第15話:最後の抵抗運動(前編)
「ヒロさん、あの団地、ちょっと雰囲気が違いますよ」
橘がそう言って指さしたのは、再開発計画の中心に位置する老朽化した集合住宅群だった。
築50年を超えた団地。多くの住戸が空室になっていたが、一部の住民は立ち退きを拒否し続けていた。
「話が進まない理由は?」
「“出ていけ”と言われる筋合いはない、ということらしいです」
ヒロさんは、団地の一角にある集会所を訪ねた。中では数人の高齢者たちが椅子に座り、書類を手にしていた。
「再開発に反対する理由を、お聞かせいただけますか?」
「ここは、うちらの“ふるさと”みたいなもんですわ」
話したのは、団地自治会長の宮前。
「若い人にはわからんかもしれんけど、ここで子ども育てて、近所づきあいして、人生を重ねてきたんや。簡単に“壊す”言われても、はいそうですかとはならん」
別の住民が続ける。
「病院も、スーパーも、友達も、この団地の中に全部ある。出てけ言われても、行くとこなんてないんや」
ヒロさんは静かにうなずいた。
「お気持ちは、よくわかります。ただ、建物の耐震基準や老朽化も深刻で、もし災害が起きた場合……」
「それでも、壊すなら“納得して”出ていきたい。話し合いもなく、ただ書面だけ送られて“ハンコ押して”じゃ、誰も応じる気にはなりませんわ」
ヒロさんは頷いた。
「分かりました。では、改めて説明会を開きましょう。行政とも掛け合って、可能な限り住民の皆さんの声を聞く場を設けます」
「……それなら、まずは聞いたるわ」
宮前の言葉に、その場の空気がわずかに緩んだ。
団地の空は、低く曇っていた。
ヒロさんは、この場所に積み上げられた“時間”の重さを、身をもって感じていた。
そして、これはただの土地交渉ではない――“生き方”に踏み込む覚悟が必要な案件だと、改めて思った。
今回から始まる長編『最後の抵抗運動』は、土地ではなく“暮らしそのもの”を守ろうとする人たちとヒロさんの対話を描きます。
都市の再開発は、多くの利点とともに、静かに生きてきた人々の居場所を脅かすことがあります。
ヒロさんがどんな立場をとり、どうやって交渉に臨むのか。
次回以降、ぜひ見守っていただければと思います。