番外編:春香、見守る 〜声なき声を届ける場所〜
都市整備課の春香が、市役所の窓口で対応していた。
「再開発に関するご相談、こちらの用紙にご記入ください」
今日も数人の高齢者が書類と格闘している。だが、ある一人の女性だけが、じっと窓口の端に立ち尽くしていた。
春香はその姿に気づき、静かに声をかけた。
「……なにか、お困りですか?」
女性は戸惑いながら、小さく口を開いた。
「この家、出ていくのは……怖いんです。声に出すのが、申し訳ない気がして」
春香は、その手に資料ではなく、小さなメモ帳を差し出した。
「この紙に、思ったことを何でも書いてください。正式な書類じゃなくても、ちゃんと、届く場所があります」
***
春香は、その“声なき声”をまとめ、再開発会議の資料に添えた。
ヒロさんに言われたことがある。
「春香、誰も言わないことこそ、行政が拾っていくべきだ」
翌週、再開発の調整会議で春香は資料を提示した。
「この意見は、窓口で直接書いてもらったものです。法的効力はありませんが、実情として無視すべきではありません」
沈黙の後、都市計画課の上席がつぶやいた。
「……それ、添付して議事録に残しておこう」
***
月末。
春香はあの女性のもとを再び訪れた。
「あなたのメモ、ちゃんと伝わりましたよ。再建住宅の入居優先枠に、あなたの意見が影響しました」
女性は、ぽつりと言った。
「よかった……声にして、よかった」
春香はうなずいた。
「声って、届くんです。届くようにするのが、私の仕事ですから」
街を動かす人々の後ろには、必ず“言葉にできない人”がいる。
春香は今日もまた、窓口に立ち続けていた。
番外編第3弾は、都市整備課の春香の視点から、“届かない声を届ける”というテーマを描きました。
登記や契約の裏側にある“感情の沈黙”を、行政の側からどう拾い、制度に反映させていけるか。
ヒロさんと共に現場を歩いてきた春香の姿は、確かにその“橋渡し”になっていたのかもしれません。
次回は、かつてヒロさんと出会った依頼者の視点から、あのときの“その後”を追いかけます。