第2話:駄菓子屋の灯(ひ)
「ここで駄菓子屋やってるの、もう50年になるかなぁ」
赤く焼けた手のひらで湯飲みを包みながら、店主の小池辰夫はぽつりとつぶやいた。
昭和の香りが残る店内。色褪せた棚に並ぶうまい棒、箱入りのチョコ、10円ガム。子どもたちの歓声はもう聞こえない。
「それだけ続けられるのは、すごいことですよ」
ヒロさんはそう言って、熱いお茶をすすった。
今日は買収の話ではなく、まず“話を聞きに来た”。これが彼のスタイルだ。
この駄菓子屋も、駅前再開発エリアの中心にある。
土地の価格はすでに坪単価400万を超えている。すぐ隣には大型商業施設の計画も進んでいる。
だが、この一軒が残っている限り、再開発は前に進まない。
「…だけどよ、もう子どもも来ねぇし、体もしんどいしな」
辰夫はそう言うが、店を閉める決心はつかないようだった。
何より、彼の目は“まだ燃えて”いた。
「奥さんを亡くされて、だいぶ経ちました?」
「もう8年になるな。……ここは、あいつと一緒に始めた店なんだよ。あいつが…『子どもが笑ってる街にしたい』って言ってさ」
ヒロさんは黙って、店内を見渡した。
ポスターの隅に、かすれた文字で「開店記念セール 1975年」と書かれている。
「旦那さん、今でもここを守ってるのは、奥さんへの約束のためですか?」
「…いや。もう違うかもな。誰も来ないけど、俺がいなくなったら、ここも街の記憶から消えちまう気がしてよ」
ヒロさんは、ジャケットの内ポケットから一枚のプラン図を取り出した。
そこには、駄菓子屋の跡地に新設される「地域子ども交流スペース」の案が記されていた。
「実はね、これ――再開発プランの中に、駄菓子屋のエッセンスを残せないかって話があって。
名前も“こいけスペース”ってのを提案してるんです」
辰夫の手が止まった。
「……俺の名前?」
「この土地が、ただの商業ビルになるのは違うと思ったんですよ。
あんたの想いを、街に残したい。子どもが笑ってる街に――って、奥さんの願いも含めて」
静かに、辰夫は目を伏せた。
やがて、震える声で言った。
「……そんな場所、本当に作れるのか?」
「できます。もしご協力いただければ、再開発の目玉にして、次の世代に“この街の記憶”として残せます」
沈黙のあと、辰夫は棚に残った「5円チョコ」を一つ取り、ヒロさんに差し出した。
「そいつで手を打つってサインにしとくよ。あいつも、きっと笑ってる」
ヒロさんは受け取り、小さく頭を下げた。
***
数ヶ月後、地鎮祭の会場にひときわ目を引く看板が立った。
「こいけ交流スペース」建設予定地
そこには、再開発と共に残された「小さな灯」があった。
街の記憶が、またひとつ、未来に受け継がれていく。
あとがき 〜第2話「駄菓子屋の灯」を終えて〜
「駄菓子屋がなくなったら、子どもたちはどこに行くんだろう?」
これは実際、僕が再開発の現場であるおじいさんから言われた言葉です。
地上げ屋というと「冷徹な土地交渉人」のように思われがちですが、現実の現場では、そう単純にはいきません。
とくにこの“駄菓子屋”のように、採算や合理性では測れない、街の象徴的な存在がある場所では――。
今回描いたヒロさんの交渉も、決して“買う”だけが目的ではなく、
「そこにある記憶をどう街に残せるか」
という視点があってこそ成立したものです。
駄菓子屋の灯りが消えるのは、ただの店じまいではなく、
街の時間がひとつ終わることでもある。
だからこそ、終わらせ方や次へのつなぎ方が大事なんです。
私たちの仕事は、土地の価値を数字で測るだけではありません。
過去と未来をつなぐ“翻訳者”でありたい――
そう思いながら、日々、現場に立っています。
次回は「相続放棄された空き家」とヒロさんのやり取りを描きます。
また別のかたちの“記憶”との出会いを、どうぞお楽しみに。
――作者(地上げ屋ではありませんが、不動産の現場から見えた“街と人のドラマ”を物語にしました)