロさんが誠意で挑む。