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第7話:引っ越せない理由

「……この庭にはね、あの子が眠ってるの」


ヒロさんの前で、女性はそうつぶやいた。

手入れの行き届いた小さな庭。

花壇の隅に置かれた石には、手彫りの文字がかすかに見えた。


「ミミへ ありがとう」


相続人不在の一軒家。主である高橋洋子は、70代半ば。

再開発の中心地にありながら、ずっと立ち退きに応じなかった理由が――そこにあった。


「15年前にね、主人を亡くして。

そのあと、ずっと一緒にいたのがこの子だったの。ミミっていう柴犬」


洋子は笑っていたが、その声にはどこか、今でも“喪中”のような空気があった。


「ここを離れたら、あの子をひとりぼっちにしてしまう気がしてね……」


ヒロさんは、庭の空気を吸い込んだ。

花の香り。土の匂い。

確かに、そこには“誰かが暮らしていた”という証があった。


「洋子さん。この場所は、洋子さんにとってだけじゃなくて――ミミちゃんにとっても家だったんですね」


「……ええ。ミミは、ここが大好きだった」


「もし、ミミちゃんの“居場所”を、新しい街に移すことができたら――どう思いますか?」


「え?」


ヒロさんは、再開発チームと共有していた“記念緑地計画”の一部を開いた。


「このエリアの一角に、小さなメモリアル花壇を作る予定があります。

そこに、ミミちゃんの石碑を移して、ちゃんと記録に残すことができます。

お花も手向けられる場所になります」


洋子は、静かに目を伏せた。


「……そんなことが、できるんですか?」


「ヒロさん流では、“できるようにする”が基本です」


しばらくの沈黙のあと、洋子は庭の片隅を見つめた。


「……あの子も、きっと寂しくないわね。

新しい場所に一緒に行けるなら。……引っ越しても、大丈夫かもしれない」


ヒロさんは、静かにうなずいた。


「一緒に行きましょう。記憶も、気持ちも、ちゃんと」


***


後日。再開発エリアに作られた緑地の一角に、ひとつの小さな石碑が置かれた。


「ありがとう ミミ」


その横にはベンチがあり、洋子がミミの好きだったおやつを供えていた。


ヒロさんは遠くからその姿を見つめ、ポケットの中で小さく手を握った。


“想い”を、残す仕事。

それが、この仕事の本当の価値なのかもしれない。

土地は、人の持ち物であると同時に、

「記憶の保管場所」でもある。


今回描いた“愛犬のお墓”のような事例は、実際の現場でも時々起こります。

「動物霊園に移す」選択肢もありますが、

中には「ここがいいんです」と涙ながらに語る方もいます。


ヒロさんのように、「ただの土地」とは思わず、

その場所の“心の居場所”を一緒に移す。

そんな交渉ができる人間でありたいと思いながら、今日も現場に立っています。


あなたの家にも、誰かの“好きだった場所”があるかもしれませんね。


――作者(地上げ屋ではありませんが、不動産の現場から見えた“街と人のドラマ”を物語にしました)


次回予告:第8話「古い防空壕の下」

再開発地区の工事現場で、重機が止まった。

地下から現れたのは、戦時中の防空壕跡――


それは、街が忘れようとしていた“過去の遺物”か。

それとも、語り継がれるべき“歴史の証人”なのか。


次回、『地上げ屋ヒロさん』第8話――

「古い防空壕の下」

街の地下に眠っていた、もう一つの記憶が目を覚ます。

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