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第6話:看板は残してくれ

「ここ、閉めるのはもう決めてます。でもね……看板だけは、残してくれませんか」


赤と青のサインポールが、音もなくゆっくりと回っていた。

昭和から続く理髪店「アライ理容室」。

ヒロさんが訪れたその店には、白衣を着た細身の老人――新井重男がひとり、椅子の掃除をしていた。


「うちももう、お客さんなんて月に数人ですよ。施設に移るつもりなんです。

だけどね、看板を下ろすとなると……自分の名前を消すようで、どうにもこうにも踏ん切りがつかない」


新井は天井を見上げながら言った。

長年のハサミの使い方が染みついた手が、寂しく空を切っていた。


「この看板、つけたのは私の父親なんです。戦後すぐに――木の板に、筆で店名を書いてね。

その上に今の看板を被せただけ。中には、父の文字が残ってるかもしれませんよ」


ヒロさんは看板を見上げた。

色あせたプレートに書かれた「アライ理容室」の文字。

どこにでもあるようで、どこにもない存在。


「実は、再開発のビルには“記念展示スペース”が設けられる予定です。

地域の歴史や思い出を残すために。

そこで、もしよろしければこの看板を保存・展示することも可能かもしれません」


新井の目がわずかに揺れた。


「そういう場所に、うちなんかが並んでいいんですかね」


「十分です。街の風景は、いつも誰かの“当たり前”からできている。

だからこそ、その“当たり前”をちゃんと記録するのが、街の未来のためです」


しばらく沈黙が流れたあと、新井はふっと笑った。


「……なら、お願いしますよ。

父親がつけた看板、もう一度だけ、誰かの目に触れてくれるのなら」


***


数か月後。

ヒロさんは新しいビルの壁に設けられた展示スペースを訪れた。

そこに飾られていたのは、古びた理髪店の看板。

プレートの裏には、戦後間もなく書かれた手書きの店名が残っていた。


名前は消えても、想いは残る。

それは、街の“記憶装置”のようだった。

「この看板だけは、どうしても外したくないんです」

――これは、実際の再開発現場で聞いた言葉です。


閉店も立ち退きも受け入れた店主が、最後に訴えてきたのは「名前」でした。

それは利益や権利ではなく、人生そのものでした。


看板というのは、ただの目印ではなく、“生きた証”でもある。

自分がここにいたということを、誰かに覚えていてほしいという願い。

それを無視してはいけないと思っています。


だからこそ、ヒロさんは交渉人である前に、

「その人が残したいもの」を丁寧に聞くようにしています。


記録されることで、思い出は時間を超えます。

あなたの街にも、記憶に残したい「名前」があるかもしれません。


――作者(地上げ屋ではありませんが、不動産の現場から見えた“街と人のドラマ”を物語にしました)

次回予告:第7話「引っ越せない理由」

「この庭にはね、あの子が眠ってるんです」

そう言って、立ち退きを拒む女性。

亡き愛犬を埋めた場所を離れられない――

ヒロさんが向き合うのは、“人のいない家”に残された深い想い。


次回、『地上げ屋ヒロさん』第7話――

「引っ越せない理由」

小さな命と、土地に込められた“もう一つの家族”の物語。




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