第3話:最後の仮面(後編)
岡村靖仁は、自ら送った封筒の控えを見つめていた。
それは、10年前に自分が最初に手を染めた土地。偽名で登記し、世間の目をかすめて始めた仕事の原点だった。
「終わらせるなら、ここだ。俺が“名前”で始めたなら、“名を返す”ことで終わらせる」
その夜、彼はひとりで現地を訪れた。
そこには、草に覆われた小さな空き地があった。だが、その土地の片隅に、見慣れない木の苗が植えられていた。
『佐野ひろば 再生整備予定地』
立て札には、ヒロの名前が記されていた。
「……来てたのか。やっぱり、あんたはそういうやつだな」
岡村は、そっとポケットから一枚のメモを取り出した。
“この土地の名義は、行政へ引き渡します。過去の不正は、私一人が責任を負います。”
***
翌朝、警察署の窓口に岡村の姿があった。
「俺のやってきたこと、全部話します」
「名前は?」
岡村はしばらく沈黙し、口を開いた。
「岡村靖仁……それが、本名です」
***
数週間後。
ヒロは、旧空き地の一角に苗を植えていた。
橘が尋ねる。「ヒロさん……あの岡村って人、なんで最後に全部差し出したんでしょうね」
ヒロは静かに言った。
「仮面ってのはな、守るためにかぶるもんだ。でも、最後に外せるやつだけが、本当の“自分”になれる」
橘はしばらく黙っていたが、苗木を見つめながら呟いた。
「じゃあ、この木も……仮面を外したあとに、残ったものなんですね」
ヒロはうなずいた。
「そうだな。人の名前じゃなくて、“思い”が根を張る場所になるかもしれない」
風が吹き、枝が揺れた。
その音は、静かな余韻とともに、町の空に広がっていった。
番外編最終章、そして『地上げ屋ヒロさん』シリーズの幕引きにふさわしい、地面師・岡村の視点から描く3話構成でした。
悪として描かれていた存在にも、“理由”があり、“終わり方”がある。
ヒロさんが向き合ってきたのは、土地そのものではなく、そこに宿る"人の物語"だったとあらためて感じさせられます。
町の片隅に残された苗木のように、この物語がどこかで根を張り、誰かの記憶に残ってくれたら嬉しく思います。
また、どこかで。