第18話:ヒロさんの土地(前編)
「この名義、間違いないですね。佐野康弘――あなたのお父さんです」
登記簿を差し出した白井律子司法書士の声が、少しだけ穏やかだった。
ヒロさんは、黙ってその書類を見つめていた。
郊外のある古い土地。長らく動かされていなかったその場所に、最近になって開発計画が持ち上がり、行政から「関係者」として名が挙がった。
「……父が残してた土地か。そういや、あのとき……」
ヒロさんの脳裏に、20年前、父との最後の会話がよみがえった。
『この土地だけはな、ちゃんと“人のため”に使ってくれ』
当時、なぜそんなことを言ったのか、理解できなかった。
今になってようやく、その意味が、静かに響いてくる。
***
土地は、山裾に広がる雑木林に囲まれた低地だった。
わずかに平坦な一画には、今も草に覆われた古い納屋の跡が残っている。
「ヒロさん……ここ、本当に何もないですね」
橘が少し驚いたように言った。
「いや。何もないように見えるだけだよ」
ヒロさんはしゃがみこみ、地面に手をあてる。
「この土地には、父の“未完の仕事”が残ってる気がする」
律子が静かに続けた。
「実は、地元の記録を調べたところ……この場所、かつて“開かれた集会の場”として貸し出されてたみたいです。子どもたちのための読み聞かせや、収穫祭なんかが行われていたと」
「父は……地域に開いた場所として、残そうとしてたのかもしれない」
橘が言った。
「でも今、その土地を分譲しようとしてる開発業者が入札をかけてます。あと数週間で話が進んだら、おそらく……」
ヒロさんは立ち上がった。
「なら、俺が止める。これは、俺の“始まり”であり、“最後”の交渉になる」
ヒロさんが、初めて自分の家族の土地と向き合う。
それは、ただの交渉ではなかった。土地と、人と、人生の記憶をつなぐ、最後の約束の始まりだった。
いよいよ最終長編三部作『ヒロさんの土地』が始まりました。
この物語では、ヒロさん自身の原点、そして彼が地上げ屋として積み重ねてきた“想いの締めくくり”を描いていきます。
次回は中編――父の土地にまつわる過去の証言と、ヒロさんが守るべき"遺志"が明らかになります。
どうぞ最後まで、お付き合いください。